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太田述正コラム#2054(2007.9.10)
<退行する米国(その16)>
次に、キリスト教原理主義に立脚した自由民主主義をイデオロギーとするファシズムである点についてご説明しましょう。
ウィルソン(Woodrow Wilson)、フランクリン・ローズベルト(Franklin D. Roosevelt)、ケネディ(John F. Kennedy)、カーター(Jimmy Carter)、レーガン(Ronald Reagan)も自由民主主義を唱えましたが、ブッシュほど大声でこれを唱えた米大統領はいません。
2004年の大統領選挙で再選が決まると、ブッシュは民主主義の普及を唱えるシャランスキー(Sharansky)(コラム#606)と専制(tyranny)を終わらせるべきであると唱えるエール大学の歴史学者であるガッディス(John Lewis Gaddis)の助けを借りて自由民主主義普及戦略を練り、翌年の大統領就任演説で、後にブッシュ・ドクトリンと称されることになるこの戦略を打ち出します。
以前(コラム#604で)この演説を紹介した際、
「演説中に「彼ら(人類。太田)は天地創造者の姿に似<せてつくられ>ており・・」、「正義の神の支配の下で・・」、「シナイ半島で<ユダヤ教の神から啓示されたところの>真実、<キリストが諭した>山上の垂訓、コーランの言葉、そして我が国民の様々な信仰・・」、「自由が究極的には勝利することにわれわれは全幅の信頼を寄せている。・・それはわれわれが自分自身を<神によって>選ばれた民族だと考えているからではない。神が欲するからこそ神はご自身の意思として行動し選択するのだ。」「神よ皆さんを祝福されよ。そして米合衆国を見守り給え。」といった表現がちりばめられているのですから、牧師の説教と言うほかないでしょう。
一番最後の常套句はともかくとして、これだけ神・・しかも実質的にはキリスト教の神・・への言及がなされているところから、米国憲法に謳われた宗教と政治の分離の原則がないがしろにされた、いかにもキリスト教宗教原理主義者ブッシュの面目躍如とした演説だったと思います。
・・これは演説(speech)というより牧師の説教(sermon)だ・・<という>感想<です・>」
と指摘したところです。
その時、同時に、「<この戦略を>実現するための具体的方策に何も触れていない」とも指摘しました。
牧師の説教とは言いえて妙であった、と改めて思います。
この演説の直後に、800万人のイラク人が暫定(interim)議会(コラム#190、640、900)選挙で投票し、レバノンでは暗殺事件を契機にいわゆるレバノン杉革命(Cedar Revolution)が起こり、親シリア政権が打倒され、シリア軍のレバノンからの撤退が実現し(コラム#652、656、662、663)、キルギスタンでは選挙不正を契機にいわゆるチューリップ革命(Tulip Revolution)が起こって大統領の交代が実現します(コラム#558、#671)。
まさに、さっそくブッシュ・ドクトリンに呼応して全世界で自由民主主義化のうねりが高まっている、といった趣があったのです。
ブッシュは、この戦略を実施に移すべく、国務省やCIAに、専制国家の反体制運動反体制運動家への一層の(資金援助を含む)支援を命じます。
ところが、米国務省には、ブッシュ・ドクトリンは悪評さくさくでした。
例えば、人道援助を行う場合、たとえ専制的な政府であってもその助力を得なければ目的を達成できないからです。
ウズベキスタンで反政府デモ隊が政府の攻撃を受けて何百人もの死者が出て、ブッシュ政権が抑制された批判を加えただけで、駐留米軍が追放された(コラム#725、730)こと一つとっても、米国防省もブッシュ・ドクトリンには不満たらたらでした。
パレスティナ議会選挙が2006年1月に行われる話がアッバスパレスティナ当局議長から出てきた時、イスラエル政府は、ハマスが多数を制する懼れがあるとして、ブッシュ政権にこの選挙を止めさせるように頼み込んだ(注12)のですが、ブッシュは聞く耳を持たず、選挙は実施され、その結果、イスラエルの懼れていた結果となり(コラム#1170、1171、1173、1175)、ヨルダン川西岸に拠るファタとガザに拠るハマスが対峙するという現状がもたらされてしまいました(コラム#1826)。
(注2)シャランスキーでさえ、自由民主主義はそのための制度と市民社会を構築することであって単に選挙をすることではないとして、この選挙の延期を米国政府に呼びかけた。
しかも、米国がこのパレスティナ議会選挙の結果を否定してしまったことで、アラブ諸国の民衆の間で、ブッシュ・ドクトリンはご都合主義だという見方が確立してしまいます。
その上、ブッシュ政権は、サウディアラビアやエジプトの専制政府への支援を続けているのですから、ブッシュ・ドクトリンは支離滅裂であるとして、その評判は悪くなるばかりなのです。
(以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/19/AR2007081901720_pf.html
(8月21日アクセス)、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/09/02/AR2007090200938_pf.html、
http://www.csmonitor.com/2007/0904/p09s01-coop.htm
(どちらも9月4日アクセス)による。)
(続く)
<退行する米国(その16)>
次に、キリスト教原理主義に立脚した自由民主主義をイデオロギーとするファシズムである点についてご説明しましょう。
ウィルソン(Woodrow Wilson)、フランクリン・ローズベルト(Franklin D. Roosevelt)、ケネディ(John F. Kennedy)、カーター(Jimmy Carter)、レーガン(Ronald Reagan)も自由民主主義を唱えましたが、ブッシュほど大声でこれを唱えた米大統領はいません。
2004年の大統領選挙で再選が決まると、ブッシュは民主主義の普及を唱えるシャランスキー(Sharansky)(コラム#606)と専制(tyranny)を終わらせるべきであると唱えるエール大学の歴史学者であるガッディス(John Lewis Gaddis)の助けを借りて自由民主主義普及戦略を練り、翌年の大統領就任演説で、後にブッシュ・ドクトリンと称されることになるこの戦略を打ち出します。
以前(コラム#604で)この演説を紹介した際、
「演説中に「彼ら(人類。太田)は天地創造者の姿に似<せてつくられ>ており・・」、「正義の神の支配の下で・・」、「シナイ半島で<ユダヤ教の神から啓示されたところの>真実、<キリストが諭した>山上の垂訓、コーランの言葉、そして我が国民の様々な信仰・・」、「自由が究極的には勝利することにわれわれは全幅の信頼を寄せている。・・それはわれわれが自分自身を<神によって>選ばれた民族だと考えているからではない。神が欲するからこそ神はご自身の意思として行動し選択するのだ。」「神よ皆さんを祝福されよ。そして米合衆国を見守り給え。」といった表現がちりばめられているのですから、牧師の説教と言うほかないでしょう。
一番最後の常套句はともかくとして、これだけ神・・しかも実質的にはキリスト教の神・・への言及がなされているところから、米国憲法に謳われた宗教と政治の分離の原則がないがしろにされた、いかにもキリスト教宗教原理主義者ブッシュの面目躍如とした演説だったと思います。
・・これは演説(speech)というより牧師の説教(sermon)だ・・<という>感想<です・>」
と指摘したところです。
その時、同時に、「<この戦略を>実現するための具体的方策に何も触れていない」とも指摘しました。
牧師の説教とは言いえて妙であった、と改めて思います。
この演説の直後に、800万人のイラク人が暫定(interim)議会(コラム#190、640、900)選挙で投票し、レバノンでは暗殺事件を契機にいわゆるレバノン杉革命(Cedar Revolution)が起こり、親シリア政権が打倒され、シリア軍のレバノンからの撤退が実現し(コラム#652、656、662、663)、キルギスタンでは選挙不正を契機にいわゆるチューリップ革命(Tulip Revolution)が起こって大統領の交代が実現します(コラム#558、#671)。
まさに、さっそくブッシュ・ドクトリンに呼応して全世界で自由民主主義化のうねりが高まっている、といった趣があったのです。
ブッシュは、この戦略を実施に移すべく、国務省やCIAに、専制国家の反体制運動反体制運動家への一層の(資金援助を含む)支援を命じます。
ところが、米国務省には、ブッシュ・ドクトリンは悪評さくさくでした。
例えば、人道援助を行う場合、たとえ専制的な政府であってもその助力を得なければ目的を達成できないからです。
ウズベキスタンで反政府デモ隊が政府の攻撃を受けて何百人もの死者が出て、ブッシュ政権が抑制された批判を加えただけで、駐留米軍が追放された(コラム#725、730)こと一つとっても、米国防省もブッシュ・ドクトリンには不満たらたらでした。
パレスティナ議会選挙が2006年1月に行われる話がアッバスパレスティナ当局議長から出てきた時、イスラエル政府は、ハマスが多数を制する懼れがあるとして、ブッシュ政権にこの選挙を止めさせるように頼み込んだ(注12)のですが、ブッシュは聞く耳を持たず、選挙は実施され、その結果、イスラエルの懼れていた結果となり(コラム#1170、1171、1173、1175)、ヨルダン川西岸に拠るファタとガザに拠るハマスが対峙するという現状がもたらされてしまいました(コラム#1826)。
(注2)シャランスキーでさえ、自由民主主義はそのための制度と市民社会を構築することであって単に選挙をすることではないとして、この選挙の延期を米国政府に呼びかけた。
しかも、米国がこのパレスティナ議会選挙の結果を否定してしまったことで、アラブ諸国の民衆の間で、ブッシュ・ドクトリンはご都合主義だという見方が確立してしまいます。
その上、ブッシュ政権は、サウディアラビアやエジプトの専制政府への支援を続けているのですから、ブッシュ・ドクトリンは支離滅裂であるとして、その評判は悪くなるばかりなのです。
(以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/19/AR2007081901720_pf.html
(8月21日アクセス)、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/09/02/AR2007090200938_pf.html、
http://www.csmonitor.com/2007/0904/p09s01-coop.htm
(どちらも9月4日アクセス)による。)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/