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太田述正コラム#2689(2008.7.25)
<捕まったカラジッチ(続)>(2008.9.5公開)

1 カラジッチが犯した罪

 カラジッチの承認の下、イスラム教徒やクロアチア人捕虜は、拷問され飢餓状態にさせられました。
 また、彼らに対する組織的な大量強姦が習いとなり、サラエボの包囲戦の時には、狙撃手達は子供達への発砲も承認されていました。
 更に、ボスニアにおけるセルビア勢力の捕虜は他の捕虜のフェラチオをさせられ、かつ性器をかみ切るよう強制された。やらないなら、同室の捕虜全員を殺害すると脅されて・・。かみ切られる側は、生きたハトを喉の奥に詰め込まれ、悶絶して死に至った。看守達は見物していた、と性器をかみ切らされた人物が証言しているところです。
 最も悪名高い7,000人の大虐殺については、スレブレニッツア(Srebrenica)の男性住民がバスとトラックで大量処刑場所まで運ばれ、一旦建物内で水が与えられ、その後更にトラックで野原に連れて行かれ、下ろされ整列されられ、彼らめがけて小銃の一斉射撃が始まり、死に切れていない者に対しては、夜が更けるまで一人一人確実にトドメがさされる、というやり方でした。
 この大虐殺の生存者はわずか15名です。
 
2 カラジッチが目指したもの

 ミロシェビッチ(Slobodan Milosevic)がユーゴスラビアを分解してセルビア人の民族的に純粋な共同体をセルビア、クロアチア、ボスニア、モンテネグロ、コソボにまたがる形でつくろうとした時、カラジッチボスニアにおいて、はこれに呼応して動いたのです。

3 カラジッチの人物像

 カラジッチの父親はカラジッチが生まれる前に従姉妹を強姦して殺したとして村八分にされたような人物でした。また、カラジッチの祖父は牛をめぐる喧嘩で隣人を殺害した人物です。

4 カラジッチの逃避行

 カラジッチは、逮捕された時、ダビッチ(Dragan David Dabic)という仮名を用いていました。これは、ボスニアの首都サラエボが、カラジッチの部隊によって包囲攻撃されていた時、1993にサラエボで彼らに殺されたある一般住民の名前を借用したものです。
 カラジッチは逃避生活中、もともとは精神病医であった経歴を活かし、もう一つの医学(alternative medicine)を標榜し、「生の力(life force)」、「重要な諸エネルギー(vital energies)」、「個人的諸オーラ(personal auras)」といった言葉を連発するとともに、自分のサイトも立ち上げ、手かざしによる治療行為のほか、鍼、ホメオパシー(homeopathy)等を行い、生活の資を得ていました。
 また、こういったことを講演したり、雑誌に執筆したりしていました。
 ところで、カラジッチのように残虐行為を行うような人間が、癒しの隠喩(metaphors of healing)を好むことはよくあることです。
 例えば、スターリンは、粛清がソ連の体制内の危険な腐敗を根絶せしめると考えていましたし、ヒットラーはユダヤ人を「ドイツの胸に巣くう癌」と見ており、ユダヤ人を絶滅させることは、アーリア民族の健康を回復させるために不可欠な措置であると信じ込んでいました。
 また、ポルポト派は、カンボディア社会を浄化し、欧米風に感染した輩を、あたかも医者が感染症を拭いさるように、容赦なく除去することを目論見ました。更にルワンダでは、フツ族のジェノサイド実行者達が、ツチ族を、穢れと病をまき散らすがゆえに、社会の健全性を維持するために叩きつぶさなければならない「ゴキブリ」である、と嘲笑したところです。

 カラジッチは、グルとかサンタクロースとか形容されるほど、容貌が変わっていました。白髪となり、大量のヒゲを蓄えていたからです。
 
 ちなみに、既に明らかになっているところによれば、この約18ヶ月間というもの、カラジッチはたった一人で住んでいました。
 そのカラジッチは、最後の8週間は女性と同居しており、彼女はカラジッチの愛人だと噂されています。

5 カラジッチの逮捕

 カラジッチ自身は、来年の早い時期に自ら出頭するつもりでいたようです。
 というのは、その時期までには、ハーグの戦犯法廷は新たなケースを取り扱わなくなっていると考えられていたからです。
 カラジッチは、7月18日の午後9時半、セルビアの首都ベオグラード郊外の温泉で10日間滞在すべく、市内発のバスに乗っているところを逮捕されて監禁状態に置かれ、3日後の21日、カラジッチの逮捕が公表されました。

 (以上、
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/23/radovankaradzic.warcrimes
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/24/radovankaradzic.serbia
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/23/radovankaradzic.warcrimes
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/23/radovankaradzic.warcrimes5
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/25/radovankaradzic.serbia
(いずれも7月25日アクセス)
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-brooks24-2008jul24,0,7742684,print.column
(7月24日アクセス)、
http://www.nytimes.com/2008/07/23/world/europe/23karadzic.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=print
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/07/22/AR2008072200125_pf.htm
(どちらも7月23日アクセス)による。)

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