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太田述正コラム#1879(2007.7.25)
<張戎達の『マオ』をめぐって(その1)>(2008.1.22公開)

1 始めに

 張戎とは誰かと思われたかも知れませんが、夫のハリディ(Jon Halliday)と一緒に『マオ?誰も知らなかった毛沢東(MAO: The Unknown Story)』を書いたJung Chang のことです。
 読者からの投稿に促されて、この本をめぐる論議をご紹介することにしました。

2 『マオ』をめぐる論議

 (1)全般

 『マオ』を評価する学者から始めましょう。
 英国のLSEのヤフーダ(Michael Yahuda)教授と米カリフォルニア大学のボーム(Richard Baum)教授は絶賛しています。
 スターリン本の著者として有名なあの英国のモンテフィオールも絶賛しています。
 次に、批判的な人々です。
 米エール大学のスペンス(Jonathan Spence)教授は、毛沢東一人に焦点を当てすぎていると批判していますし、米コロンビア大学のバーンスタイン(Thomas Bernstein)教授は、複雑で矛盾に満ちた、様々な側面のある指導者であった毛沢東を単純化し過ぎていると批判しています。

 (2)建設的批判

 厳しく批判しつつも一定の評価をしているのが米コロンビア大学のナサン(Andrew Nathan)教授です。

 同教授はまず、この本における新規な主張の多くが、チェックしようのない典拠(注1)や推測または状況証拠もしくは誤りによってなされていることから、その真偽は現時点においては不明であるとしつつも、この本が毛死去後に出現した沢山の、毛の同僚、部下、スタッフ、犠牲者による回顧録や(これまで中国専門家が活用したことのなかった)ロシア、アルバニア、ブルガリアの文献を活用するとともに、毛の妻達や子供達の苦しみに光を射てており、この本における新規な主張の中には将来正しいという結論がくだされるものも恐らく出てくることだろう(注2)、としています。

 (注1)ただし同教授は、この本を貫く張戎達の毛への憤怒は、チェックしようのない典拠・・未公刊のあるいは名前不詳の支那人による典拠・・の最大公約数を代弁したものであることは間違いなかろう、としている。
 (注2)同教授は、真偽不明の張戎達の主張として、例えば、中国共産党に農民を重視せよと最初に命じたのはロシア(ソ連)だった、孫文の未亡人の宋慶齢はソ連の手先だった、1930年代にソ連は蒋介石に対抗していたある軍閥とも通じておりその軍閥はソ連が自分を蒋介石に代わって支那の支配者にすべく支援してくれるかもしれないと思っていた、毛は日本の諜報機関との長期的協力を1939年に始めた、毛は米国共産党内にロシアが持っていない強力な諜報網を持っていた、朝鮮戦争の始まる前に毛は金日成に中共が中共軍を派遣することを約束していた、その後毛は金日成を追放しようと画策したことがある、1950年代初めに毛はソ連内で陰謀的工作活動を行った、を挙げる。
    他方、誤っている可能性が高いものとして、同教授等が挙げるのが、共産党軍の長征を成功させたのは蒋介石だったとする張戎達の主張だ。

 次に同教授はこの本の最大の弱点を挙げます。
 すなわち、張戎達が描くところの人間失格的な毛沢東がどうして権力を握ることができたのか、十分説明がなされているとは言えない、という点です。
 この本では、毛沢東が、怠け者で不真面目であり、権力と逸楽を好み、独創的な思考力がなく、戦術に長けていたものの戦略には疎く、自己中心的で見境亡く残虐であって、ありとあらゆる人に嫌われたとした上で、そんな毛沢東が権力を握ることができたのは、彼がライバル達よりワルだったからだ、としているのですが、答えになっていないというのです。

 同教授は、前段が間違っている、つまりは毛沢東は必ずしも人間失格的な人物ではなかったのではないか、と畳みかけます。
 すなわち同教授は、張戎達の毛沢東に対する「誤解」は、彼女らが毛沢東の書いた詩や行った演説を額面通りうけとったところから来ているのではないか、と指摘します。例えば、毛沢東が、飢饉や核戦争など大した話ではないという趣旨の演説をしたことがあることは事実であるところ、それらが単なる修辞であったりユーモアないし皮肉であったり、場合によってはミスリードするのが目的であったりした可能性を排除できない、というのです。

 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Mao:_The_Unknown_Story
http://www.lrb.co.uk/v27/n22/nath01_.html
(いずれも7月25日アクセス)による。)

(続く)

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