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太田述正コラム#2561(2008.5.21)
<ブレア前英首相夫人の言いたい放題(その1)>
1 始めに
ブレア前英首相夫人のシェリー(Cherie Blair。1954年〜)が回顧録、'Speaking for Myself: The Autobiography' を上梓したのですが、この本に盛り込まれているセックス、カネの話題や辛辣な人物評が大変な話題を呼んでいます。
どんなことが書いてあるのか、ちょっと覗いてみましょう。
2 経歴
彼女は、幼いときからあらゆる試験で首席を通し、LSEを優等の成績で卒業し、司法試験も首席で通ったという天下の大秀才です。
1980年にトニー・ブレア(Anthony Charles Lynton Blair。1953年〜)(注1)と結婚し、姓をBoothからBlairに変えますが、法廷弁護士(barrister)としては、旧姓を通しています。
(注1)トニーは、オックスフォード卒だが、成績は優等に次ぐ程度。シェリーと出会ったのは、二人が在籍していた、(4つの司法修習所のうちの一つのである)リンカーンズ・イン(Lincoln's Inn)だが、そこでの成績もトニーはシェリーにははるかに及ばなかった。
1983年に夫トニーとともに総選挙に立候補しますが、彼女は落選し、夫の方は当選します。
この時、結果が逆になっていたら、後にシェリーの方が首相になっていたかもしれませんね。
ちなみに彼女は、1987年の総選挙にも立候補を考えていたのですが、自転車事故で両腕を骨折し断念。結局政治家にはならずじまいで、練達の法廷弁護士(Queen's Counsel)として活躍しつつ(コラム#2112)、現在に至っています。
(以上、及び以下は
http://en.wikipedia.org/wiki/Cherie_Blair、
http://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Blair
(どちらも5月21日アクセス)、及び
http://books.guardian.co.uk/departments/politicsphilosophyandsociety/story/0,,2280805,00.html
(5月18日アクセス)、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/19/AR2008051902368_pf.html、
http://books.guardian.co.uk/digestedread/story/0,,2281052,00.html、
http://www.telegraph.co.uk/portal/main.jhtml?xml=/portal/2008/05/16/ftcherie116.xml
(いずれも5月21日アクセス)による。)
3 本でシェリーが言っていること
(1)セックス
1999年9月、われわれは女王の招待を受け、週末をスコットランドのバルモラル城(Balmoral。ビクトリア女王時代以来の、英王室のスコットランドにおける居城)で過ごした。
前年の1998年に引き続いての滞在だった。
前の時は、私の持ち物すべてが中身まで調べられて当惑したものだ。私の衣類だけでなく、使い古した化粧入れの中に入っていた、口に出来ないようなものまで全部だ。だからこの年はちょっとがばかり用心して、余りに恥ずかしいものだから、避妊器具(注2)を持参しなかったのだ。
(注2)この器具(equipment)が何かについての議論が喧しい。カトリック教徒のシェリーがご法度の避妊器具に言及すること自体がいかがなものかと指摘する者もいるし、通常の避妊手段は財布の中に収まり、さすがに財布の中身まではどんな侍従でも調べないはずなので、かなりかさばるものに違いないとし、貞操帯ではないかとか、いやウェットスーツと足ひれだったかもね、とか賑やかなことだ。(太田)
いつものことだが、城はとても寒かったこともあり、例のコトに及んだわけだ。
9月の終わりに妊娠したんじゃないかと疑いつつも、月経停止症に違いないと自分に言い聞かした。しかし、検査の結果はそうじゃなかった。こうして翌年5月に私は45歳でレオ(Leo)を生んだ。
現役の英国の首相が子供を授かったのは、1849年のラッセル卿(Lord John Russell)以来、150年ぶりのことだ。
(続く)
<ブレア前英首相夫人の言いたい放題(その1)>
1 始めに
ブレア前英首相夫人のシェリー(Cherie Blair。1954年〜)が回顧録、'Speaking for Myself: The Autobiography' を上梓したのですが、この本に盛り込まれているセックス、カネの話題や辛辣な人物評が大変な話題を呼んでいます。
どんなことが書いてあるのか、ちょっと覗いてみましょう。
2 経歴
彼女は、幼いときからあらゆる試験で首席を通し、LSEを優等の成績で卒業し、司法試験も首席で通ったという天下の大秀才です。
1980年にトニー・ブレア(Anthony Charles Lynton Blair。1953年〜)(注1)と結婚し、姓をBoothからBlairに変えますが、法廷弁護士(barrister)としては、旧姓を通しています。
(注1)トニーは、オックスフォード卒だが、成績は優等に次ぐ程度。シェリーと出会ったのは、二人が在籍していた、(4つの司法修習所のうちの一つのである)リンカーンズ・イン(Lincoln's Inn)だが、そこでの成績もトニーはシェリーにははるかに及ばなかった。
1983年に夫トニーとともに総選挙に立候補しますが、彼女は落選し、夫の方は当選します。
この時、結果が逆になっていたら、後にシェリーの方が首相になっていたかもしれませんね。
ちなみに彼女は、1987年の総選挙にも立候補を考えていたのですが、自転車事故で両腕を骨折し断念。結局政治家にはならずじまいで、練達の法廷弁護士(Queen's Counsel)として活躍しつつ(コラム#2112)、現在に至っています。
(以上、及び以下は
http://en.wikipedia.org/wiki/Cherie_Blair、
http://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Blair
(どちらも5月21日アクセス)、及び
http://books.guardian.co.uk/departments/politicsphilosophyandsociety/story/0,,2280805,00.html
(5月18日アクセス)、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/19/AR2008051902368_pf.html、
http://books.guardian.co.uk/digestedread/story/0,,2281052,00.html、
http://www.telegraph.co.uk/portal/main.jhtml?xml=/portal/2008/05/16/ftcherie116.xml
(いずれも5月21日アクセス)による。)
3 本でシェリーが言っていること
(1)セックス
1999年9月、われわれは女王の招待を受け、週末をスコットランドのバルモラル城(Balmoral。ビクトリア女王時代以来の、英王室のスコットランドにおける居城)で過ごした。
前年の1998年に引き続いての滞在だった。
前の時は、私の持ち物すべてが中身まで調べられて当惑したものだ。私の衣類だけでなく、使い古した化粧入れの中に入っていた、口に出来ないようなものまで全部だ。だからこの年はちょっとがばかり用心して、余りに恥ずかしいものだから、避妊器具(注2)を持参しなかったのだ。
(注2)この器具(equipment)が何かについての議論が喧しい。カトリック教徒のシェリーがご法度の避妊器具に言及すること自体がいかがなものかと指摘する者もいるし、通常の避妊手段は財布の中に収まり、さすがに財布の中身まではどんな侍従でも調べないはずなので、かなりかさばるものに違いないとし、貞操帯ではないかとか、いやウェットスーツと足ひれだったかもね、とか賑やかなことだ。(太田)
いつものことだが、城はとても寒かったこともあり、例のコトに及んだわけだ。
9月の終わりに妊娠したんじゃないかと疑いつつも、月経停止症に違いないと自分に言い聞かした。しかし、検査の結果はそうじゃなかった。こうして翌年5月に私は45歳でレオ(Leo)を生んだ。
現役の英国の首相が子供を授かったのは、1849年のラッセル卿(Lord John Russell)以来、150年ぶりのことだ。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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