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太田述正コラム#2472(2008.4.7)
<スコットランドと近代民主主義の起源(その2)>(2008.10.18公開)
3 その意義
イギリスによって退位させられ、イギリスの囚われ人となったスコットランド国王ジョン・バリオルに代わって、王家の血筋につながるとはいえ、国王を僭称するに至ったロバート・ブルースの立場を、スコットランドにおいて、そして対外的により確固としたものとするために、貴族達は、この宣言の中でわれわれがロバートを選んだと表現したと考えられるのです。
スコットランド人は、イギリス人やアイルランド人同様、その後に渡来したケルト人の慣習を採用し、(イギリス人のように、更にその後に渡来したアングロサクソン人の慣習を採用してケルト人の慣習を捨て去るようなことなく、)アイルランド人同様、この慣習を堅持し続けたわけですが、ケルト人の慣習の中に、貴族全員が集まった集会で、指導者の血筋の中の年長者でかつ有能な者を指導者を選ぶというタニストリー(tanistry)という慣習があり(
http://www.1911encyclopedia.org/Tanistry
。4月7日アクセス)、スコットランドの貴族達がわれわれがロバートを選んだと記したのは、突然国王が退位したため、この古からの慣習を久方ぶりに援用して新しい国王を選んだということを述べたもの以上でも以下でもありません。
しかし、やがてこのくだりは、貴族主権ならぬ人民主権、すなわち近代民主主義を宣言したものとスコットランドの人々によって受け止められるようになります。
その結果として、人民主権ないし民主主義のスコットランドに対するに、議会主権(King in Parliament)ないし自由主義のイギリス、がブリトン島において北と南で対峙するという歴史が始まるのです。
16世紀にドイツで始まった宗教改革がスコットランドにも波及すると、やがてカルヴィン派のスコットランド版である長老派(Presbyterian)にスコットランドの人々の大半が改宗するに至り、長老派教会は、スコットランド人民の教会として、国王に対する優位を宣言し、この宣言を実行に移すことになります。
ここまで説明すればお分かりでしょう。
どうして、米国でタータン記念日が制定されたかが・・。
そうです。英領北米植民地は、人民主権ないし民主主義を掲げて、議会主権ないし自由主義を旨とする英本国から独立すべく、スコットランド独立宣言と瓜二つのフレーズをちりばめた米独立宣言を456年後の1776年に発し、独立戦争に勝利し、独立を達成したという経緯があるからです。
そもそも、米独立宣言に署名した英領北米植民地の指導者達の半数以上はスコットランド系であったのです。
(以上、特に断っていない限り
http://en.wikipedia.org/wiki/Declaration_of_Arbroath、
http://www.bbc.co.uk/history/scottishhistory/independence/features_independence_arbroath.shtml、
http://www.constitution.org/scot/arbroath.htm前掲、
http://www.scotclans.com/scottish_history/medieval_scotland/1320_arbroath.html、http://www.bellrock.org.uk/arbroath/arbroath_declare.htm
による。)
4 終わりに
スコットランド由来の人民主権の考え方を採用した米国は大統領制を創設する一方、議会主権を堅持し続けたイギリスは議院内閣制に移行します。
以下は私見です。
米国に一貫してキリスト教原理主義的傾向が見られ、他方イギリスに一貫して世俗主義的傾向が見られることも、米国がスコットランドの影響を強く受けているからだ、と言えそうです。
また、スコットランド由来の近代民主主義は、1707年のスコットランドとイギリスとの合邦の後、変化を厭うイギリスにめずらしくも大きな影響を与え、やがて自由主義イギリスは自由民主主義イギリスへと変貌するのです。
このイギリス発の自由民主主義は今では世界中に広まっています。しかし、自由民主主義国家の政体として、いまだに世界中で米国、ひいてはスコットランド由来の大統領制とイギリス由来の議院内閣制の2種類の政体が並存し続けているのは興味深いことです。
また、米独立革命の後、この米独立革命の影響をも受けて大革命が起きたフランスにおいて、人民主権の名の下、スコットランドの長老派ならぬ、新しい宗教(イデオロギー)・・ナショナリズム・・がひねり出されることによって、欧州における最初の民主主義独裁体制が誕生することとあいなるわけです。
このように見てくると、スコットランドは、良い意味でも悪い意味でも近代民主主義の祖であると言えそうですね。
(完)
<スコットランドと近代民主主義の起源(その2)>(2008.10.18公開)
3 その意義
イギリスによって退位させられ、イギリスの囚われ人となったスコットランド国王ジョン・バリオルに代わって、王家の血筋につながるとはいえ、国王を僭称するに至ったロバート・ブルースの立場を、スコットランドにおいて、そして対外的により確固としたものとするために、貴族達は、この宣言の中でわれわれがロバートを選んだと表現したと考えられるのです。
スコットランド人は、イギリス人やアイルランド人同様、その後に渡来したケルト人の慣習を採用し、(イギリス人のように、更にその後に渡来したアングロサクソン人の慣習を採用してケルト人の慣習を捨て去るようなことなく、)アイルランド人同様、この慣習を堅持し続けたわけですが、ケルト人の慣習の中に、貴族全員が集まった集会で、指導者の血筋の中の年長者でかつ有能な者を指導者を選ぶというタニストリー(tanistry)という慣習があり(
http://www.1911encyclopedia.org/Tanistry
。4月7日アクセス)、スコットランドの貴族達がわれわれがロバートを選んだと記したのは、突然国王が退位したため、この古からの慣習を久方ぶりに援用して新しい国王を選んだということを述べたもの以上でも以下でもありません。
しかし、やがてこのくだりは、貴族主権ならぬ人民主権、すなわち近代民主主義を宣言したものとスコットランドの人々によって受け止められるようになります。
その結果として、人民主権ないし民主主義のスコットランドに対するに、議会主権(King in Parliament)ないし自由主義のイギリス、がブリトン島において北と南で対峙するという歴史が始まるのです。
16世紀にドイツで始まった宗教改革がスコットランドにも波及すると、やがてカルヴィン派のスコットランド版である長老派(Presbyterian)にスコットランドの人々の大半が改宗するに至り、長老派教会は、スコットランド人民の教会として、国王に対する優位を宣言し、この宣言を実行に移すことになります。
ここまで説明すればお分かりでしょう。
どうして、米国でタータン記念日が制定されたかが・・。
そうです。英領北米植民地は、人民主権ないし民主主義を掲げて、議会主権ないし自由主義を旨とする英本国から独立すべく、スコットランド独立宣言と瓜二つのフレーズをちりばめた米独立宣言を456年後の1776年に発し、独立戦争に勝利し、独立を達成したという経緯があるからです。
そもそも、米独立宣言に署名した英領北米植民地の指導者達の半数以上はスコットランド系であったのです。
(以上、特に断っていない限り
http://en.wikipedia.org/wiki/Declaration_of_Arbroath、
http://www.bbc.co.uk/history/scottishhistory/independence/features_independence_arbroath.shtml、
http://www.constitution.org/scot/arbroath.htm前掲、
http://www.scotclans.com/scottish_history/medieval_scotland/1320_arbroath.html、http://www.bellrock.org.uk/arbroath/arbroath_declare.htm
による。)
4 終わりに
スコットランド由来の人民主権の考え方を採用した米国は大統領制を創設する一方、議会主権を堅持し続けたイギリスは議院内閣制に移行します。
以下は私見です。
米国に一貫してキリスト教原理主義的傾向が見られ、他方イギリスに一貫して世俗主義的傾向が見られることも、米国がスコットランドの影響を強く受けているからだ、と言えそうです。
また、スコットランド由来の近代民主主義は、1707年のスコットランドとイギリスとの合邦の後、変化を厭うイギリスにめずらしくも大きな影響を与え、やがて自由主義イギリスは自由民主主義イギリスへと変貌するのです。
このイギリス発の自由民主主義は今では世界中に広まっています。しかし、自由民主主義国家の政体として、いまだに世界中で米国、ひいてはスコットランド由来の大統領制とイギリス由来の議院内閣制の2種類の政体が並存し続けているのは興味深いことです。
また、米独立革命の後、この米独立革命の影響をも受けて大革命が起きたフランスにおいて、人民主権の名の下、スコットランドの長老派ならぬ、新しい宗教(イデオロギー)・・ナショナリズム・・がひねり出されることによって、欧州における最初の民主主義独裁体制が誕生することとあいなるわけです。
このように見てくると、スコットランドは、良い意味でも悪い意味でも近代民主主義の祖であると言えそうですね。
(完)
太田述正ブログは移転しました 。
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