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太田述正コラム#1644(2007.2.1)
<昭和日本のイデオロギー(その2)>(2007.9.11公開)

 (本篇は、コラム#1632の続きです。)

3 丸山真男

 (1)始めに

 丸山真男(1914〜96年)の昭和日本のイデオロギー論も、私の見るところ、山本七平とは中身こそ全く異なってはいますが、二段構えであって、かつ、昭和日本のイデオロギーが先の大戦における敗戦によって断絶したと見ている点では似通っています。
 丸山の主張を一言で言えば、江戸時代の日本に近代的思惟が芽生え、それが明治維新を契機に欧米の影響下で花開くものの、対する日本的非近代的思惟の抵抗も強く、昭和前期に日本的非近代的思惟は日本的超国家主義に大化けして日本における近代的思惟を押しつぶしかけたところ、敗戦を契機に日本的超国家主義は瓦解し、再び主導権を取り戻した近代的思惟が日本的非近代的思惟との戦いを続けて現在に至っている、というものです。
 
 (2)丸山の近代的思惟論
 
 丸山の近代的思惟論は、彼の主著である『日本政治思想史研究』(東京大学出版会 1952年)で展開されたものです。

 近代的思惟の芽生えという観点から、彼がまず注目するのは、荻生徂徠(1666〜1728年)です。
 元禄(1688〜1703年)から享保(1716〜35年)にかけて、武士の生活は早くも「窮屈で困窮し」、「屈辱的」(コラム#1639)なものになり始めていました。
 そこで荻生は、これは「貨幣経済とその地盤の上に立つ商業資本の急激な発展に由来し、後者はまた、武士が土地との牽連を失って城下町に集中し・・・たことにその要因を仰いでいることを鋭く看取し・・・武士をその知行所に土着せしめ、戸籍を設けて人口移動を制限し、身分的差別を厳重にして、その上下に従って欲望を制限<することによって>・・原初的な封建制を・・・上から<(幕府の手によって)>・・・復活<さ>せようとした」(上掲書219、220頁)のです。
 これは、世の中の動きを逆行させようとする反動的な考え方でしたが、社会制度を所与のものと受け止めるのではなく、人間の主体的意思によって変革可能なものととらえたという点で画期的な考え方であったと丸山は指摘するのです(
http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/tokugawa/sorai.htm
。2月1日アクセス)。

 次に丸山が注目したのは、安藤昌益(1703〜62年)(コラム#52)です。
 丸山は、「安藤・・・の理想社会は、徂徠によって理想化された自給自足的農業社会<(原初的封建社会)>から更に支配者としての武士を排除した形態にほかならぬ<、>いわば農本的無政府主義である。 」とし、それは安藤の、「儒教<(徳川幕府の公認儒教である朱子学や荻生の依拠する陽明学)>・仏教・道教・神道等、凡そ従来知られているあらゆる伝統的思想・・・は、・・・不耕貪食者、すなわち農業生産から遊離した階級が、直接生産者を支配し収取するために作り出したイデオロギ−にほかならぬ」という考え方が前提になっている、と丸山は指摘するのです(
http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/tokugawa/shoeki.htm
。2月1日アクセス)。
 しかし、安藤は、原初的封建社会への回帰を唱えつつも、どうやってそれを実現するかについては黙して語りませんでした(上掲書263頁)。

 最後に丸山が注目したのは、本居宣長(1730〜1801年)(コラム#50)です。
 丸山自身による本居の考え方の説明(上掲書148〜182頁、266〜275頁)は、難解であるだけでなく、いささか精彩を欠いていると思うので、小林秀雄の本居論の要約(
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html
。2月1日アクセス)の要約をご披露することにしましょう。
 本居の考え方は、荻生の古文辞学(=古語は現代語から見て外国語と同じく別物であるということを認識した上で虚心坦懐かつ直感的に解釈すべきところ、朱子学は周当時の漢文を宋当時の漢文のように読んで解釈しており不適切である、とする古典読解法)を日本の古典の読解に適用し、日本の古典は、「あはれ」(=情が何かに触れて喜怒哀楽の区別なく強く動かされること)を知っているか否か、即ち人の情をどれだけ理解して書かれているかによって評価されるべきものであり、儒教や仏教による善悪の基準で計るべきではない、というものでした。
 その上で本居は、一揆は生きるに窮し追い込まれて起こるのであって、為政者は、「あはれ」を知って百姓を労い信頼を回復するよう努めなければならない、と主張したのです。

 (3)私の批判

 丸山の挙げる3人が、江戸時代における独創的な思想家の3傑であることには私も異存はないのですが、丸山の「近代」認識と、江戸時代に関する歴史認識、そして学問方法論、更にはこの3人の評価には問題があります。

(続く)

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