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太田述正コラム#2064(2007.9.15)
<自民党総裁選挙>
(本篇は即公開します。)
1 始めに
自民党総裁選挙は、麻生太郎(1940年〜)氏と福田康夫(1936年〜)氏の一騎打ちということになりました。
この二人のとりあえずの比較をしてみましょう。
2 麻生太郎
(1)親がかりの「華麗」な経歴
ウィキペディア(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E
。9月15日アクセス)から、麻生太郎氏の経歴等を抜き出してみると以下の通りです。
1940年9月 - 福岡県飯塚市に麻生太賀吉と<吉田茂の長女>和子の長男として生まれる・・。小学3年生の頃、上京し学習院初等科に通う。
1959年3月 - 学習院高等科を卒業。
1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科を卒業。
1963年4月 - スタンフォード大学大学院に留学。
1965年 - スタンフォード大学大学院を中退し、ロンドン大学政治経済学院に留学。
1966年8月 - ロンドン大学を中退し、麻生産業株式会社に入社。
1966年11月 - <父親の>麻生産業株式会社の取締役に就任。
1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
・・
・・モントリオールオリンピックに日本代表選手として出場(結果は41位)、第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))では優勝。現在日本クレー射撃協会会長を務めている。
・・ 漫画が大好きで、漫画雑誌のほとんどを読み流していると語っており、週に2,30冊のコミック雑誌を読むともいわれている
すぐ気がつくのは、4月に米国の大学に留学するなんておかしいな、ということです。米国の大学の学年の始まりは9月だからです。
それに彼が何を専攻したのかも分かりません。
そもそも麻生氏は、本当にスタンフォード大学に入学できたのでしょうか。
ご承知のように、特段学業成績が抜群でなくとも、吉田茂元首相の孫ということが考慮されて入学が認められたという可能性はありますが・・。
いずれにせよ、同大学が本当に入学を認めたのだとすれば、麻生氏は、大学院の授業についていくために最低限必要な知的能力と英語力があることは認められたということですが、(ビジネススクールやロースクール以外なら)1年間で通常なら卒業できるところ、2年在籍しても卒業できなかったというわけです。
その次の英国のLSE留学はもっとヘンです。
今度は大学院ではなくて学部に留学したことになっています!
それにLSEは、英国ではオックスフォードやケンブリッジと並ぶ超難関大学であり、ある学業成績抜群の知人の日本人でさえその修士課程への入学を認められなかったという事実に照らすと、学部といえども、麻生氏のような学業経歴の人物が入学するのは簡単ではなかったはずだからです。
いずれにせよ、ここでも麻生氏は卒業できていません。
まことに親のスネを囓り続けた「華麗」な遊学経験であることよ、とため息が出ますね。
(2)海外メディアの評価
「<麻生は、>米国の外交官は中東の諸問題を絶対に解決できない。なんとなれば彼らは青い目をしていて金髪だからだ」と言った。その時彼は外相だった。経済企画庁長官の時には、日本を金持ちのユダヤ人が住みたくなるような国にしたいと言った。彼はタカ派のナショナリストであり、日本の朝鮮半島における乱暴な植民地統治を称賛して北東アジアで一悶着を引き起こした。・・<安倍を見ても分かるように、>日本が重要で強力な国であるにもかかわらず、その国を担うべき政治的指導者の資質は不釣り合いに低い。・・麻生もまた、<日本の政治的指導者として>ふさわしい人物であるとは言えない。彼が好んで話題にすることと言えばマンガなのだから。」と英ガーディアン紙は麻生氏を一刀両断の元に切り捨てています(
http://www.guardian.co.uk/leaders/story/0,,2167703,00.html
。9月13日アクセス)。
ロサンゼルスタイムスは、政治評論家の森田実氏の「安倍は最悪の指導者だったが去って行った。遺憾ながら麻生は2番目にできの悪い指導者だ」という言葉を紹介した上で、ボロボロになった自民党は、おじいさんが尊敬される元首相であるところのマンガ好きのナショナリストが、もう一人の元首相の孫であるナショナリストが遺贈して行った混沌から党を救ってくれる最適任の人物かどうか、よくよく考えるべきだ」と麻生氏を冷たく突き放しています(
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-aso13sep13,0,3979742,print.story?coll=la-home-world
。9月14日アクセス)。
3 福田康夫
(1)親がかりの「華麗」な経歴
福田氏についても、ウィキペディア(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB
。9月15日アクセス)を見てみると、以下の通りです。
総理大臣を経験した福田赳夫の長男にあたる。
・・
# 1949年3月:東京学芸大学附属小学校卒業・・
# 1952年3月:麻布学園中学校卒業
# 1955年3月:麻布学園高等学校卒業
# 1959年3月:早稲田大学政治経済学部経済学科卒業 丸善石油入社
# 1962年3月:米国駐在(2年間)
# 1976年11月:退社し、衆議院議員秘書となる
# 1977年12月:内閣総理大臣秘書官(〜1978年12月)
# 1986年5月:社団法人 金融財政事情研究会理事(〜1994年2月)
# 1990年2月:第39回衆議院議員選挙当選(1期)
・・
1978年から86年まで何をしていたのかも気になりますが、その後、94年まで8年間金融財政事情研究会(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9E%8D%E8%B2%A1%E6%94%BF%E4%BA%8B%E6%83%85%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A
。9月15日アクセス)理事をしていた、というのが気になりますね。
金融・財政に関して知識・経験がさしてあるとは思えない福田氏が、このような社団法人の理事になれたのは、どう考えても、元大蔵官僚で首相を務めた父赳夫のおかげであったとしか思えません。
金融財政事情研究会は日本で、労働省(厚生労働省)からファイナンシャル・プランニング技能検定指定試験機関の指定を受けている2団体のうちの1つであり、大蔵省(財務省)所管の法人です。
また、私自身、この社団法人が発行する週刊雑誌の「金融財政事情」は、各官庁が相当数買い上げ(させられて)いることを知っています。
つまり、この社団法人は、国から特権や便宜を供与されてカネを稼ぎ、その所管官庁(大蔵省)から天下りを受け入れる(
http://www.kinzai.or.jp/info/pdf/yakuin.pdf、
http://www.kinzai.or.jp/info/pdf/houshuu.pdf
)受け皿になっているのです。
親がかりでこんな所の禄を8年間も食んだ人物が、官僚機構と対決できるのでしょうか。いや、そもそも「改革」を口にできるのでしょうか。
(2)内外メディアの評価
「対日関係が悪化した小泉政権時代に<中共の>武大偉大使が足しげく官房長官室を訪れ、福田氏を政権とのパイプ役にした」(
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070915AT3S1401V14092007.html
。9月15日アクセス)。
「福田氏はテレビ番組で自分が首相になった時の靖国神社への参拝について「恐らくないと思う」と述べた。福田氏はこれまでも参拝していなかった。」(
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20070915k0000m010180000c.html
。9月15日アクセス)。
後者は、そのこと自体はともかくとして、前者(コラム#1075も参照)とからめて考えると、いささか疑念が生じてきますね。
さて、突然自民党総裁候補として浮上しただけに、海外メディアはまだほとんど福田氏をとりあげていませんが、英ファイナンシャル・タイムスは、政治評論家の歳川隆雄氏の、福田氏の支持者にはタカ派とハト派が混在しており、総裁選の投票までの間、麻生氏は福田氏に立場を鮮明にするように迫って行く戦略をとることになるだろう、という言を紹介しています(
http://www.ft.com/cms/s/0/f2e6703a-62ef-11dc-b3ad-0000779fd2ac.html
。9月15日アクセス)。
<自民党総裁選挙>
(本篇は即公開します。)
1 始めに
自民党総裁選挙は、麻生太郎(1940年〜)氏と福田康夫(1936年〜)氏の一騎打ちということになりました。
この二人のとりあえずの比較をしてみましょう。
2 麻生太郎
(1)親がかりの「華麗」な経歴
ウィキペディア(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E
。9月15日アクセス)から、麻生太郎氏の経歴等を抜き出してみると以下の通りです。
1940年9月 - 福岡県飯塚市に麻生太賀吉と<吉田茂の長女>和子の長男として生まれる・・。小学3年生の頃、上京し学習院初等科に通う。
1959年3月 - 学習院高等科を卒業。
1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科を卒業。
1963年4月 - スタンフォード大学大学院に留学。
1965年 - スタンフォード大学大学院を中退し、ロンドン大学政治経済学院に留学。
1966年8月 - ロンドン大学を中退し、麻生産業株式会社に入社。
1966年11月 - <父親の>麻生産業株式会社の取締役に就任。
1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
・・
・・モントリオールオリンピックに日本代表選手として出場(結果は41位)、第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))では優勝。現在日本クレー射撃協会会長を務めている。
・・ 漫画が大好きで、漫画雑誌のほとんどを読み流していると語っており、週に2,30冊のコミック雑誌を読むともいわれている
すぐ気がつくのは、4月に米国の大学に留学するなんておかしいな、ということです。米国の大学の学年の始まりは9月だからです。
それに彼が何を専攻したのかも分かりません。
そもそも麻生氏は、本当にスタンフォード大学に入学できたのでしょうか。
ご承知のように、特段学業成績が抜群でなくとも、吉田茂元首相の孫ということが考慮されて入学が認められたという可能性はありますが・・。
いずれにせよ、同大学が本当に入学を認めたのだとすれば、麻生氏は、大学院の授業についていくために最低限必要な知的能力と英語力があることは認められたということですが、(ビジネススクールやロースクール以外なら)1年間で通常なら卒業できるところ、2年在籍しても卒業できなかったというわけです。
その次の英国のLSE留学はもっとヘンです。
今度は大学院ではなくて学部に留学したことになっています!
それにLSEは、英国ではオックスフォードやケンブリッジと並ぶ超難関大学であり、ある学業成績抜群の知人の日本人でさえその修士課程への入学を認められなかったという事実に照らすと、学部といえども、麻生氏のような学業経歴の人物が入学するのは簡単ではなかったはずだからです。
いずれにせよ、ここでも麻生氏は卒業できていません。
まことに親のスネを囓り続けた「華麗」な遊学経験であることよ、とため息が出ますね。
(2)海外メディアの評価
「<麻生は、>米国の外交官は中東の諸問題を絶対に解決できない。なんとなれば彼らは青い目をしていて金髪だからだ」と言った。その時彼は外相だった。経済企画庁長官の時には、日本を金持ちのユダヤ人が住みたくなるような国にしたいと言った。彼はタカ派のナショナリストであり、日本の朝鮮半島における乱暴な植民地統治を称賛して北東アジアで一悶着を引き起こした。・・<安倍を見ても分かるように、>日本が重要で強力な国であるにもかかわらず、その国を担うべき政治的指導者の資質は不釣り合いに低い。・・麻生もまた、<日本の政治的指導者として>ふさわしい人物であるとは言えない。彼が好んで話題にすることと言えばマンガなのだから。」と英ガーディアン紙は麻生氏を一刀両断の元に切り捨てています(
http://www.guardian.co.uk/leaders/story/0,,2167703,00.html
。9月13日アクセス)。
ロサンゼルスタイムスは、政治評論家の森田実氏の「安倍は最悪の指導者だったが去って行った。遺憾ながら麻生は2番目にできの悪い指導者だ」という言葉を紹介した上で、ボロボロになった自民党は、おじいさんが尊敬される元首相であるところのマンガ好きのナショナリストが、もう一人の元首相の孫であるナショナリストが遺贈して行った混沌から党を救ってくれる最適任の人物かどうか、よくよく考えるべきだ」と麻生氏を冷たく突き放しています(
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-aso13sep13,0,3979742,print.story?coll=la-home-world
。9月14日アクセス)。
3 福田康夫
(1)親がかりの「華麗」な経歴
福田氏についても、ウィキペディア(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB
。9月15日アクセス)を見てみると、以下の通りです。
総理大臣を経験した福田赳夫の長男にあたる。
・・
# 1949年3月:東京学芸大学附属小学校卒業・・
# 1952年3月:麻布学園中学校卒業
# 1955年3月:麻布学園高等学校卒業
# 1959年3月:早稲田大学政治経済学部経済学科卒業 丸善石油入社
# 1962年3月:米国駐在(2年間)
# 1976年11月:退社し、衆議院議員秘書となる
# 1977年12月:内閣総理大臣秘書官(〜1978年12月)
# 1986年5月:社団法人 金融財政事情研究会理事(〜1994年2月)
# 1990年2月:第39回衆議院議員選挙当選(1期)
・・
1978年から86年まで何をしていたのかも気になりますが、その後、94年まで8年間金融財政事情研究会(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9E%8D%E8%B2%A1%E6%94%BF%E4%BA%8B%E6%83%85%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A
。9月15日アクセス)理事をしていた、というのが気になりますね。
金融・財政に関して知識・経験がさしてあるとは思えない福田氏が、このような社団法人の理事になれたのは、どう考えても、元大蔵官僚で首相を務めた父赳夫のおかげであったとしか思えません。
金融財政事情研究会は日本で、労働省(厚生労働省)からファイナンシャル・プランニング技能検定指定試験機関の指定を受けている2団体のうちの1つであり、大蔵省(財務省)所管の法人です。
また、私自身、この社団法人が発行する週刊雑誌の「金融財政事情」は、各官庁が相当数買い上げ(させられて)いることを知っています。
つまり、この社団法人は、国から特権や便宜を供与されてカネを稼ぎ、その所管官庁(大蔵省)から天下りを受け入れる(
http://www.kinzai.or.jp/info/pdf/yakuin.pdf、
http://www.kinzai.or.jp/info/pdf/houshuu.pdf
)受け皿になっているのです。
親がかりでこんな所の禄を8年間も食んだ人物が、官僚機構と対決できるのでしょうか。いや、そもそも「改革」を口にできるのでしょうか。
(2)内外メディアの評価
「対日関係が悪化した小泉政権時代に<中共の>武大偉大使が足しげく官房長官室を訪れ、福田氏を政権とのパイプ役にした」(
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070915AT3S1401V14092007.html
。9月15日アクセス)。
「福田氏はテレビ番組で自分が首相になった時の靖国神社への参拝について「恐らくないと思う」と述べた。福田氏はこれまでも参拝していなかった。」(
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20070915k0000m010180000c.html
。9月15日アクセス)。
後者は、そのこと自体はともかくとして、前者(コラム#1075も参照)とからめて考えると、いささか疑念が生じてきますね。
さて、突然自民党総裁候補として浮上しただけに、海外メディアはまだほとんど福田氏をとりあげていませんが、英ファイナンシャル・タイムスは、政治評論家の歳川隆雄氏の、福田氏の支持者にはタカ派とハト派が混在しており、総裁選の投票までの間、麻生氏は福田氏に立場を鮮明にするように迫って行く戦略をとることになるだろう、という言を紹介しています(
http://www.ft.com/cms/s/0/f2e6703a-62ef-11dc-b3ad-0000779fd2ac.html
。9月15日アクセス)。
太田述正ブログは移転しました 。
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