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太田述正コラム#2133(2007.10.19)
<報道の自由「後進国」の日本・再訪(続)>

<友人K2>

 “報道の自由、広報の自由、情報開示の「後進国」の日本・・”についてため息の出るようなことが江戸川区の方で起こっています。
 江戸川区では無所属議員は一年間に一度20分間だけ議場での質問が許されるのだそうですが、そこで(以前コラム#751を寄稿したことがある)上田令子議員が5分間だけ触れたことが前代未聞のことだったそうで蜂の巣を突いた様な大騒ぎとなっており、役人からは総ボイコット、仲間の筈の議員達からも非難轟々の状況だそうです。
 上田議員は平気でいるようですが、近くスキャンダルでもデッチ上げられて議員生命もそう長くはないかも知れません。
 江戸川区では長年野党も含め区長に楯突いたものは一人も居らず、質問の冒頭では区長の業績を褒め称える言葉から始まり、野党議員は行政府の役人に依頼事項をお願いする演説をするものだったのだそうです。
 ましてや、区政の決定権が区議に有ることなど夢にも思っていないそうです。
 同議員の初めての一般質問演説です。
http://www.gikaitv.net/dvl-edogawa/2.html
 全てを見る必要などありません、12分目からの5分間と最後の2分間だけ見れば十分です
 私の目には何の変哲もないただの質問演説に過ぎないように見えるのですが、江戸川区では巷では醜聞が囁かれながら誰一人としてその点について質問をする者は居らず、そもそも執行部の役人が既に決めている事に口を差し挟むことなどあり得ないことなのだそうです。
 これが田舎の村会ではなく、都内23区の一区での実態の様です。
 大臣が答弁に詰まって次官を振り返ったとき、或いはその次官が振り返ったとき、急場の回答を考えねばならぬ立場にあった太田さんにはまた別の感想がおありのことでしょうね。

<太田>

 上田議員の江戸川区長との質疑を聞かせていただきました。
 区と区議会関係者との癒着疑惑を勇をふるって追及された議員に敬意を表します。
 それ以外の部分ですが、江戸川区がゼロ歳児を対象とする保育ママ制度をとっていることを初めて知りました。
 23区それぞれ、結構個性のある行政ができるのですね。

 ところで、コラム#2132(概要のみ既公開)では防衛省不祥事として防衛装備品調達をめぐる疑惑だけを挙げましたが、次官任免をめぐる騒動も挙げるべきでしたね。
 私のこのコラムを読んだかのように、本日朝日新聞と産経新聞が防衛省不祥事を報じました。
http://www.asahi.com/national/update/1018/TKY200710180380.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071019/crm0710190804003-n1.htm

 電子版を読んだ限りでは、産経の方が踏み込んでおり、朝日が守屋前次官のゴルフ接待疑惑だけを取り上げているのに対し、産経は、昨年6月に商社の山田洋行を退職し、他の同社社員達と一緒に日本ミライズという商社をつくった元山田洋行専務の山田洋行時代の特別背任容疑での検察の動きを報じるとともに、「元専務は山田洋行在職時に、米国の防衛重機メーカーや旧防衛庁(現防衛省)に対する営業活動や政界工作で中心的な役割を担っていた。守屋武昌前防衛事務次官ら防衛省幹部とも近い関係にあり、十数年にわたり、ゴルフや飲食接待を行っていたという。不正支出の一部はこうした接待の原資になった疑いもあるという。」と記しています。
 これは私が12日夜に録画撮りした某TV局(脚注)の記者が話していた検察の動きの予想通りの記事ですが、天下りの話が全く記されていない点に不満が残ります。
 遅きに失したとはいえ、やっと報道がなされたことにひとまず安堵しました。
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 (脚注)
 コラム#2043に記した以降の取材状況(Mixiコミュニティ既掲載)を日記風に紹介しておく。
 9月6日:本日、別のTV局の取材を受けました。本日聞いた話で興味深かったのは、検察は、政治家について、旧防衛施設庁がらみの案件で依然捜査を続けているようだ、という点です。
 9月10日:本日、三つ目のTV局の取材を受けました。記者は、検察は、世上流布している話と全く違う話(旧施設庁がらみの案件?それとも山田洋行以外の会社がらみの案件?)で政治家を狙っているに違いないという気がする、と言っていました。    
 9月11日:本日、以前一度取材を受けた新聞社の別の記者の取材を受けました。本日の記者は、検察が動くとしたら、テロ特措法の動向がはっきりする11月1日以降だろうと言っていました。
 9月18日:本日、また新たな新聞社の記者の取材を受けました。この記者も、検察が向かっている方向が分からない、とぼやいていました。私からは、これだけ長々と捜査をしていれば、証拠隠滅されてしまうではないか、との率直な気持ちを話しておきました。
 9月26日:本日、またまた新たなTV局の取材を受けました。検察は、接待だけしか固めきれておらず、何とかカネの収受を裏付けられないか、苦労している様子だというのです。私からは、接待だけでの立件を躊躇するのは、検事だって接待を受けているからだろう、と茶々を入れ、カネは動いていないのではないか、天下りの話を追求すべきだ、と話しておきました。
 9月28日:本日、前に取材を受けた記者からのメールに、「防衛省関連、引き続き取材しております。今週は、別件の、表参道の一等地の詐欺事件で東京地検特捜部が立件しましたが、防衛省関連も着々と進んでいるようです。」とありました。ホントかなあ?ホントだったらいいけど・・。
 10月11日:本日、また新しい新聞社の取材を受けました。検察よ。これだけ多くの人々の時間と労力を無にするようなことはないでしょうな。
 10月12日:本日、某TV局の前取材を受けた記者から、いよいよ検察が動きそうだとの連絡がありました。大団円が目前のようです。
 10月16日:上記TV局で夜録画撮りをしました。私が話したことの要旨をコラム#2126(未公開)に記しました。
 10月19日:以前取材を受けたTV局の別の記者から取材を兼ねて録画撮りの打診がありましたが、天下りの話が出ていない現状では話しづらいと答えておきました。今度もまた、自分の局の別の記者が本件で私を取材していることをこの記者は知りませんでした。
 これで、私を取材した記者(録画撮りの際にインタビューした記者を含む)は計14名となり、新聞社が5社、TV局が4局です。
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 有料版のコラム#2134(2007.10.19)「有色人種差別の国・米国」のさわりの部分をご紹介しておきます。
 コラム全文を読みたい方はこちらへ↓
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1 始めに

 米国における有色人種差別の最たるものは黒人差別ですが、今回とりあげるのはそれ以外の有色人種差別のうち、ヒスパニック以外に対する差別、とりわけ日本人ないし日系米国人に対する差別です。
 
2 日本人ないし日系米国人等に対する差別

 (1)前置き

 かつての支那系米国人に対する差別や先の大戦前から大戦中にかけての日本人ないし日系米人に対する差別は過去の話ということになっていますが、決してそんなことはありません。
 日系米人・・のムラ・・とカバノー・・の語るところに耳を傾けましょう。
 ・・

 (2)ムラの言

 1980年代には米国で反日感情が燃えさかった。
 ・・
 思うに、この米国という国は、心理的にも政治的にも国内大衆の目をそらすための敵を次々と創り出す必要があり、その敵は有色人種・・であることが望ましいのだ。
 日本人の次は支那人が敵にされそうになった。
 ・・
 ところが、そこに2001年の9.11同時多発テロが起こったため、今度はイスラム世界が敵視されるようになり、現在に至っている。
 ・・

 (3)カバノーの言

 対日ヒステリーが1980年代末から1990年代初めにかけて米国で亢進した。
 ・・
 黄禍論的要素がそこにはあったのだ。
 ・・
 やがてヒステリーの対象が日本から支那に移っていった。

3 コメント

 このように有色人種差別意識が、米国を牛耳っているワスプを中心とする白人達の間で現在もなお生き続けていることからすれば、それが戦前から先の大戦の頃にはどんなに強い意識であったか、容易に想像できるというものです。
 そんな米国が、当時どんなに歪んだ目で日本を見、東アジアを見ていたか、考えただけでも慄然としますね。
 1980年代から90年代にかけての米国における日本人差別意識は幸い生身の日本人や日系米国人の命を一人も奪うことはなかったけれど、1930年代から40年代にかけての米国における日本人差別意識は数百万人の日本人を死に至らしめたのです。

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