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太田述正コラム#1849(2007.7.3)
<久間防衛相の辞任>(2007.8.12公開) 

1 始めに

 3日午後、原爆投下に関する発言で久間章生防衛相が引責辞任しました(
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070703k0000e010092000c.html
。7月3日アクセス)。

2 久間氏の発言

 久間氏は6月30日に大学での講演で、要旨次のように発言しました。

 「日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。
 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。
 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。 」(
http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY200706300263.html
。7月1日アクセス)

3 久間発言への批判

 この久間発言に対する、これは被爆者感情を逆撫でしたものであるという批判(
http://www.asahi.com/national/update/0630/TKY200706300268.html
。7月1日アクセス)はさておくとして、事実認識として久間発言は間違っています。
 まず、広島への原爆投下は1945年8月6日0815ですが、長崎への原爆投下は8月9日1102であり、ソ連の参戦(モスクワ時間の同日午前零時)の7時間2分後です(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF
(いずれも7月3日アクセス))。
 ですから、広島への原爆投下はともかくとして、久間氏の地元の長崎への原爆投下が「ソ連の参戦を止め・・る」のを目的として行われたということは言えないのです。

 いや、これはちょっとトチっただけで、久間氏は、原爆投下は日本の早期降伏をもたらした、とだけ言えばよかったのでしょうか。
 いや、それでもダメです。
 というのは、以前から太田のコラムを読んでこられた方はご存じでしょうが、2005年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校のハセガワ(Tsuyoshi Hasegawa)教授が、この米国由来の通説を、完膚無きまでに打ち砕いた本を上梓しているからです(コラム#819〜821)。
 この本において、ハセガワ教授は、原爆による被害は、広島でも東京大空襲並みであり、焼夷弾によるものであれ原爆によるものであり、戦略爆撃が続くことには日本の政府も軍部も耐えてきたのであり、広島への原爆投下以降も耐えていくつもりであったところ、日本の政府も軍部も、ソ連参戦に伴い、ソ連軍によって日本本土が席巻されたり占領されたりすることは絶対に回避しなければならないと考え、降伏を決意した、ということを証明したのです(コラム#819)。
 確かに、ハセガワ教授の説は、まだそれほど一般に浸透しているわけではありませんが、長崎を地元とする政治家が、原爆投下について話をするにあたって、この説を知らなかったとすれば、不勉強も甚だしいという誹りは免れません。

 次に、原爆投下は、同じく民間人の殺戮を目的とした東京大空襲等の戦略爆撃より悪質な戦争犯罪である、という認識が久間氏には決定的に欠けているように思えます。
 原爆は、命をとりとめた人に、(当時既に一般国際法上使用が禁止されていた)化学兵器同様、後遺症を与え、長く苦しめる残虐な兵器だからです(典拠省略)。
 だから、小沢民主党代表が、久間発言に関し、そもそも米国に原爆投下で謝罪を求めるべきだと言っているのをどこかのTVニュースで見ましたが、私も全く同感であり、米国の大統領が原爆投下で日本に謝罪をしない限り、日本にとって戦後は終わらない、と言うべきなのです。
 ですから、どう考えても、本件で久間氏をかばい続けた安倍首相(
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007063001000527.html
。7月1日アクセス)の見識を疑わざるを得ません。

 それにしても、久間氏はどうしてこんな愚劣きわまる発言をしたのでしょうか。
 恐らく、1月に、大量破壊兵器があると誤認して対イラク戦を行ったことや沖縄の世論に配慮が足らないことで米国を批判(
http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,,2001251,00.html
1月30日アクセス)して、米国の反発を呼んだ(

http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007021101000429.html
。2月12日アクセス)ことが気になっていて、原爆投下問題で今度は米国のご機嫌を取り結ぼうと思ったのでしょう。
 こんな浅慮な人物でも防衛相が務まる日本を、あなたは心配ではありませんか。

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