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太田述正コラム#2014(2007.8.21)
<米国リベラルのサルコジ観>(2007.9.23公開)
1 始めに
米国のリベラルがどうサルコジ新仏大統領を見ているか、ご紹介しましょう。
当然、これらは英国の指導層のサルコジ新仏大統領観でもあると言ってもよいと思います。
2 ニューヨークタイムス
(1)論説1の概要
サルコジについては、親米イメージが米国で流布している。
しかし、サルコジは就任時の演説で「<フランスは>米国の友人<であり、>米国がフランスを必要とする時は常に米国に与する<が、>友情というものは友人が異なった行動をとることを認めるものなのだ」と語ったことを忘れてはなるまい。
彼は、シラク前仏大統領の対イラク戦反対の立場をずっと支持してきた。
それに加え、サルコジは、米国がアフガニスタンへのフランスの派兵規模を増やしてくれと要望しているというのに、フランス兵を撤兵させる意向を表明してきた。
また彼は、炭酸ガス排出規制の京都議定書に入っていない(米国等の)諸国からの輸入品に炭素税をかけることを選挙運動中に示唆してきた。
ブッシュ政権が推しているところの、トルコのEU加盟についても、強硬に反対してきた。
ブッシュ政権の東欧へのミサイル防衛施設の設置にも中立的立場をとってきた。
サルコジを見ているとナポレオンを思い出す。
(以上、
http://www.nytimes.com/2007/05/13/weekinreview/13smith.html?ref=world&pagewanted=print
(5月13日アクセス)による。)
(2)論説2の概要
内政面でも、サルコジはリベラル・イメージが米国で流布しているけれど、サッチャー革命を志向する様子は全くない。
サルコジは蔵相であった時、企業に課される税金や社会保障負担を減らそうとはしなかったし、外国企業による国内企業の買収を阻止したし、危機に瀕した大企業を税金を投入して救った。
大統領に就任してからも、企業の自由度を増大しようとしているものの、最低賃金制を撤廃しようとはしていないし、大学の自治を強化しようとしているものの、民営化しようとはしていないし、福祉国家のありかたを見直そうとしているものの、福祉国家であることを止めようとはしていないし、労組の力を削減しようとしているものの、労組と敵対しようとはしていない。
要するに、これは1990年代以来のフランスの政策の継続であり、全面的規制撤廃などサルコジは全く考えていないのだ。
考えてみればこれは当たり前であり、サルコジは経済面ではリベラルかもしれないが、政治面では決してリベラルではないからだ。
彼はナショナリズムと国家介入主義の信奉者なのであり、このことはサルコジが欧州中央銀行の金融引き締め政策に反対したり弱いユーロを追求したりしていることからも分かろうというものだ。
(以上、
http://www.nytimes.com/2007/05/15/opinion/15roy.html?pagewanted=print
(5月16日アクセス)による。)
3 ニューヨーカー誌の論考の概要
サルコジが一躍フランス中に名前が知られるに至った出来事がある。
彼がパリ近郊のニュイリー(Neully)の市長であった1993年のことだ。
変質者の男が保育園を占拠した。彼は爆弾を体に巻き付けており、園児達を人質に取った。彼は訳の分からない要求を突きつけ、警察が保育園を取り囲んだ。
するとサルコジが、たった一人で保育園に乗り込み、男に話を始めた。
何が欲しいのか、どんな問題を抱えているのか、自分にできることはないか、等々。
その上で、まずは園児を解放しなければならない、と言った。
30分後、サルコジは園児全員を連れて外に出てきた。
その後、警察が踏み込んで男を射殺した。
ここからも分かるように、サルコジは勇敢なんてものではない。爆弾を体に巻き付けたこの変質者も真っ青の危険大好き人間なのだ。
そんな人間だからこそ、大統領就任後、野党の社会党の有力者を二人もたらし込めたのだ。
一人は外相に据えることによって、そしてもう一人はIMFの専務理事に据えることによって。
また、そんな人間だからこそ、党首の老ルペン(Jean-Marie Le Pen)を誉めるという綱渡りまでして、かつ選挙期間中移民や犯罪に厳しい姿勢を表明して、右翼の国民戦線(National Front)の支持者を多数自分の党に鞍替えさせることができたのだ。
それどころか、サルコジは、正規の外交ルートを使わず、(フランスの武器供与をエサに?)よりを戻したばかりの彼の美人妻をリビアのトリポリに派遣することによって、子供達にHIVを注射で感染させたとしてリビアの裁判所で死刑を宣告されたブルガリア人看護婦達を帰国させることに成功した。
これはボナパルティズム(Bonapartism)だ。
ボナパルティズムと言ってもナポレオンの第一帝政のそれとナポレオンの甥のルイ・ナポレオン(Louis-Napoleon)の第二帝政のそれがあるが、サルコジのボナパルティズムは甥の方をより彷彿とさせる。
いずれにせよ、ボナパルト家は、コルシカが里だし、サルコジ家は、ギリシャ系ユダヤ人とハンガリーの田舎貴族の流れを汲むというわけで、どちらもフランスのよそ者である上、ナポレオンもサルコジも身長が低いところまでそっくりだ。
ルイ・ナポレオンは、1848年から(普仏戦争で無様な敗北を喫する)1871年までフランスを国家元首として統治した。これは、アンシャンレジーム以降では最長記録だ。
その統治は、国家主義的であると同時に企業家的(entrepreneurial)であり、ひたすらフランスの力の強化に努めたが、首都パリの大整備計画等を推進したり、新規さを追い求めたりすることを厭わないという意味では決して保守的な統治ではなかったことを思い起こそう。
(以上、
http://www.newyorker.com/reporting/2007/08/27/070827fa_fact_gopnik?printable=true
(8月21日アクセス)による。)
4 コメント
私はかねてより、アングロサクソン文明と欧州文明の対立を論じ、その欧州文明にあって民主主義的独裁の原型を生み出したのがフランスであり、その原型とはナショナリズムである、と主張してきたところです。
私の言うナショナリズムとボナパルティズムとはほぼ同じものであり、アングロサクソンが欧州のナショナリズムないしボナパルティズムをいかにうさんくさく見ているかが、これらサルコジ観からよく分かりますね。
<米国リベラルのサルコジ観>(2007.9.23公開)
1 始めに
米国のリベラルがどうサルコジ新仏大統領を見ているか、ご紹介しましょう。
当然、これらは英国の指導層のサルコジ新仏大統領観でもあると言ってもよいと思います。
2 ニューヨークタイムス
(1)論説1の概要
サルコジについては、親米イメージが米国で流布している。
しかし、サルコジは就任時の演説で「<フランスは>米国の友人<であり、>米国がフランスを必要とする時は常に米国に与する<が、>友情というものは友人が異なった行動をとることを認めるものなのだ」と語ったことを忘れてはなるまい。
彼は、シラク前仏大統領の対イラク戦反対の立場をずっと支持してきた。
それに加え、サルコジは、米国がアフガニスタンへのフランスの派兵規模を増やしてくれと要望しているというのに、フランス兵を撤兵させる意向を表明してきた。
また彼は、炭酸ガス排出規制の京都議定書に入っていない(米国等の)諸国からの輸入品に炭素税をかけることを選挙運動中に示唆してきた。
ブッシュ政権が推しているところの、トルコのEU加盟についても、強硬に反対してきた。
ブッシュ政権の東欧へのミサイル防衛施設の設置にも中立的立場をとってきた。
サルコジを見ているとナポレオンを思い出す。
(以上、
http://www.nytimes.com/2007/05/13/weekinreview/13smith.html?ref=world&pagewanted=print
(5月13日アクセス)による。)
(2)論説2の概要
内政面でも、サルコジはリベラル・イメージが米国で流布しているけれど、サッチャー革命を志向する様子は全くない。
サルコジは蔵相であった時、企業に課される税金や社会保障負担を減らそうとはしなかったし、外国企業による国内企業の買収を阻止したし、危機に瀕した大企業を税金を投入して救った。
大統領に就任してからも、企業の自由度を増大しようとしているものの、最低賃金制を撤廃しようとはしていないし、大学の自治を強化しようとしているものの、民営化しようとはしていないし、福祉国家のありかたを見直そうとしているものの、福祉国家であることを止めようとはしていないし、労組の力を削減しようとしているものの、労組と敵対しようとはしていない。
要するに、これは1990年代以来のフランスの政策の継続であり、全面的規制撤廃などサルコジは全く考えていないのだ。
考えてみればこれは当たり前であり、サルコジは経済面ではリベラルかもしれないが、政治面では決してリベラルではないからだ。
彼はナショナリズムと国家介入主義の信奉者なのであり、このことはサルコジが欧州中央銀行の金融引き締め政策に反対したり弱いユーロを追求したりしていることからも分かろうというものだ。
(以上、
http://www.nytimes.com/2007/05/15/opinion/15roy.html?pagewanted=print
(5月16日アクセス)による。)
3 ニューヨーカー誌の論考の概要
サルコジが一躍フランス中に名前が知られるに至った出来事がある。
彼がパリ近郊のニュイリー(Neully)の市長であった1993年のことだ。
変質者の男が保育園を占拠した。彼は爆弾を体に巻き付けており、園児達を人質に取った。彼は訳の分からない要求を突きつけ、警察が保育園を取り囲んだ。
するとサルコジが、たった一人で保育園に乗り込み、男に話を始めた。
何が欲しいのか、どんな問題を抱えているのか、自分にできることはないか、等々。
その上で、まずは園児を解放しなければならない、と言った。
30分後、サルコジは園児全員を連れて外に出てきた。
その後、警察が踏み込んで男を射殺した。
ここからも分かるように、サルコジは勇敢なんてものではない。爆弾を体に巻き付けたこの変質者も真っ青の危険大好き人間なのだ。
そんな人間だからこそ、大統領就任後、野党の社会党の有力者を二人もたらし込めたのだ。
一人は外相に据えることによって、そしてもう一人はIMFの専務理事に据えることによって。
また、そんな人間だからこそ、党首の老ルペン(Jean-Marie Le Pen)を誉めるという綱渡りまでして、かつ選挙期間中移民や犯罪に厳しい姿勢を表明して、右翼の国民戦線(National Front)の支持者を多数自分の党に鞍替えさせることができたのだ。
それどころか、サルコジは、正規の外交ルートを使わず、(フランスの武器供与をエサに?)よりを戻したばかりの彼の美人妻をリビアのトリポリに派遣することによって、子供達にHIVを注射で感染させたとしてリビアの裁判所で死刑を宣告されたブルガリア人看護婦達を帰国させることに成功した。
これはボナパルティズム(Bonapartism)だ。
ボナパルティズムと言ってもナポレオンの第一帝政のそれとナポレオンの甥のルイ・ナポレオン(Louis-Napoleon)の第二帝政のそれがあるが、サルコジのボナパルティズムは甥の方をより彷彿とさせる。
いずれにせよ、ボナパルト家は、コルシカが里だし、サルコジ家は、ギリシャ系ユダヤ人とハンガリーの田舎貴族の流れを汲むというわけで、どちらもフランスのよそ者である上、ナポレオンもサルコジも身長が低いところまでそっくりだ。
ルイ・ナポレオンは、1848年から(普仏戦争で無様な敗北を喫する)1871年までフランスを国家元首として統治した。これは、アンシャンレジーム以降では最長記録だ。
その統治は、国家主義的であると同時に企業家的(entrepreneurial)であり、ひたすらフランスの力の強化に努めたが、首都パリの大整備計画等を推進したり、新規さを追い求めたりすることを厭わないという意味では決して保守的な統治ではなかったことを思い起こそう。
(以上、
http://www.newyorker.com/reporting/2007/08/27/070827fa_fact_gopnik?printable=true
(8月21日アクセス)による。)
4 コメント
私はかねてより、アングロサクソン文明と欧州文明の対立を論じ、その欧州文明にあって民主主義的独裁の原型を生み出したのがフランスであり、その原型とはナショナリズムである、と主張してきたところです。
私の言うナショナリズムとボナパルティズムとはほぼ同じものであり、アングロサクソンが欧州のナショナリズムないしボナパルティズムをいかにうさんくさく見ているかが、これらサルコジ観からよく分かりますね。
太田述正ブログは移転しました 。
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