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太田述正コラム#1990(2007.8.9)
<レーニンによるインテリ海外追放>(2008.2.10公開)

1 始めに

 とっくの昔に『Mao』は読み終わったのですが、『Stalin』はまだ読んでいる途中です。
 この間、先に終わりの方のスターリンが死ぬところを読みました。
 スターリンにいつ殺されるかと戦々恐々としていたソ連指導部の連中が、脳内出血で倒れたスターリンを前にして右往左往し、まさに当時スターリンが、もともとの主治医を含むユダヤ人医師達の大粛清を行っていた最中であったために、入院はおろか碌に治療も受けられないまま、スターリンが緩慢に死んでいくところは、小説より迫力がありました(PP626〜650)。
 ところで、スターリンによる大粛清、大量殺人の起源は何に求めるべきなのでしょうか。
 1918年から1921年にかけての第一回目のそれについて、以前(コラム#1866で)ご説明したことがありますが、もう一つの起源について触れた本が上梓されました。
 ロシア料理やロシアの哲学についての本を書いた英国人女性のチェンバレン(Lesley Chamberlain)のThe Philosophy Steamer: Lenin and the Exile of the Intelligentsia(英国版2006年)または Lenin’s Private War:The Voyage of the Philosophy Steamer and the Exile of the Intelligentsia(米国版2007年)です。
 今回はこの話です。

2 ソ連のインテリの海外追放

 資本主義もどきの経済政策がとられたNEP(New Economic Policy)時代の1922年、ソ連の行く末はまだ定まっていないかのように見えました。
 その年の9月、ペトログラードを一隻の船がドイツに向けて出港しました。その6週間後にはもう一隻の船が続きました。
 この2隻には、ボルシェビキのお眼鏡にかなわなかったベルジャーエフ(Nikolai Berdyaev)達ソ連のインテリとその家族220人が乗せられていました。
 これらのインテリは、帰国したら見つけ次第射殺すると申し渡されていました。
 後にこの2隻は、哲学の船(The Philosophy Steamer)と呼ばれることになります。

 当時、既に赤軍は白軍に勝利していましたが、まだ、思想的にはボルシェビキと反ボルシェビキとの間で戦いが続いており、ボルシェビキは、独立的な雑誌を廃刊に追い込み、大学で粛清を行い、新たな戦闘的なマルクスレーニン主義インテリを輩出させようとしていました。
 哲学の船の出港は、このボルシェビキの戦いが収束したことを象徴する出来事だったのです。
 レーニンがトロツキー(Leon Trotsky)、スターリン、そして秘密警察(GPU、これが後にNKVD、更にKGBとなる)にこれを命じたのです。
 そのやり方は、「危険」な思想家を見つけ、逮捕し、証拠をでっちあげ、事後法を適用する、あるいは法をねじまげるというインチキ裁判を行った上で、永久に追放するというものであり、この後にやってくるスターリンによる恐怖政治の原型と言ってよいでしょう。

 どこが違うかと言えば、このインテリ達が殺されなかったことです。
 レーニン自身、彼らを同等の存在として最低限の敬意は払っていたと思われます。
 哲学の船の出港を見届けていた秘密警察の一員が、「われわれはみんなロシア人だ。どうしてこんなことが起こっているのだ」と言ったというエピソードが紹介されています。 当時、トロツキーが米国人のジャーナリストのインタビューに答えて、この追放は慈悲の行為である、何となれば再び内戦が勃発すれば、連中は敵側に与することになろうが、そうなると殺されることになるからだ、と述べていますが、プロパガンダとはいえ、一抹の真実が含まれていたのではないでしょうか。

 哲学の船に乗せられなくとも、自発的に亡命するロシアのインテリも沢山いました。

 このようにして、この1922年をもってロシア(ソ連)は鎖国体制、全体主義体制となり、その2年後のレーニンの死をはさみ、爾後70年間この体制が維持されることになるのです。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/08/08/books/08grim.html?pagewanted=print
http://www.brandonsun.com/story.php?story_id=64648
http://www.liturgicalcredo.com/LesleyChamberlainInterview031507.html
(いずれも8月9日アクセス)による。)

3 終わりに

 そろそろレーニン論も書きたいのですが、なかなかこれという新著が出ませんね。

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