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太田述正コラム#2251(2007.12.22)
<NLPで役人を辞めた私(その3)>(2008.1.30公開)

(脚注)実は10月17日に、三村衆議院議員が仙台の私を訪問し、フォーリー米大使が、朝飯会でNLPの必要性を力説していたと話をした上で、三沢の四川目地区にNLP用滑走路をつくったらどうだと先方から言い出したのびっくりした。その際私から、関根浜に原子力空母の母港をつくる私の案を説明し、先方は前向きの反応だったと記憶しているのだが、残念ながら日記には記載がない。三村衆議院議員とは現在の三村申吾青森県知事のことだ。

 11月13日には、佐藤謙防衛事務次官に次のような書簡を送りました。

防衛事務次官
佐藤謙様

前略

 先日は、久し振りにお目にかかれ、申し上げたいことの一端を直接お話しすることが出来ました。その時、意を尽くせなかった部分を文章にいたしましたので、同封のペーパーをお読みいただければ幸いです。
 このペーパーをお読みになれば、ご理解いただけることと存じますが、今回は、お読みになっただけでお終いということには決してなりませんので、念のため。

                                     草々

                               平成12年11月13日

                               仙台防衛施設局長
                                    (署名)

          三沢問題、すなわちNLP問題の抜本的解決のために

1 三沢事案について

 別添の防衛施設庁長官宛報告書を、まずお読み下さい。(この報告書は、(半年ほど前から、月一回)各施設局長が長官宛に報告書提出を義務づけられているところ、私の提出した前々回のものです。原則長官だけがご覧になるものと思っておりましたが、次長、総務部長、施設部長には必ずコピー、配布される取り扱いになっていることを前回の上京時に知り、冷や汗をかいた次第です。)
 防衛施設本庁の三沢市に対するこのところの対応は失敗続きなのですが、その大部分は、施設本庁が私の意見を採用し、或いは意見を聴取しておれば避けえたものです。施設本庁が私を無視する(同じことが私が防衛審議官の時、内局で生じた)のは、防衛庁内局及び防衛施設庁において、私に対するいわれなき偏見が存在するからです。およそ、担当局長たる私・・しかも、三沢市長とは信頼関係を築いている私・・を無視して三沢問題への適切な取り組みが可能なはずはありません。そのためにも、私に対するいわれなき偏見を解消する(=私の名誉回復を行う。別の言葉で言えば、諸冨氏によってねつ造された歴史を修復する)必要があります。これが私が本ペーパーにおいて主張したい第一点です。
 さて、三沢問題中、最優先事項は、NLPに抗議するため、三沢市長が実施した米海軍との断交問題への取り組みです。(この問題を解決しないと、厚木での同様の断交問題を解決できませんし、三沢の第二滑走路整備問題を始めとする諸懸案が前に進みません。)この断交問題に取り組むためには、当たり前のことですが、NLP問題そのものへの取り組みが必要となります。ところが、NLP問題とは何ぞやということも、防衛庁内局及び防衛施設本庁では十分理解されていません。これが私が本ペーパーにおいて指摘したい第二点です。
 論旨は、もっぱら、第二点をめぐって展開させますが、、第二点と第一点が分かちがたく結びついていることを訴えることが、このペーパーの究極の目的です。

2 NLPについて

 (1)問題の所在

 F-2事案「決着」後、鈴木三沢市長は、「三沢の米空軍司令官アターバック准将から、今回の三沢等でのNLPについては、施設庁も実施を了解していたと言われた」と、再度激怒して見せました。(この話は次官にとっては恐らく初耳だと思います。)アターバックがそのような発言をすることは大いに考えられるところです。
 というのは、防衛施設本庁が、(従ってまた外務省も)今回の三沢等でのNLPの中止方を米側にあえて強く求めなかったことは事実だからです。なぜ求めなかったか?それは、米軍、とりわけ太平洋軍―第7艦隊(ないし在日米海軍)のラインが、かねてより、施設庁の言うことに何ら耳を貸そうとしないため手を焼いており、今回、この「異常な」NLPを米海軍に強行させ、三沢等の地元の反発の強さを骨身に染みて感じさせ、今後、米海軍がNLPを原則硫黄島だけで実施せざるをえないよう追い込もうとしたためです。
 しかし、このような施設本庁の対応ぶりは、誤った情勢認識に基づいており、不適切きわまりないものです。
 このことは、NLP等の経緯を振り返ることにより、自ずから明らかになります。

 (2)過去の経緯

一、日本政府、就中施設庁は、米空母受け入れ(米海軍の本格的な日本への前方展開受け入れ)にあたって、厚木のNLP等に伴う騒音問題は対処可能であると米側に伝えた。
二、しかるに、その後、厚木においてNLP等への地元の反発が強まると、施設庁は前言を翻し、米側に、厚木以外でNLPを実施して欲しいと伝え、三宅島を候補地として提示した。ところが、最初のアプローチの仕方が不適切であったため、三宅島住民を怒らせ、三宅島におけるNLP施設の整備は困難となった。そこで施設庁は、米側に対し、三宅島で施設が整備されるまでの間、硫黄島で暫定的にNLPを実施して欲しいと懇願した。米側は、話が違うではないか、第一硫黄島は余りに遠方である、として難色を示し続けた。しかし、最終的には、米側は、暫定的な使用であることを念押しした上で、追加的経費の施設庁による負担を含みにしぶしぶ硫黄島におけるNLP実施を受け入れた。爾後、NLPが厚木等の本土基地で実施されるのは、硫黄島が天候不順等の理由で使用できない時と空母が突然出港を命ぜられた場合の二ケースに限られることになった。
 (米海軍が硫黄島でのNLPが耐え難いとしているのは、ア 遠方にある同島への往復が危険である(特に往路、硫黄島の天候が急変した場合、引き返すだけの燃料が確保できず、機体を投棄して不時脱出を余儀なくされる恐れがある)、イ NLP実施後、硫黄島に宿泊する必要があり、家族と過ごせない、ウ 硫黄島の滑走路において、地熱のため、突然凹凸ができたり亀裂ができたりすることによる危険性もある、ため。)
三、三宅島でのNLP施設整備は、やがて不可能であることが明白になった。にもかかわらず、施設庁は、米側に対し、決してあきらめていないと言い続けた。しかも、施設庁は、(三宅島が最適だとして、)三宅島以外のオプションを追求しようとはしなかった。これは、厚木の地元自治体が、三宅島等、厚木近傍でのNLP実施は、訓練機の深夜の厚木帰投をもたらすので、これに反対であることが明らかになってきたためでもある。しかし、このことも施設庁は米側に率直に伝えていない。(米軍側は、これらの事情に気づかないほど無能ではない。)
四、米海軍は、外務省、防衛庁(防衛施設庁を含む)が、米海軍の日本前方展開の意義について、国民にPRする努力を全くしていないことにも腹を立て始めていた。阪神大震災の際、神戸港への米空母の派遣を断られたことも、米海軍にとって大変なショックだった。 また、施設庁の上層部に内局キャリア出身者が増えれば増えるほど、彼らの(自衛官蔑視や「エリート」意識に由来する)米軍人蔑視、在日米軍軽視(=国防総省・太平洋軍重視)、国務省(在京米大使館)最重視の姿勢、及び彼らが身につけた悪しき組織文化たる徹底した消極性は、在日米軍の反施設庁意識を次第に増幅させ、在日米軍をして、施設庁を無視せしめるに至る。その在日米軍との関係を極限にまで険悪化させたのが、沖縄問題に火がついた頃、調達実施本部長から施設庁長官になった諸冨氏だった。
五、NLP等に係る施設庁の不誠実な対応に怒った米海軍は、1996年暮れ、硫黄島NLP協定(日本側の物的・経費的支援内容を規定したもの)の調印前日に調印延期を在日米軍司令部に要求し、同司令部は遺憾の意を表しつつ施設庁にこれを伝達した。これは、不誠実な施設庁に抗議をするため、このタイミングを選んで行った米海軍の示威行為(=カネなどいらない、硫黄島は嫌だ。施設庁はけしからん。)だった。しかし、この衝撃が施設庁等に浸透する前に、(佐世保におけるベローウッド補修問題への積極的取り組み等で)米海軍が多大の恩義を感じていた私(当時施設庁首席連絡調整官)による、在日米海軍司令官に対する膝詰めの説得を受け入れ、彼らは翌1997年初頭、一旦矛先を収めた。ところが、半年後、あろうことか、その私が、米軍との関係悪化のスケープゴートとして諸冨氏によって左遷され、爾後、施設庁は米軍、就中米海軍との関係修復を全くはからないまま(はかるすべのないまま)現在に至る。
六、他方、米海軍は、在日米軍全体が掲げた良き隣人政策の下、直接日本国民に対するPR作戦を展開するに至る。それが小樽港等今まで訪れたことのない港への空母の訪問作戦である。この大成功に気をよくし、彼らは、これまで何もしてくれなかった外務省・防衛庁(防衛施設庁を含む)への不信感を一層高めた。ここで、米海軍は、硫黄島以外(すなわち本土)でのNLP実施割合をなしくずし的に増加させることを試みた。抵抗は余り強くなく、施設庁の抗議も殆どなかった。これに「味をしめた」米海軍は、在日米軍司令部、在京米大使館の暗黙の了解を得つつ、今回のNLP決行に至る。ねらいはNLP問題の抜本的解決に向けての日本政府へのアッピールと、三沢に対する本格的NLP基地としての瀬踏みだった。
七、今回のNLPに対する三沢市長の(在三沢海軍部隊との)断交及びこれに触発された厚木の地元(の大和市。綾瀬市は追随せず)の所在米軍との断交は、米海軍の予想を超える反応だったが、三沢については、それ以上の手段が三沢市長にはないことを見切り、むしろ、三箇所の地元での反撥が、日本政府をしてNLP問題への抜本的取組を促すであろうと考え、日本政府の出方を注視している。

 (3)NLP問題の重要性

 片務的な日米安保に最低限の双務性を付与しているのが米軍の日本列島への前方展開であり、その中核が第7艦隊の前方展開、すなわち米空母の日本母港化です。(陸軍は既に撤退を完了しています。在沖海兵隊は、その存続すら取りざたされています。また、米空軍は、中継基地として日本に拠点を残しておけば、第一線部隊を前方展開しておくことは至上命題たりえません。)
 空母母港化の必要条件は艦載機のNLPが実施できることであり、NLPの実施が困難であれば、米海軍の日本列島への前方展開は不可能となります。
 すなわち、米海軍がNLP問題を訴え続けてきたこの数年間、わが国は日米安保の信頼性の危機に直面してきたことになるわけです。

3 現状報告

 NLP問題の抜本的解決を図る必要があるという私の主張は河尻施設庁施設部長にもぶつけましたが、説得できませんでした。そこでやむなく、現在、私案(別添英文メモ参照。なお、このメモの射程外の話ですが、次期米空母(原子力空母)の母港としては、現在の横須賀、そして呉等岩国の周辺に比べて三沢周辺の方がよりふさわしいと思います。我が国の原子力船むつがその最終場面で定係港とした、むつ市の関根浜(津軽海峡側)がその候補地としてあげられます。)のライン(=決してこれまでの日本政府の公式の立場に反する内容のものではありません)で三沢のアターバックとハイ空海両軍司令及びメザーブ札幌総領事並びに三沢市長と非公式の意見交換を始めたところです。これまでのところ、各人から良い感触を得ていますが、もう少し議論を深めた上で2〜3週間後に上京し、次官に直接「調整状況」をご説明したいと考えております。その際、冒頭に記した私の一身上の問題についても、あわせてもう少しご説明させていただければ幸いです。
 勝手なお願いではありますが、このレターそのものはもとより、私が改めて次官にお目にかかりたいという希望を持っていることについても、現段階では誰にも明かさないようにしていただきたいと存じます。(NLP問題の抜本的解決の必要性を認識しているのは、現役の防衛庁キャリアの指定職クラスでは、宇田川施設庁次長くらいではないかと思います。また、(本当の事情を知っていたにもかかわらず、あえて誤情報を流し、或いは沈黙してきた何名かの人々は別として、)私の一身上の問題について私から既に聞かされているのは、宇田川次長、河尻施設部長など、数名にとどまります。)

(続く)

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