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太田述正コラム#1736(2007.4.17)
<宗教を信じるメリット?(その6)>(2007.11.3公開)

 (本日は過去の非公開コラムを2篇アップないし配信させていただきました。最初のコラムは「時事篇」であり、このコラムは「理論篇」です。通常の私のコラムの感じをつかんでいただけるのではないでしょうか。(太田))
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 さて、世界の主要宗教(無宗教を含む)を、信者数の多い順に並べると、21億人のキリスト教、13億人のイスラム教から始まって、11億人の無宗教、ヒンズー教、支那系宗教、仏教、原始的宗教、アフリカ系伝統的宗教、シーク教、北朝鮮の2300万人の主体思想(注8)、精霊信仰(Spiritism)、ユダヤ教、バハイ教、ジャイナ教、400万人の神道、カオダイ教、ゾロアスター教、200万人の天理教(以下略)なのだそうです。

 (注8)主体(Juche)思想が宗教に分類されていることに注意。脱北者の多くがキリスト教徒になるのは、脱北の手助けをする団体に韓国のキリスト教系団体が多いこともあるが、宗教信徒的マインドを北朝鮮時代に叩き込まれているからでもあろう。

 これまで説明しませんでしたが、アブラハム系宗教(Abrahamic religions)とは、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・バハイ教を指します。(ついでに言うと、ヒンズー教・仏教・シーク教・ジャイナ教は戒律系宗教(Dharmic religions)として括られる。)
 このリストのトップのキリスト教は、一番「成功」した宗教ということになり、南北アメリカ、欧州/ロシア、中部・南部アフリカ、オセアニアを席巻していますが、一人当たりGDPで見ると世界の最も豊かな国から最も貧しい国までが含まれています。
 ですから、キリスト教は信徒たちを最も適切に環境に適応させることができた宗教である、とは言えそうにありません。
 それにデータがないので、あくまで推測ですが、恐らく上記分類の中で、一番一人当たりGDPが高いのは無宗教の人々でしょう。
 これらだけでも、宗教・適応説はウソっぽいことが分かります。

 引き続き、焦点をキリスト教にしぼって議論を進めましょう。
 
<挿話一>
 紀元5世紀前半にアイルランドにおいて、聖パトリック(Patrick)によるキリスト教の布教が始まり、アイルランドは200年かかって完全にキリスト教化した。実はアイルランド、は欧州において、平和裏にキリスト教化された唯一の地方なのだ。(
http://www.slate.com/id/2161842/
。3月17日アクセス)

<挿話二>
 「13世紀初め、修道僧のアッシジのフランシス<(Francis of Assisi。1182〜1226年。フランシスコ修道会創始者)>は、第五回十字軍に戦士としてでなく、平和追求者として参加した。・・フランシスは地中海を渡って、・・第三回十字軍を打ち破った大サラディンの甥であるアル・マリク・アル・カミル(al-Malik al-Kamil)のエジプトの宮廷を訪れた。フランシスはこのサルタンに直接お目見えがかない、キリストのことを話した。・・イスラム教徒に<異教徒が>布教をすれば、その場で首をはねられても仕方がなかったが、カミルは賢明にして穏和なる人物であり、フランシスの勇気と誠実さに深い感銘を受け、彼ともっと話を交わしたいと一週間滞在するよう勧めた。フランシスもまた、イスラム教徒の宗教的献身に深い感銘を受けた・・フランシスはエジプトの海岸の十字軍の陣営に戻り、法王ホノリウス(Honorius)3世から十字軍の目付役に任じられたパラギウス・ガルヴァニ(Pelagius Galvani)枢機卿に対し、サルタンと和平をすべきだと説いた。サルタンの方の軍勢の方がはるかに優勢だったが、サルタンは和平に応じる用意があった。しかし、枢機卿は軍事的栄光の夢を抱いており聞く耳を持たなかった。結局、夥しい人命が失われ、枢機卿は破れ、十字軍の時代は不名誉なる終焉を迎えることになる。・・フランシスこそ、平和追求という革命的な考えを持って欧州から他の大陸に旅した最初の人物だった。」(
http://www.nytimes.com/2006/12/25/opinion/25Cahill.html?pagewanted=print
。2006年12月26日アクセス)

<挿話三>
 「<日本の>戦国時代末期から近世初期にかけてのキリスト教は、ポルトガルやスペインといった世界帝国の国策をになって侵略の尖兵となった・・。・・日本において、ハルマゲドンが最初に信じられたのは、<この時>以降のことである。キリスト教は、日本に入ってきて、主に支配者層を布教のターゲットとした。・・<そもそも、>ヨーロッパでは封建王政とキリスト教が共存しており、領主に反抗すること<はご法度だった。>・・<だから当初は>終末論的な側面はあまり出てこなかった。・・<にもかかわらず、ハルマゲドン>が歴史の表面に噴出したのは、キリスト教が弾圧され、ハルマゲドンを望む思想状況が生まれたからである。寛永14(1637)年、天草・島原地方で勃発したいわゆる島原の乱は、そのような文脈でとらえる<べきである。それは、>追い詰められた信者の絶望的な蜂起というよりも、ハルマゲドンを予感した信者たちの積極的な行動であった。・・天草四郎の奇跡も当時の人に信じられ、「野も山も草も木もみな焼ける」という予言も蜂起によって実行された。秩序の側に立つ者たちにとって、このような命知らずの集団は・・<現代日本で起こったオウム真理教の「蜂起」に瓜二つの>・・狂気としか思えず、恐ろしい存在であっただろう。・・このような蜂起を経験して、幕藩権力がポルトガル人を追放し、より厳しいキリスト教弾圧に乗り出したのは理由のないことではない。」
(山本博文『江戸時代を探検する』新潮文庫2005年(原著は1996年)158〜159頁、177〜178頁。ちなみに、山本は、東京大学史料編纂所教授。)

 このわずか、三つの挿話だけからも、キリスト教は、欧州においてすら、もっぱら強制力を用いて異教徒を改宗させることによって布教され、欧州諸国による世界侵略の尖兵となり、世界に終末論的狂気を輸出したことがお分かりいただけるのではないでしょうか。
 ユダヤ教だけは布教はしないので異教徒の強制的改宗もしませんが、以上は、アブラハム系宗教に共通する属性なのです。
 一体どうしてそんなことになってしまうのでしょうか。
 
(続く)
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太田述正コラム#2158(2007.11.3)
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