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太田述正コラム#2918(2008.11.17)
<皆さんとディスカッション(続x309)>

<55年体制>

≫太田さんの説明にもありましたが、太田さんの場合、敵は、吉田ドクトリン、及び、そのもとで国民をだましたまま利権をむさぼっている自民党です。ところが、水島氏をはじめ太田さん以外の出演者の方は、前回太田さん出演時の彼らの発言からして、どうも自民党支持者のようです。≪(コラム#2916。MS)

 吉田ドクトリンを否定して日本独自の国軍を持とうと主張している政党が有れば教えてくれませんか?

<MS>

 55年体制様、自由民主党です。
 すでにご存じかと思いますが、下記を確認されてください。

立党宣言:
「・・・外に自主独立の権威を回復し・・・」
綱領:
「・・・自主独立の完成を期する」
党の使命:
「・・・現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとするものである。」
党の政綱:
「六、 独立体制の整備
平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
 世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。」

(出典:http://www.jimin.jp/jimin/jimin/rittou/index.html

 私の書き込みの内容にどう関係あるかが、よくわからないので、質問の意図を教えてください。

<55年体制>

 自民党は立党宣言などに自主独立を唱ってますが、現在は封印してるでしょう。
 その事を野党(特に旧社会党=現民主党)は批判するどころか歓迎してるんじゃないですか?
 要するに、吉田ドクトリンの継承は一応国民的合意って事でしょう。

≫太田さんの説明にもありましたが、太田さんの場合、敵は、吉田ドクトリン、及び、そのもとで国民をだましたまま利権をむさぼっている自民党です。≪(同上)

とお書きですが、こと吉田ドクトリンに関しては自民党だけを批判するのは筋違いではないかと思った次第です。

<MS>

>自民党は立党宣言などに自主独立を唱ってますが、現在は封印してるでしょう。

 そうでしょうか?ホームページにわざわざ載せているのだから、封印というのは明らかに間違いでしょう。

>その事を野党(特に旧社会党=現民主党)は批判するどころか歓迎してるんじゃないですか? 要するに、吉田ドクトリンの継承は一応国民的合意って事でしょう。

 さあ、どうでしょう?
 「野党が歓迎」しているかどうか、「国民的合意」があるかどうか、分かるような典拠を示してください。

>こと吉田ドクトリンに関しては自民党だけを批判するのは筋違いではないかと思った次第です。

 自民党は、自主独立を党是に掲げているにも関わらず、実際にはその政治的使命から逃げ回っているのですから(先に示した愛知外相の一例などが根拠、コラム#2916)、国民に嘘をついてきたことは間違いないでしょう。少なくとも保守派の多く(例:チャンネル桜の水島氏)は、この嘘にだまされつづけています。このことの罪は何よりも大きいはずです。

 しかも、コラム#2916で太田さんがお示しくださった、「絶対権力は絶対に腐敗する」というアクトン(John Emerich Edward Dalberg-Acton。1834〜1902年)卿の言葉(Lord Acton's dictum)どおり、50年の内にひたすら腐敗し、政権交代によって腐敗構造が白日のもとにさらされるのを恐怖するあまり、池田大作氏とまで手を組んで、政権を維持している自民党。これ以上罪深い政党がどこにあるというのでしょうか?ご存知でしたら、教えてください。

<サヨク>

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。そして二度目はファルスとして」ワイマール憲法下でヒトラーは選挙という民主的手続きを経てナチズムの足掛かりを得た。つまりはオーソライズされた。19世紀フランスのファルスをさらに繰り返した。21世紀の今、オバマはそのドイツで熱狂的に迎えられ次期米大統領に。「彼らは彼らの代表をではなく彼らの主人をこそ待ち望んだ」(ブリュメール18日) オバマ現象がファルスでないという保証はない。イデオロギーが表象するその射程が広いほどきっと自覚症状は軽い。経済危機が多少なりともオバマに味方したという報道は面白い。

<bbkz>

 まず、色々な点で誤解があるので先にそちらから述べさせていただきます。

≫あなたは、「政治は可能性の芸術」というのは誤訳で、「政治は可能性の技術」が正しい日本語訳だと言い張っておられるわけですが、・・・≪(コラム#2902。太田)

 私は誤訳とまでは言っていませんよ。

 ちなみに、当然ご存知のことだと思っていたのですが、「政治は可能性の技術」と訳している例は存在します。インターネット上で容易に見つかる例をあげるとするなら、

 『(丸山眞男による)「政治は可能性の技術(Kunst des M ‥oglichen )である」というビスマルクの言葉を命題とした講義内容は,政治または政治学を科学技術研究に置き換えても違和感を与えない普遍性の高い理念を我々に与えてくれる。』
http://www.nies.go.jp/kanko/news/18/18-3/18-3-02.html

 『「政治とは、可能性の技術である。つまりそれは計算された生き残るための科学である」...このビスマルクの言葉に対するウィルヒョウの返答は...「いいえ。生き残るために政治の技術はほとんど役に立ちませんが、科学をうまく計算して利用することは必須です」』
http://www.med.or.jp/wma/wma2002/a2.pdf

などがあります。

≫あなたが、誰の権威も借りずに誤訳であることを自ら証明したら拍手大喝采だけど、できないでしょ。いずれにせよ、何で私が誤訳じゃないことを証明しなきゃならないのか、さっぱり分かりませんねえ。≪(同上)

 私は証明しようとは思っていませんし、太田さんに証明を求めてもいません。
 自信満々に「可能性の芸術」と述べていらっしゃいましたから、なぜそうだと言えるのか、そのように解釈すべきなのか、と言うことを伺いたかったのですが、結局何も出てこなかったことに対してがっかりしています。

 ハンドルネームや私の身分などについてですが、私は今回の件が終わればメルマガを有料購読するつもりでいました。常々興味を持っていたこともありますし、円高のせいで経済的な余裕もいくらか出来たからです。
 ただ、正直なところここまで「こじれる」とは思っていませんでした。他の分野においては、素晴らしいコラムを執筆されていらっしゃるだけに、今回の件については大変残念な思いです。

<太田>

 亡くなっているビスマルクに、彼の真意を問いただすことができない以上は、ドイツがKunstの国であると自負しているに違いないドイツ人のKunst感覚(Kunstに関するドイツ語ウィキペディア)に拠ってビスマルクの真意を忖度するのがよろしいのではないか、という趣旨で、「政治は可能性の芸術」との一般に流布されている訳し方でよいのではないか、と申し上げてきた次第です。
 それでは納得できない、と言われても、しつこいね、それならお前が「政治は可能性の技術」説を論証してみろ、と言葉を返させていただいたことが、お気に入りませんか?
 気に入らないことが起きると、それはあなたにとって物事が「こじれ」たことになるのですね!

 ところで、丸山眞男が「政治は可能性の技術」と訳していたとはね。
 全く知りませんでした。
 彼は、その意味を、「方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なのです。それを方向性なしに、理想はそうかもしれないけれども現実はこうだからというのは政治認識ではない。いろいろな可能性の方向性を認識する。そしてそれを選択する。どの方向を伸ばしていくのが正しい、どの方向はより望ましくないかからそれが伸びないようにチェックする、ということが政治的な選択なんです。」(丸山真男集第7巻「政治的判断」より)(
http://blog.livedoor.jp/sanotatu5539/archives/50915014.html
。11月16日アクセス)と説明しているとのことです。
 「」の中の指摘は舌足らずながら決して間違っていないけれど、丸山がそう思っていたのであれば、彼が「政治は可能性の技術」と訳したのはおかしい。
 丸山の指摘を敷衍すれば、一、『何が正しく、何がより望ましいか、という価値判断を自分の抱く理想(理念)に基づいてくだし』、二、『その方向に伸ばしていく』のが政治家の仕事であるということになると思いますが、Kunstを「技術」と訳してしまうと、一が抜け落ちてしまう一方、「政治は可能性の芸術」と訳すと、一が含まれてくるからです。
 この丸山の「誤訳」のせいかどうかは分かりかねます・・恐らく無関係でしょう・・が、日本の「右」の政治家の大部分は、「政治は単なる可能性の技術」だと思っているのではないでしょうか。つまり、政治は理念などとは無縁の、有限の資源である権力・名誉・カネに係る利害調整/配分をする技術以上の何物でもない、と思っているのではないか、ということです。
 だから、自民党の党是に掲げてある理念など、彼らは全く無視して恥じないわけです。
 そんな政党がどうして戦後日本の政治を独占してこれたのか?
 国民の大部分が、権力・名誉・カネをもっぱら追求することが自己目的化した人生を送っているからです。彼らが自民党に投票してきたのです。
 いや、それだけじゃ数が足らないから、理念をも追求したいところの少数派に属する日本国民の一部も取り込むべく、実現する意思など全くと言っていいほどないにもかかわらず、自民党は理念、すなわち上記党是を掲げ続けてきたのです。
 これぞまさしく、吉田ドクトリン下の戦後日本の無惨な姿なのです。
 このような戦後日本にあっては、理念や理念を語る言葉は鴻毛よりも軽い。
 だから、理念を持ち、理念を語るオバマがうさんくさく見えてしまう。
 すなわち、理念や理念を語る言葉を評価する能力がないため、ヒットラーとビスマルクを、そしてオバマを同一視してしまう、ということにもなるわけです。
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太田述正コラム#2919(2008.11.17)
<ローズベルト/マーシャル・チャーチル/ブルーク(その2)>

→非公開

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