太田述正コラム#2339(2008.2.2)
<皆さんとディスカッション(続x55)>

<よしだ>

 日本人が他者を受け入れるときは必ず、「身内」として扱ったときだけです。
 自分たちの身内に入った者に対しては徹底的に寛容になり、身内にならず他人にとどまっている限りは、他者は他者として無関心のまま”寛容”です。
 日本の組織が、他者をムラ社会のよそ者に対する扱いをするのは、その人が「身内」ではないからです。それは親族内に入るという具体的な意味合いだけではなく、会社の一員、組織の一員に対して、日本人は擬製の家族関係を築いて安心します。「身内」として認めた者に対しては徹底的に寛容になれるのです。
 逆に異質な他者を他者として「身内」にすることはありえません。外国人を外国人のまま「身内」にすることは感覚的にありえません。彼等に選挙権を与えることは、他者を他者のまま「身内」にすることを意味します。
 太田さんが防衛庁で如才がありすぎて「身内」になれなかったように、ある特定集団の「身内」であると認められるまでは、それなりのものを身に着けなければ(あるいは捨てなければ)ならないと思います。
 在日に対して、現在に状況のまま、即座に地方参政権を与えることは、この「身内」感覚にそぐわないのです。「身内」として認めるための「保証」のようなもの(これまで議論にあった徴兵制のようなもの、あるいはそれに代わるもの)が必要なんだと思います。移民にしてもそうです。
 ・・・
 付け加えます。
 上で擬製の家族関係と書きましたが、擬制の血縁関係と改めます。
 ヨーロッパのように異民族が絶えず流入してきて侵略されることもなく、人間を金で買うという奴隷制を経験したこともない日本人は、実際は太古からの多人種の混血であってもぼんやりと同じ血族(同一民族)であるという幻想を持っています。その幻想にはもちろんよい面と悪い面があるのは承知しています。
 血縁ではない者を血縁のごとく扱うことでで日本的な集団はうまく機能してきたのです。そこでお互い、自分たちの信じている伝統的な文化規範(義理人情だの諸々)に触れるようなことは決してしないという信頼を培ってきたのです。それが「身内」です。
 朝青龍がなぜ好意的に受け入れられないかというのも(私は個人的には面白い人物だと思っていますが)、自分たちの「身内」に入れてやったのに、その「身内」の嫌がるような、その信頼に背くようなことを平気でするからです。白鵬のほうはどうにか「身内」の振る舞いをそつなくこなしているようです。「形は心」といいます。
 ですから、在日の地方参政権についてですが、まず私は、今まで、総連や民団が、日本人拉致被害者について、日本人の「身内」として何か公に祖国に主張した という事実を寡聞にして知りません。強制連行や慰安婦等の嘘はつけても、日本人なら当然である拉致被害者の返還については口を開きません。外国人だからで す。
 こういう人たちを「身内」として誰が感じることができるでしょうか。やはりいつまでたってもよそ者なのです。

<太田>
 
 短い文章中に、「身内」、「擬制の家族関係」、「ムラ社会」、「擬制の血縁関係」という言葉が登場しましたね。
 村上泰亮、公文俊平、佐藤誠三郎各氏による日本社会論に登場する「イエ」「ムラ」論(
http://www.glocom.ac.jp/proj/kumon/paper/1992/92_03_15.html
。2月1日アクセス)を連載で読んだ大昔を懐かしく思い出しましたよ。
 この際、村上らの日本社会論と私の日本型経済体制論や縄文・弥生モード論がいかなる関係にあるか、稿を改めてご説明した方がよさそうですが、しばらくお待ちを。
 とにかく何度もお願いしていますが、議論をする時は、できるだけ典拠を付ける努力をしてくださいね。

<ueyama>

 ただの感想ですが、

>留学生を増やすためには、本国に帰っても日本と関わりのある仕事に就きたい、日本で仕事に就きたい、日本に永住したい、日本の国籍をとりたいという人も増やさないとダメです。(コラム#2334)

 これは本当にその通りで、留学生を増やして、意図的に日本シンパを増やすということに自覚的にならなければなりません。それを意識することなく、ありのままを好きになってほしいというのは、あまりにナイーブな話だと感じます。

>1の「政治家からもあまり聞かれなかった」理由、2の「インターネット等に」において「センセーショナル」な議論が行われている理由、はなんだ、と私は問いかけているのです。(コラム#2334)

 その通りですね。実は書きながら気づいていたのですが、意識的に無視して書き込んでしまいました。苦笑しかできません。ムラ社会だから、というご意見もありますが、少なくとも都会の若い世代に私は(私が認識しているところの)ムラ社会を見ることはできません。私の実家は想像を絶するほどの田舎ですが、そこですらそこまで強固な排外思想は存在しないように思います。

 1については、それこそ(太田さんがおっしゃるように)「属国」であることによって、日本人だけで充分であると錯覚したまま(不幸にも)今までやってこれてしまったから、ではないでしょうか。一部の人間が、コントロールが容易な「単一民族」という幻想を意図的に利用したのかもしれませんが、根拠なしです。

 2については、「日本人の移民拒否感情が最近多く聞かれるのは、経済的に不利な境遇にいる人たちが、在日韓国・朝鮮人の方に対する優遇政策を簡単に(誤解を含みつつ)知ることができるようにな<ったからだ>」(ueyama・コラム#2327)
 もう少し補足すると、この「経済的に不利な境遇にいる人たち」というのは、インターネットが存在しなければ、例えば上記の桜の花さまが提示されたような資料に容易にアクセスすることはできなかったのです。自分がこんなにもの不安を抱えているのは何故だ?と考えたときに、特別永住者問題という、それこそ名前通り「特別」な存在に矛先が向いたのだ、とは考えられないでしょうか。金持ちに矛先を向けたって、「がんばれば(場合によっては)君も金持ちになれるさ」と言われるだけであることを(そしてそれが概ね正しいことも)彼らは知っており、逆に、特別永住者にはどうしたってなれないのです。
 センセーショナルな議論という意味では、特別永住者問題と部落問題は同根ではないかと感じますが、それであれば、一般人の排外思想が原因、というのは成り立たないのではないでしょうか。
 余談ですが、最近、「部落民になりたい若者が急増」というジョークが一部で流行りました(典拠省略)。まあ、5年間で8日働けばポルシェに乗れると言われれば、こんなジョークがでてくるのも理解できます。(
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200610180013.html

 もっとも、民間企業(外資系大手SIer)でも、鬱病で年間10日ほどしか出勤してこなかった、という話も聞いたことがあります(知人の同僚の話)。ジョークの元は、それが本当には病休でなかったから問題なのでしょうけど。
 3の問題認識に関しては完全に意を同じくしています。

 最後に、コラム#2334の桜の花さまが引用された資料についてですが、この時期日本人受給者はそれ以上に増えています。推測ですが、主に、年金を払っていなかった高齢者が働けなくなった、ということでしょう。(
http://koreanthe3rd.jp/archives/206


<太田>

 日本の部落民の起源については、いまだ定説がないようですが、私は、縄文人のうち、逃散もせず、かつ弥生人の支配下で稲作等に従事することも拒否して、縄文式狩猟採集中心の生活を続けようとした人々が起源ではないか、という仮説を抱いています。
 仮にこの説が正しいとすると、特別永住者と部落民の心情、そしてまた、縄文人中の多数派の末裔たる日本大衆のこの両者への羨望を秘めた反発、差別意識には重なり合う部分がある、と言えるかもしれませんね。

<ueyama>

>米国では、憲法上の徴兵制度とは、・・・徴兵義務というよりは徴兵に応じる権利に近い存在ではないのか(コラム#2334)

 についてですが、少なくともアングロサクソンにとっては、その権利を行使するのが当然のことであるから、義務であることに特別の違和感はないのだ、ということでしょうか。
 これを聞いてすっきりしました。そしてやはり(非現実的といいながら)、我々は戦う権利を持ち、国軍に参加する権利を持ち、国軍に「求めがあれば必ず」参加する、と宣言したものにだけ参政権を与えよう(宣言しなくたって戦う権利は(国軍に参加する権利も)失わない)でかまわないのではないか、という思いを強くしました。
 勘違いかもしれませんが・・。

<太田>

 決して勘違いじゃありません。

<遠江人>

 ブログ投稿数世界一は日本
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070406_technorati_blog/

 についてですが、これ、国土の大きさと人口が比較的日本に近い先進国であるドイツが1%ということを考えると、37%というのは本当にべらぼうな数字ですね。「祭り」「炎上」といったことは日本独自のブログ文化(?)なんでしょうか。とにかく日本人は文字を読んだり書いたりするのが本当に好きなんですね。

<太田>

 アングロサクソン文明における個人主義とはひと味違うけれど、日本も個の主張を尊重する文明の下にあるということだと思います。
 日本の場合は、個の主張は、個の感性の披露という形をとるという特徴がありますがね。
 いずれにせよ、ここが世界のその他の文明とは決定的に違うところであり、私見では、個の主張を尊重するという意味で、アングロサクソン文明と日本文明は、世界で稀な自由主義文明なのです。
 ただし、日本では、アングロサクソンのように事実の提示と論理で他人を説き伏せようとはせず、感性を披露して共感を呼ぼうとするわけです。
 私は、日記文学からブログに至る日本文明の系譜を、このような視点でとらえているのです。
 (事実の提示と論理で他人を説き伏せようとする私のブログの購読者数が伸び悩むのは、当たり前かも・・。)

<ろく>

 TVでもネットでも本音と建前発言コメンテーターの多い中、太田さんの正直な意見は重要だと思っております。
 率直だけによく周りから叩かれて見ていられないこともあります。
 しかし、特にTVは表情を出すものです。
 おどおどした態度はよくありません。
 言っていることは正論ですので堂々として下さい。
 今の太田さんに足りないのはその部分です。

<太田>

 私のいつの出演のことですか? 自分じゃ全くそんな自覚はありませんが・・。

<友人TK>

 1月18日の「太田総理・・」での太田君はすごく光っていました。

<太田>

 という声もありますよ。

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/