太田述正コラム#1995(2007.8.12)
<イラク化しなかった米国(その2)>(2008.2.13公開)

 (3)拡張し続けることができたこと

 米国の拡張主義については、これまでも何度か採り上げてきていますが、もう一度抑えておきましょう。
 1607年にジョン・スミス(John Smith)がバージニアにやってきてから、独立戦争が始まる18世紀までの間に、バージニア植民地の人々はインディアンと4度にわたって戦い、彼らをバージニア周辺から追い出しました。
 この間、ニューイングランドにやってきたピューリタン達はインディアンと6度にわたって戦い、やはり彼らをニューイングランド周辺から追い出しました。
 1783年に独立を達成すると、英国から割譲されたアパラチャ山脈の向こうの肥沃な土地に米国人はどんどん進出して行きます。この時点で米国の領土は90万平方マイルでした。
 1803年にフランスからルイジアナを購入することで、米国の面積は2倍になります。
 1812年の米英戦争ではカナダを奪取するのに失敗しますが、1840年代に入るとテキサス、オレゴンを獲得し、更に1846年には米墨戦争でメキシコから広大な領土を奪取することに成功します。これにより、120万平方マイルが米国の領土に加わり、同じ時期におけるインディアンの保護区域への押し込めの完結ともあいまって、米国はマニフェスト・デスティニー(manifest destiny)・・両洋にまたがる支配権の確立・・を実現するのです。
 その後、1867年にはロシアからアラスカを購入し、更に1898年のハワイ併合、プエルトリコ、グアムのスペインからの奪取を経て米国の領土は現在の354万305平方マイルとなり、米国は、ロシアとカナダに次ぐ世界第三の領土大国になるのです。

 このように、3世紀にわたって他人の土地を獲得して拡張に次ぐ拡張を重ねてきたおかげで、米国は内部矛盾が先鋭化して無秩序化したり独裁制に陥ったりすることを免れ、複雑な民族構成を持ちつつも、民主主義的政体を維持し続けることができたのだ、と私は思うのです。
 しかし、このような米国の歴史は、米国の人々に拭いようのない刻印を残します。
 すなわち、彼らは、強欲(greedy)で押しつけがましい(intrusive)人々となり、しかもそのことが他の人々に与えている痛みに鈍感な人々となってしまったのです(注2)。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/02/AR2007080201694_pf.html
(8月5日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2007/08/12/books/review/Brookhiser-t.html?adxnnl=1&ref=review&adxnnlx=1186876858-uXhdzPXe8Ck3VOHSIEX3TA&pagewanted=print
(8月12日アクセス)による。)

 (注2)ロシアの歴史もまた、他人の土地を獲得して拡張を続けてきた歴史であることから、ロシア人気質には米国人気質に似通ったところがある。(太田)

 私は、米国の拡張主義が領土の拡大という形をとらなくなるのは、フィリピン領有で懲りたからだと考えています。

 1899年にハバナ港で米国の艦艇であるメイン号がスペインに攻撃されたとして、米西戦争を始めた共和党のマッキンレー(William McKinley。1843〜1901年。大統領:1897〜1901年)米大統領は、フィリピンを「向上させ文明化(uplift and civilise)」せよとの神の啓示を受けたと称し、フィリピン領有に乗り出します。
 4,000名以上の米兵が死亡し、何十万ものフィリピン人が犠牲になってようやくフィリピンは平定されます。
 しかし、フィリピンの一般住民に犠牲者が沢山出たこと、米軍のフィリピン人捕虜の扱いが拷問等過酷を極めたことから米国内で批判が起こります。
 マッキンレー政権は、何ヶ月も前からフィリピン侵攻を計画していたにもかかわらず、フィリピンの人々についてほとんど調べもせず、また、平定後の統治計画もつめていませんでした。
 平定後のフィリピンで、米国は選挙を実施しますが、その選挙で選ばれた政治家達は米占領当局のお眼鏡にはかなう人々ではありませんでした。
 また、米国は、フィリピンのインフラを改善するために多額のドルを投じるものの、フィリピンの人々の気持ちをつかむのには成功しません。
 こうして、米国のメディアも有名人もインテリもフィリピン領有に疑問を投げかけるようになり、やがて米国の実業界も、フィリピン領有の経済的メリットを見限るに至ります。
 結局、フィリピン政策への不人気のせいもあって、1912年までには民主党が上下両院で多数を占めることとなり、長年の共和党優位時代が終わりを告げるのです。
 米国は1916年にフィリピンを独立させること・・フィリピンを放棄すること・・を決定しますが、安定した政府ができる見込みがたたないため、独立付与は遅れに遅れ、先の大戦を迎えてしまいます。
 結局、日本による占領時代を経て、1946年になってようやく米国は軍事基地だけを残して、フィリピンから「脱出」することに成功します。

 (以上、
http://observer.guardian.co.uk/world/story/0,,1973766,00.html
(2006年12月18日アクセス)による。)

 爾後、米国の拡張主義は、領土拡大の形ではなく、軍事基地を設けることによって影響力の維持拡大を図るという形をとることになるのです。

(続く)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/