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太田述正コラム#2396(2008.3.1)
<アフガニスタンに行ったハリー(続)>(2008.4.9公開)
1 始めに
結局ハリーは英国に戻されましたが、その後も英米で多くの報道がなされています。
これら報道を踏まえて、続篇をお届けすることにしました。。
(その前に、前回のコラムの補足をしておく。米国のメディアで報道自粛紳士協定の対象になっていたのはCNNとAP通信だった。また、事前に報道したメディアにはドイツの女性誌(後述)もあった。)
2 リークしたメディアへの批判
米国のメディアも今回のような報道自粛を行うことはめずらしくありません。
ブッシュ大統領が2003年の感謝祭の日に初めてイラクを訪問した時は、大統領機が米国に帰還するまで一切報道することが許されませんでした。
また、マケイン上院議員の息子のジムが2月初めにイラク従軍を終えて米国に帰還するまで、大統領予備選を戦っていた同上院議員は息子のことに触れることはほとんどありませんでした。その理由の一つはジムの安全でした。記者達もマケインにジムのことについて突っ込んだ質問をすることを避け続けたものです。
英国では、ハリーのニュースを報じたメディアに対する批判の声があがっています。
オーストラリアのニュー・アイディア誌は、紳士協定の存在を知らなかったとし、1月に報道してから英国防省から何の注意もなかった、もし紳士協定の存在を知っていたならば、決して報道しなかっただろう、という声明を発表しました。
また、2月27日にハリーのニュースを報じたドイツの女性誌「鏡の中の女性」は、英国の軍事筋からその情報を得たとし、紳士協定の存在を知っていたので、あえてぼかすために「ハリーが現在イラクかアフガニスタンで従軍している」とイラクを付け加えて報じた、と弁明しました。
そして、米国のドラッジュ・レポートの主宰者であるブロッガーのドラッジュ(Matt Drudge)は沈黙を保っていますが、ブッシュ大統領やクリントン大統領候補の子供がアフガニスタンに従軍しているとして、同じような報道を行っただろうかと非難されています。
3 成功だったハリーのアフガニスタン派遣
地理的意味での欧州において、近代国家とは戦争を行うための装置であり、それを率いるのが軍人階級である貴族階級によって取り囲まれた戦士たる国王でした。
ですから、現在でも欧州の王室のメンバーは名誉連隊長を務めます。
また、他国の王室のメンバーを自国の軍に迎え入れることも19世紀末には流行ったものです。
フランスのナポレオン3世の息子である皇太子は英国の近衛砲兵連隊に勤務し、1879年のズールー(Zulu)戦争に従軍しました。ところが十分な護衛を付けずに偵察活動を行っていたところ、ズールー族の待ち伏せ攻撃にあい、戦死するという事件が起こっています。
この事件がトラウマとなって、第一次世界大戦の時は、陸軍大臣のキッチナー(Kitchener)卿が時の皇太子の前線勤務を差し止めました。後に英国王エドワード8世となったこの皇太子のシンプソン夫人との恋は、この時の挫折が原因であったと言う人がいます。
第二次世界大戦の時は、時の国王ジョージ6世は、弟のジョージ王子(The Prince George, Duke of Kent。1902〜42年)を英空軍に勤務させたのですが、ジョージ王子は飛行艇に乗って移動中に墜落事故が起き死亡しています。また、ジョージ6世の長女のエリザベス(後のエリザベス2世)を英陸軍に勤務させています。
しかし、英国においてすら、最近の政治家は軍事に疎い人が増えてきています。
大衆と軍との関係も疎遠になってきています。
特にIRAとの戦いで、平素街中では軍人が制服を着用しなくなってからというもの、軍の存在が希薄化してきていますし、献身とか集団的忠誠心といった軍人精神の意義に対し、冷戦の終焉に伴う地政学的、技術的、社会的変化により、1980年代末以降、疑問が投げかけられるようになってきています。
しかし、その中にあって、英国の王室だけは軍との強い紐帯を維持し続けてきました。
伝統と彼らが軍と共有しているところの今やちょっとこっけいにさえなった古い価値観がそうさせてきたのです。
だから、ウィリアム王子やハリーが、軍務に携わりたいと思うのはごく自然なことなのです。
それに、女性と浮き名を流したり、ナイトクラブで大酒をくらったりしてマスコミに面白おかしく書き立てられている汚名を晴らしたいという気持ちも彼らにはあることでしょう。
それでも、ウィリアムは王位継承権第2位であることから危険な軍務には就けませんが、ハリーなら可能です。
そこに、英国政府や軍の思惑もからみます。
現在アフガニスタンの戦況は思わしくありません。
カブールのカルザイ政権の支配下にあるのはアフガニスタンの三分の一の地域にすぎないとも言われています。
そんな前線でハリーが軍人として活躍したという印象を与えることができれば、アフガニスタンへの英軍の派遣に対する英国民の消極的姿勢が一変する可能性があり、また、チャールス皇太子とダイアナの離婚やダイアナの事故死等で傷ついた英王室の威信の回復にも資するかもしれない、というわけです。
ハリーは予定より6週間早く英国に戻ることになりましたが、英国等における報道ぶりを見る限り、ハリーは十分すぎるくらい、期待に応えたと言ってよいのではないでしょうか。
(以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-harry1mar01,0,5242155,print.story、
http://www.guardian.co.uk/media/2008/mar/01/royalsandthemedia.military、
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/mar/01/military.monarchy、
http://www.nytimes.com/2008/03/01/business/media/01harry.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=print、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/02/29/AR2008022900743_pf.html、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/mar/01/royalsandthemedia.monarchy、
http://www.guardian.co.uk/media/2008/mar/01/royalsandthemedia.military1
(いずれも3月1日アクセス)による。)
<アフガニスタンに行ったハリー(続)>(2008.4.9公開)
1 始めに
結局ハリーは英国に戻されましたが、その後も英米で多くの報道がなされています。
これら報道を踏まえて、続篇をお届けすることにしました。。
(その前に、前回のコラムの補足をしておく。米国のメディアで報道自粛紳士協定の対象になっていたのはCNNとAP通信だった。また、事前に報道したメディアにはドイツの女性誌(後述)もあった。)
2 リークしたメディアへの批判
米国のメディアも今回のような報道自粛を行うことはめずらしくありません。
ブッシュ大統領が2003年の感謝祭の日に初めてイラクを訪問した時は、大統領機が米国に帰還するまで一切報道することが許されませんでした。
また、マケイン上院議員の息子のジムが2月初めにイラク従軍を終えて米国に帰還するまで、大統領予備選を戦っていた同上院議員は息子のことに触れることはほとんどありませんでした。その理由の一つはジムの安全でした。記者達もマケインにジムのことについて突っ込んだ質問をすることを避け続けたものです。
英国では、ハリーのニュースを報じたメディアに対する批判の声があがっています。
オーストラリアのニュー・アイディア誌は、紳士協定の存在を知らなかったとし、1月に報道してから英国防省から何の注意もなかった、もし紳士協定の存在を知っていたならば、決して報道しなかっただろう、という声明を発表しました。
また、2月27日にハリーのニュースを報じたドイツの女性誌「鏡の中の女性」は、英国の軍事筋からその情報を得たとし、紳士協定の存在を知っていたので、あえてぼかすために「ハリーが現在イラクかアフガニスタンで従軍している」とイラクを付け加えて報じた、と弁明しました。
そして、米国のドラッジュ・レポートの主宰者であるブロッガーのドラッジュ(Matt Drudge)は沈黙を保っていますが、ブッシュ大統領やクリントン大統領候補の子供がアフガニスタンに従軍しているとして、同じような報道を行っただろうかと非難されています。
3 成功だったハリーのアフガニスタン派遣
地理的意味での欧州において、近代国家とは戦争を行うための装置であり、それを率いるのが軍人階級である貴族階級によって取り囲まれた戦士たる国王でした。
ですから、現在でも欧州の王室のメンバーは名誉連隊長を務めます。
また、他国の王室のメンバーを自国の軍に迎え入れることも19世紀末には流行ったものです。
フランスのナポレオン3世の息子である皇太子は英国の近衛砲兵連隊に勤務し、1879年のズールー(Zulu)戦争に従軍しました。ところが十分な護衛を付けずに偵察活動を行っていたところ、ズールー族の待ち伏せ攻撃にあい、戦死するという事件が起こっています。
この事件がトラウマとなって、第一次世界大戦の時は、陸軍大臣のキッチナー(Kitchener)卿が時の皇太子の前線勤務を差し止めました。後に英国王エドワード8世となったこの皇太子のシンプソン夫人との恋は、この時の挫折が原因であったと言う人がいます。
第二次世界大戦の時は、時の国王ジョージ6世は、弟のジョージ王子(The Prince George, Duke of Kent。1902〜42年)を英空軍に勤務させたのですが、ジョージ王子は飛行艇に乗って移動中に墜落事故が起き死亡しています。また、ジョージ6世の長女のエリザベス(後のエリザベス2世)を英陸軍に勤務させています。
しかし、英国においてすら、最近の政治家は軍事に疎い人が増えてきています。
大衆と軍との関係も疎遠になってきています。
特にIRAとの戦いで、平素街中では軍人が制服を着用しなくなってからというもの、軍の存在が希薄化してきていますし、献身とか集団的忠誠心といった軍人精神の意義に対し、冷戦の終焉に伴う地政学的、技術的、社会的変化により、1980年代末以降、疑問が投げかけられるようになってきています。
しかし、その中にあって、英国の王室だけは軍との強い紐帯を維持し続けてきました。
伝統と彼らが軍と共有しているところの今やちょっとこっけいにさえなった古い価値観がそうさせてきたのです。
だから、ウィリアム王子やハリーが、軍務に携わりたいと思うのはごく自然なことなのです。
それに、女性と浮き名を流したり、ナイトクラブで大酒をくらったりしてマスコミに面白おかしく書き立てられている汚名を晴らしたいという気持ちも彼らにはあることでしょう。
それでも、ウィリアムは王位継承権第2位であることから危険な軍務には就けませんが、ハリーなら可能です。
そこに、英国政府や軍の思惑もからみます。
現在アフガニスタンの戦況は思わしくありません。
カブールのカルザイ政権の支配下にあるのはアフガニスタンの三分の一の地域にすぎないとも言われています。
そんな前線でハリーが軍人として活躍したという印象を与えることができれば、アフガニスタンへの英軍の派遣に対する英国民の消極的姿勢が一変する可能性があり、また、チャールス皇太子とダイアナの離婚やダイアナの事故死等で傷ついた英王室の威信の回復にも資するかもしれない、というわけです。
ハリーは予定より6週間早く英国に戻ることになりましたが、英国等における報道ぶりを見る限り、ハリーは十分すぎるくらい、期待に応えたと言ってよいのではないでしょうか。
(以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-harry1mar01,0,5242155,print.story、
http://www.guardian.co.uk/media/2008/mar/01/royalsandthemedia.military、
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/mar/01/military.monarchy、
http://www.nytimes.com/2008/03/01/business/media/01harry.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=print、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/02/29/AR2008022900743_pf.html、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/mar/01/royalsandthemedia.monarchy、
http://www.guardian.co.uk/media/2008/mar/01/royalsandthemedia.military1
(いずれも3月1日アクセス)による。)
太田述正ブログは移転しました 。
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