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太田述正コラム#0042(2002.6.23)
<日本型経済体制(その2)>

 日本型経済体制、或いは「エージェンシー関係の重層構造」とは何か、については、拙稿「「日本型経済体制」論」をお読みいただくのが一番手っ取り早い(ただし、この拙稿においては、「エージェンシー関係の重層構造」を「多傘分散メカニズム」と言い換えている)のですが、38頁にもなるこの拙稿を再入力して本コラム欄に掲げるのは大変ですし、第一、かなりややこしい図が5カ所も出てきて、基本的にテキストファイルしか表示できない本コラム欄にはなじみません。そこで、以下、この拙稿のエッセンスをご紹介しましょう。
 
1 産業社会には、
??市場が主、計画が従である欧米型経済体制の社会(=国家機構や法人(以下、「機関」という)の内部では計画原理が貫徹している)、
??計画が主、市場が従であるソ連型経済体制の社会(=機関のうち、国家機構が圧倒的なシェアを持つ)、
??エージェンシー関係の重層構造が主、市場が従である日本型経済体制の社会(=機関の内部、及び機関、個人相互がエージェンシー関係の重層構造の下にある。国家機構はソ連型はもとより、欧米型よりも小さい)、
の三つがある。

2 エージェンシー関係とは、個人相互間(機関内部の個人相互間を含む)、個人と機関相互間、あるいは機関相互間、における大幅な裁量権を委ねた信頼関係に基づく依頼関係をいう。

3 日本型経済は、「モノ」「カネ」「ヒト」の調達及び「意志決定」のいずれについても、主としてエージェンシー関係の重層構造によって行われている。すなわち、

4 「モノ」について言えば、流通機構においては何次もの卸商が介在する重層構造になっているが、それぞれの卸商は流通だけでなく、製造(生産)の監督も顧客に代わって行っている。世界の中で日本のみに総合商社が存在するのもこのことと関係がある。また、製造会社は重層構造をなす多数の下請企業群を伴っており、それぞれの下請企業は、単にモノを提供するだけではなく、きめ細やかなサービスも元請会社等に提供している(いわゆる日本経済の二重構造)。

5 「カネ」について言えば、投資家(個人、法人)は企業に直接投資するのを避け、銀行にそれを代行させ、この銀行もかなりの部分を商社に代行させて、直接の投資を避けることが多い(=間接金融の優位)。しかも、投資家は、この間に大蔵省と日本銀行を介在させて、銀行、銀行傘下の商社、及び企業等の経営まで監督させている。このように投資家は(、コストをあえてかけて、)リスクを分散させ、その結果直接市場を通して投資を行う欧米型の投資家の場合(=直接金融の優位)に比べると大儲けは少なくなるが、大きな損失が生じることもまた回避できる。(投資家は、単に「カネ」を調達するのではなく、銀行や商社の「信用」、更には「カネ」の適切な使い方まで教えてもらう「サービス」まで併せて調達している、と見ることもできる。)

6 「ヒト」について言えば、ある機関における空席のポストは、基本的に内部から起用・充当される。しかも、その起用・充当は、上司集団、同僚集団、部下集団等による重層的評価を総合して決定される(=終身雇用制・・その実態は長期雇用制・・及びオン・ザ・ジョッブ教育訓練(無償)の優位)。欧米型にあっては、空席のポストは、少数の人事担当者によって、基本的に外部の人材市場から採用・補充される(=短期雇用制及びオフ・ザ・ジョッブ教育訓練制(自弁)の優位)。また、国家機構、銀行、企業、労働組合等多くの関係機関が重層的に労働者の雇用の安定を確保している。欧米型にあっては、雇用は不安定であり、再就職先の確保も基本的に個人の責任。

7 「意志決定」は、機関の広範な構成員の重層的参加を伴う「民主的」な稟議制(ボトム・アップとトップ・ダウンの同時併存システム)によって行われる。また、重層的なエージェンシー関係にある機関相互間においても稟議制的な意志決定が行われる。欧米型やソ連型にあっては、機関内の意志決定はトップ・ダウンで「非民主的」に、市場における意志決定は運用できるカネの多寡に応じ「非民主的」に行われる。

 この私の説は、タテマエ上は資本主義だが実態は社会主義ではないかという、当時の欧米からの日本経済批判(例えば、「・・欧米にとって、日本の経済体制は問題である。なぜなら、日本では産業、財政、金融、さらに政治までが形の上では西側先進国と同様に"開かれた民主的なシステム"を持ちつつも、実際はこれらが非公式な一つの指令下で一体となって動くという特殊機能を有している。これは、自由主義経済とは異なる、共産圏諸国の計画経済下の諸国家と同じである。このような日本とは真に自由な企業同士の競争は不可能であり、貿易でも割り当てによる統制を適用していかざるを得ない。・・」(The Times, 1976.12.6。前掲拙稿29頁から孫引き))に対しても、一つの明確な回答を出したことになります。
当時の日本は資本主義でも社会主義でもないが、計画経済ではなく自由主義経済だというわけです。

 「日本型経済体制」論を書き上げた時点で、私は残された経済体制論上の課題は次の三つであると考えていました。
第一に、白紙的に見て、産業社会は、いかなる条件下で欧米型、ソ連型、日本型各経済体制のいずれかを採用するに至るのか。
第二に、実際に日本型経済体制はいかなる歴史的経緯をたどって日本において成立したのか(採用されたのか)。
第三に、日本型経済体制が機能している現代日本において、軍事システムが機能していないことをどう考えるか。(続く)

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