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太田述正コラム#2476(2008.4.9)
<英米軍事トピックス(その2)>(2008.5.15公開)

2 米国の非正規戦ドクトリン

 (1)始めに

 米国も、英国と同様、イラクやアフガニスタンでの戦況が戦況だけに、軍の鼎の軽重が問われているわけですが、米国では、英国のように軍事教練を拡大するといったボトムアップの対応ではなく、ドクトリン(軍事教義)の刷新と、一層の技術革新によるトップダウンの対応を図っています。

 最初にドクトリンの刷新について説明しましょう。
 米国では、イラクやアフガニスタンで非正規軍と戦っているわけですが、いかに戦うべきかについて、非正規戦(irregular-warfare)ドクトリンを新たに策定しました。
 簡単に言えば、それは、DIMESと言い表すことができるところの、外交(diplomacy)、情報(information)、軍事(military)、経済・社会文化開発(economic and societal-cultural development)活動にまたがる作戦を遂行するというものです。

 (ここまでを含め、非正規戦ドクトリンについては、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/04/06/AR2008040601841_pf.html
  
(4月7日アクセス)、
http://aceshardware.freeforums.org/irregular-warfare-from-the-economist-t250.html
http://calitreview.com/topics/military/177/
https://www.cia.gov/library/center-for-the-study-of-intelligence/csi-publications/csi-studies/studies/96unclass/iregular.htm
(いずれも4月9日アクセス)による。)

 (2)非正規軍との戦いの歴史

 欧米でよく知られている大昔の非正規戦として、狂信的ユダヤ人達(Zealots)が2,000年近く前の紀元66年にローマ帝国に対して起こした叛乱があります。ローマはこれに対し、抵抗する町があればこれを瓦礫と化し、最終的には紀元70年にエルサレムにおいて、神殿を破壊し宝物を奪い去り、家々を掠奪し、1万人もの老若男女を虐殺して蜂起を鎮圧するのです。
 これは非正規軍が敗れたケースですが、非正規軍が戦いを長引かせることに成功し、与国の正規軍の助けも借りて最終的に勝利を収めたケースもあります。
 18世紀の、イギリス軍を苦しめた英領北米植民地のゲリラ、19世紀の、ナポレオンのフランス軍を苦しめたスペインのゲリラ、そして20世紀前半の、日本軍を悩ませた毛沢東のゲリラはそれぞれ有名です。
 20世紀前半と言えば、ナチスドイツもユーゴスラビアでチトー(Josip Broz Tito)のパルチザンに手を焼きました。
 20世紀後半に入ってからは、全く与国の正規軍の助けを借りずに単独で非正規軍が勝利を収めるケースも出てきました。
 宗主国フランスを追い出すことに成功したアルジェリアのゲリラや、占領したソ連軍を追い出すことに成功したアフガニスタンのゲリラがそうです。
 もちろん、正規軍の側が勝利を収めたケースもあります。
 しかし、北アイルランドで英軍がIRAに勝利するのに38年近くかけたような贅沢は自由民主主義国、独裁国を問わず通常許されませんし、1982年にシリアのアサド父政権がイスラム教原理主義団体のハマを1万人虐殺することで壊滅させたようなやり方は、自由民主主義国はとれません。
 20世紀後半に入ってからの、自由民主主義国による非正規戦勝利の模範例は、英国によるマラヤの共産ゲリラの鎮圧(1945〜60年。後述)であるとされています。
 米軍は、ベトナム戦争「敗戦」のトラウマから、1970年代に非正規戦の研究をほとんど放棄してしまい、もっぱらソ連軍との戦いの研究に勤しみました。
 レバノンでの1983年の失敗とソマリアでの1994年の失敗の反面、1991年にクウェートからの占領イラク軍の迅速な排除に成功したことから、米国は研究どころか、非正規戦そのものを避けて通るようになります。
 非正規戦の研究は、もっぱら特殊戦部隊だけにおいて続けられ、その研究成果は、わずかに、米国の与国政府軍の訓練指導の際に用いられる、という状況が続きました。
 ところが、イラクとアフガニスタンでの困難に直面して、米軍は否応なしに非正規戦の研究に総力をあげて取り組まざるをえなくなったのです。
 その時に米軍が注目したのが、英国によるマラヤの共産ゲリラの鎮圧でした。

(続く)

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