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太田述正コラム#2494(2008.4.18)
<駄作歴史学史書の効用(その1)>(2008.10.19公開)

1 始めに

 「駄作史書の効用」(コラム#2454、2456、2458、2461(いずれも未公開))に引き続き、「駄作歴史学史書の効用」と銘打って、元オックスフォード大学の歴史学教授(19世紀欧州思想史専攻)のバロー(John Burrow)による'A History of Histories: Epics, Chronicles, Romances and Inquiries from Herodotus and Thucydides to the Twentieth Century'を俎上に乗せたいと思います。
 パグデン先生の駄作本(コラム#2454)とは異なり、イギリスのオックスフォードの教授まで登り詰めたバローが著者なのですから、駄作とは言っても、かなり水準の高い本であると受け止めるべきでしょう。
 私は、この本を通じて、イギリスの「並の」文系エリートの教養がいかなるものであるかを読み取るのも面白かろうと考えた次第です。

 (以上を含め、特に断っていない限り
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,2227749,00.html、  
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2007/12/15/bobur115.xml
http://www.ft.com/cms/s/0/04c3efc4-ad11-11dc-b51b-0000779fd2ac.html
(いずれも2007年12月17日アクセス)、
http://www.slate.com/id/2188734/  
(4月15日アクセス)、
http://www.socialaffairsunit.org.uk/blog/archives/001695.php
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article2883409.ece 
(どちらも4月18日アクセス)による。)

2 バローの本の駄作性

 第一に、バローは、支那はもとより、イスラム世界の歴史家を全く無視して、欧米の歴史家だけを対象にしています。
 彼には欧米(西側)しか眼中にないわけです。

 第二に、バローは取り上げるのを、英語で執筆した歴史家や、英語の翻訳が出ている歴史家に絞っています。
 しかも彼は、スコットランドのロバートソン(William Robertson。1721〜93年)の『皇帝カール(カルロス)5世の治世史(History of the Reign of the Emperor Charles 5 )』(1769年)を最初の近代的歴史書であると主張します。ロバートソンはスペイン人でもないのに、純粋に知的関心からこの本を書いたからだというのです。
 つまりバローは、英国を中心とした世界観(Anglocentrism)を抱いていることが分かります。

 第二に、バローは、本全体の約三分の一を何と昔のギリシャ、ローマ時代の歴史家に費やしています。
 バローは、紀元前5世紀のギリシャのヘロドトス(Herodotus。BC484?〜BC425?年)とトゥキディデス(Thucydides。BC460?〜BC395?年)(コラム#908、909)が書いた歴史書が以後の歴史書の範例となっただけでなく、2000年間にわたってこの水準を抜く歴史書が書かれなかったことから当然だというのです。
 範例とは、歴史はフィクションではなく真実を追求する、入念な研究に基づく、戦争と公的事項を取り扱う、偉大な事跡を顕彰する、道徳や国家運営の実際的な教訓となる、そして何よりも文学作品たりえている、という意味で範例となったことを指しています。
 バローは、ローマ時代にも注目せざるを得ないのは、ポリビウス(Polybius。BC203?〜BC120年。ただしギリシャ人)、サルスティウス(Gaius Sallustius Crispus=Sallust。BC86〜BC34年)、リヴィウス(Titus Livius=Livy。BC59〜AD17年)、タキトゥス(Publius (または Gaius) Cornelius Tacitus。56?〜117?年)らが共和制が必然的に帝国へと変貌、堕落していくといった興味あるテーマをいくつも提示したからだ、と指摘します。
 理由はこのほかにもありそうです。
 バローは、あたかもトゥキディデスやクセノフォン(Xenophon。BC431〜BC355年)らを近代イギリス人のごとく見ており、このことは、クセノフォンを「アテネの郷紳(gentry)、田舎の紳士(gentleman)」と形容しているところにも現れています。

 第三に、バローは、女性や有色人種にほとんど言及することがありません。
 女性も有色人種も、歴史家としても、歴史の対象としてもほとんど登場しませんし、ジェンダー史も奴隷史・人種関係史・ジェノサイド史も登場しません。

(続く)

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