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太田述正コラム#2508(2008.4.25)
<ロシアの体制(その3)>(2008.5.29公開)

 ルーカスのロシア体制分析が雑なマクロ分析だとすれば、フェルシュティンスキー/プリビロフスキーのロシア体制分析は精緻なミクロ分析であり、信頼性は高そうです。

3 フェルシュティンスキー/プリビロフスキーの指摘

 ソ連崩壊後、ロシアで民主主義が試され失敗したというのはウソだ。
 旧ソ連共産党の幹部達(ノメンクラトゥーラ)は破産したマルクス/レーニン主義イデオロギーこそ捨てたけれど、一貫して権力を握り続けてきたからだ。
 その中核となったのが、旧KGB一味であり、連中の本性はマフィアだ。
 旧KGB一味であるプーチンの1999年のロシアの大統領就任は、旧KGBが旧ノメンクラトゥーラの中核として正式にロシアの権力を掌握したことを意味する。(プーチン自身、その時、旧KGBの同僚達に、「われわれは再び権力の座に就いた。今度は永久に・・。」と語っている。)
 東ドイツからソ連に呼び戻されたプーチンは、サンクト・ペテルブルグの市長のお目付役として副市長に就任する。そして、国際麻薬取引を含む組織犯罪に深く手を染めた。
 そして偶然の幸運が次々に作用して、彼はモスクワに異動し、やがてKGBの後継機関であるFSBの長となり、更にエリティンの後継者にまで急速に登り詰めるのだ。
 エリティンがプーチンを指名したのは、大統領を辞めたエリティンを投獄しないという約束をプーチンなら守るだろうと考えただけのことだ。
 そしてプーチンは、大統領になると、FSB要員を含む旧KGB要員2,000人を政府の主要ポストに就けた。その結果では政府の主要ポストの70%は旧KGB要員によって占められるに至った。
 もとよりプーチンなど、ロシア国民に対してこそ独裁者だが、FSBから見ればいくらでも取り替えのきく使用人に他ならない。
 プーチンは、FSBにモスクワ等のアパート街で一連の爆破事件を引き起こさせ、これらをチェチェン人の仕業のように見せかけた。その上で彼は、チェチェン戦争を始め、チェチェンでジェノサイド的作戦を敢行した。
 また、プーチンは就任直後からマスメディアのオーナーたるオリガーキー達の懐柔に努めたが、容易に尻尾を振ろうとしなかったホドルコフスキー(Mikhail Khodorkovsky)は全財産を没収されて8年間のシベリアの収容所送りとなった。
 そして今や、ロシアの全てのマスメディアはFSBの支配下に置かれ、ロシアには、スターリン的な排外主義とスパイ偏重、政治的囚人達、厳しい検閲、恐怖の蔓延といった空気が充ち満ちている。
 かつては世界社会主義革命という思想の栄光のために遂行されていたことが、今では個人的野心のために遂行されている。
 また、逆らう人々を、かつてのように収容所(Gulag)に送る手間を省き、一味は安くて簡単な殺人によって始末している。
 このロシアの新体制にあっては、FSBという一法人がロシアという世界一広大な領域を統治している。
 こんなことは、17世紀に英国の東インド会社がアジアの全英領をその株主達のために統治した時以来のことだ。
 両者の共通点は、統治している領域の住民のことなどは蔑ろにし、その領域が輸出のための資源を供給できているかどうかにしか関心を払わないことだ。
 もっとも、FSBに比べれば東インド会社の方がはるかに文明的だった。
 FSBの要員はマフィア的悪漢であるのに対し東インド会社の職員はビジネスマンだった。また、FSBの問題解決手段の奥の手は暗殺だが、こんなことは東インド会社は決してやらなかった。
 検事総長のスクラートフ(Yury Skuratov)が邪魔になったプーチンは、FSB要員を送り込んでスクラートフを連行し、怪しげな様子をさせてビデオに撮り、TVでその映像を流させるというやり方で失脚させた。
 2003年には極めて進歩的でリベラルなジャーナリストにして政治家であったシェコチクヒン(Yury Shchekochikhin)が毒殺されたが、遺族はいまだに毒殺時の医学的検案書を見ることを許されていない。
 2004年には有力政治家のルイブキン(Ivan Rybkin)が毒を盛られ、更にウクライナ訪問中に醜聞をでっちあげられ、引退に追い込まれた。
 著名なジャーナリストであるポリツコフスカヤ(前出)ヤとクレブニコフ(Paul Klebnikov)は銃殺された。
 そして2006年には、英国に帰化していたところの、プーチンとその体制を激しく批判していた元KGB要員のリトヴィネンコ(前出)が毒殺された。
 見通しうる将来にかけて、ロシアは、このFSBによって、すなわち、欧米を憎み、建設的なことについての知識経験を何一つ持たない、ナチスドイツのゲシュタポに相当する秘密機関の構成員であった一味によって、統治され続けることになるだろう。

4 終わりに

 一体、自由民主主義諸国は、こんなロシアとどのような形で共存共栄して行けばよいのでしょうか。
 幸いなことに、FSBは万能ではありません。
 現に、かつてリトヴィネンコの友人であったフェルシュティンスキーは現在米国在住であるものの、プリビロフスキーはモスクワを拠点にしているというのに、この本を執筆中プリビロフスキーのアパートに官憲が押し入り、捜索しパソコンを没収しただけで、結局FSBはこの本の出版を阻止できず、プリビロフスキーを「無力化」することもできなかったことからして、FSBの腕の程が推し量れます。
 日本としても、米国の属国たることに甘んじず、一刻も早く、ロシア等のFSB等に対抗すべく自前の諜報機関を立ち上げるべきでしょう。
 また、以下はルーカスが提案していることですが、まず機会を見てロシアをサミットメンバーから追放すべきでしょう。
 次にウクライナやグルジアをNATOに加盟させる機を窺うべきでしょう。
 (前から私が主張していることですが、NATOの太平洋地域への拡大または太平洋版NATOの結成を図り、日本はこの種安全保障条約機構に加盟すべきでしょう。もっともそのためには、日本は集団的自衛権を行使できるようにならなければなりません。)
 更に、ロシア(や中共)が常任理事国である国連安全保障理事会を回避して世界の危機管理を行いうる態勢を構築すべきでしょう。
 また、ロシアの巨大国営企業であるガズプロム(前出)やロスネフト(Rosneft)が市場ルールを遵守しているか、財産権や法の支配を尊重しているか、欧米の金融市場をして厳しくチェックせしめることによって、これら企業の動きに掣肘を加えるべきでしょう。

(完)

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