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太田述正コラム#0070(2002.10.23)
<対イラク戦シナリオ(その1)>

来るべき対イラク戦の軍事シナリオの模索をしてみましょう。

1 押さえておくべき基本的事項
 (1)対イラク戦はもう始まっている
 ア 始めに
  軍事シナリオそのものの話に入る前に、まず最初に押さえておくべきことは、米国等による来るべき対イラク戦を、新たな戦争ととらえることは、必ずしも正しくないということです。米国等とイラクとの戦いは、1991年の湾岸戦争以来、ずっと続いてきたからです。(http://www.nytimes.com/2002/11/24/weekinreview/24SHAN.html(11月24日アクセス))中のジョンズホプキンス大学エリオット・コーエン教授の話参照。)

 イ 湾岸戦争以降も戦闘は継続してきた
  湾岸戦争の際、イラク北部のクルド人と南部のシーア派信徒は、多国籍軍に呼応し、反フセイン蜂起を行いましたが、これら勢力に対するフセイン政権の弾圧行為には目を覆わしめるものがありました。この弾圧行為を止めさせるため、イラクとの停戦成立後、米国、英国、フランスの三カ国は共同で、1991年から北緯33度線以南、そして1992年から北緯36度線以北にイラク機の飛行禁止区域(No-fly Zone)を設定しました。(1998年にフランスは離脱。)
1

(出典:http://www.cnn.com/2002/WORLD/meast/11/23/iraq.airstrikes/index.html(11月24日アクセス))

この北の飛行禁止区域のトルコ、イラン国境沿いにクルド人「自治」区域が生まれ、現在に至っています。
2     

出典:http://www.csmonitor.com/2002/1122/p01s02-wome.html(11月22日アクセス)

米英両国政府は、この措置は、イラク政府によるこれら勢力の弾圧の中止を求める国連安全保障理事会決議688号(1991年4月)に基づくものだとしていますが、多くの国が、決議をそのように拡大解釈することはできないと批判しています。(http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/middle_east/1175950.stm。2001年2月19日付だが、2002年10月15日アクセス)
南の飛行禁止区域だけで、イラクの全領空の約二分の一の大きさがあります。北の飛行禁止区域は狭いのですが、こちらの方はシリアとの国境、トルコとの全国境、及びイランとの国境に囲まれた戦略的に極めて重要な地域です。(http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1033848883756。10月15日アクセス)

  1993年6月には、ブッシュ前大統領に対するイラクの暗殺未遂事件への報復として、米国はイラクの情報機関を空爆しました(http://www.guardian.co.uk/Iraq/page/0,12438,793802,00.html。10月23日アクセス。なお、コラム#65参照)。
   1998年12月、イラク政府の妨害によって国連による査察が中断のやむなきになった時、米英両国によって砂漠のキツネ作戦(Operation Desert Fox)が行われました。この作戦は、「イラクの大量破壊兵器計画追求能力ないし周辺諸国と国際秩序に脅威を与える能力に打撃を与えるために」行われたものであり、12月16日から四日間にわたり、イラク内の100目標に向け、米英空軍による爆撃及び米艦艇搭載の巡航ミサイルトマホークによる攻撃が行われ、うち87について破壊し、或いは損害を与えました。ロシアはこの作戦に反対し、駐米大使と駐英大使を本国に召喚し、米英両国に抗議しました(Research Paper 99/13, House of Commons Library (=英下院図書館), Feb. 1999 PP3, 29)。
  なお、これ以降、米英両国は、飛行禁止区域を飛行する米英空軍機に対し、イラクの防空部隊がレーダー照準を合わせただけで、その防空部隊を空爆する方針を決め、実行してきています(BBC、前掲)。
この米英の方針に挑戦するかのごとく、翌1999年からイラク政府は、撃墜等に成功した場合の賞金まで定めた上で、飛行禁止区域内を飛行する米英空軍機を撃ち落とす方針を打ち出しており、今年だけでも、既に8月中旬までに米英空軍機に向けて140回も発砲が行われています(http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/DH17Ak03.html。8月17日アクセス)。
  今年の1月には、米英空軍が、イラクの防空施設に対する大規模な空爆を実施しました(ガーディアン、前掲)。
   更に、8月の初旬には、イラクの防空指揮統制中枢を爆撃し、2001年に中国の会社の手で設置された光ファイバー通信網を破壊しました(香港のAsian Times (atimes)、前掲)。

  このように、湾岸戦争後も戦闘は絶えることなく継続しており、実際問題として、(湾岸戦争後の国連との戦争終結条件を大幅に超える形で)イラクの主権は制限されてしまっています。

 ウ 既に米国等の兵力大増強が始まっている
  これに加えて、今年に入ってから、米国等は中東地域において着々と兵力の増強に努めています。
  振り返ってみれば、今年の初めには、イラク及びその周辺には米国(於サウディ、クウェート等)と英国(於オマーン)は、合わせて約5万人の兵力しか配備していませんでした。
ところが、3月ごろから兵力の増強が始まり、8月中旬には既に、米国(新たにヨルダンにも配備)、英国(新たにクウェートにも配備)、ドイツ(クウェート)を合わせて10万人を超える兵力に達しています。(これにはペルシャ湾等に展開している米英両海軍の陸上及び海上兵員数は含まれていません。)(atimes、前掲)
なお、これらの数字には、イラク領内のクルド人「自治」地区に展開した米軍及びトルコ軍が含まれていますが、その概要は次の通りです。
米軍は1800人(大部分は特殊部隊)が少なくとも3月末からクルド人「自治」地区に派遣され、クルド人民兵の教育訓練や6-8にのぼる飛行場の建設に従事していますし、トルコ軍は、以前から2000-5000人がトルコ国内で活動していたクルド労働者党(そのオチャラン党首は、死刑宣告を受けたが減刑され、現在トルコ国内で服役中)の残党の掃討に従事している(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A61646-2002Oct21.html。10月22日アクセス)ほか、8月にはトルコ紙が、5000人のトルコ軍がモスルの北方バメルニの飛行場を接収したと報じました(atimes、 前掲)。

(2)イラクの国力・軍事力は著しく弱体化している
 もう一点、押さえておくべきことは、イラクの国力・軍事力が著しく弱体化していることです。
 イラク(154億、14億)、サウディ(1850億、187億)、アフガニスタン(20億、2.5億)、北朝鮮(150億、21億)、マレーシア(880億、28億)、台湾(3140億、176億)、ウガンダ(85億、2.51億)という七カ国を並べられたとき、あなたにはこれらの国の共通点がお分かりですか。
この七カ国は人口の大きさが2200万人から2400万人で、ほぼ同じくらいだ、というのが正解です(The Military Balance 2001-2002, IISS による)。
なお、国名の後ろの括弧内の数字は、最初が米ドル表示の国内総生産、次が同じく国防支出です。(数値はすべて、The Military Balance 前掲 による)
うち続く戦乱と内戦で破産状態のアフガニスタンや、アフリカ的苦界に身を沈めるウガンダに比べればはるかにマシではありますが、現在世界の話題の中心となっている二つのならず者国家・・国連の経済制裁下にあるイラクと失政うち続く北朝鮮・・の経済力の疲弊ぶりが見て取れます。それにしても、両国の疲弊した現在の経済の規模がほぼ同じだというのは偶然にしてはできすぎですね。

次に国防支出です。この七カ国の中で一番対国内総生産比が大きいのが北朝鮮です。イラクに比べて北朝鮮の国民の方が窮迫の度合いが大きいように見受けられるのは、このためでしょう。
イラクは、湾岸戦争で大打撃を受けた上に、このように台湾の十三分の一、マレーシアの二分の一の規模のカネしか軍事には使ってきておらず、また経済封鎖下、兵器の維持補修用の部品の輸入もままならないのですから、現在の軍事力の弱体化ぶりが推し量れます。

ここで、12年近く前の湾岸戦争直前と現在のイラクの軍事力を比較してみると、下に掲げたように、ほぼ半減していることが分かります。(湾岸戦争前は、松井茂「イラク」(中公文庫1991年)掲載のMilitary Balance 1990-1991, IISS により、現在はMilitary Balance前掲による。)

1 戦車       :5600 → 2200
2 装甲車      :6000 → 3700
3 戦闘機・爆撃機  :  311 →  321、ただし、稼働機はその55%程度

しかも、イラクにあるのは12年以上そのままの古い装備が大部分です。他方、米軍は、この間にも目覚ましいばかりの戦術・編成・装備の近代化を成し遂げています。

以上を踏まえれば、(12年前のイラク軍ですら、米国を中心とする当時の多国籍軍に鎧袖一触だったのですから、)来るべき対イラク戦が、イラク側から見ていかに絶望的な戦いになるかは明らかです。
                                 (続く)

<コラム#70をめぐって>(掲示板より。2002.10.25)

コラム#70への友人からのコメントに対する返信を掲げます。

                      太田述正

              記

>横並び比較はそれなりに面白いね。
>志気とか技術、運用力をそこから知るのは難しいけど。
>でも、マレーシアってそう見ると結構軍事大国なんだねー。

GDPもそうですが、国防支出については、イラクや北朝鮮のような国については、推定にすぎない上に、そもそも、価格体系・水準の異なる国と国の厳密な比較は困難だという留保をつけておきます。(例えば、賃金が安い国では、徴兵された兵士の「給与」を機会費用ベースで計算したとしても、賃金が高い国より、同じ支出額でより沢山の兵士を抱えることができます。)

ところで、マレーシアは、私が防衛庁の審議官当時、初めての日本・マレーシア防衛政策対話を、(私が日本を代表して)行った国です。マレーシア側のカウンターパートたる防衛政策担当次官補は女性でした。だから、マレーシアを褒められる(?)と何となくうれしいですねえ。

>??イラクは砂漠だけでバクダットまで自然障害は全くないんだよね。

そうです。ですから、(コラム#70の続きで触れますが、)今度の対イラク戦は、殆どいきなりバグダード包囲・市街戦から始まることでしょう。

>??政権が倒れても、その後の構想は米国は全く持っていないんだよね。
>??そうすると倒れても、似たような政権ができて(少しは融和的なことはいって
>も)、米国への憎しみだけがますます増すだけ。周辺諸国もますます。
>こんな図式になると思いますが、どうでしょうか。

先の大戦の時の日本政府じゃあるまいし、何をおっしゃいますか。当時、米国政府が、敗戦後の日本占領計画を練りに練っていたように、今回も米国政府は、徹底した研究を行っています。しかも、日本の場合と違って、イラク占領に関しては、旧宗主国たる英国や、様々なイラク亡命者の全面的協力が得られるのですよ。

私は、ことイラクに関しては、旧悪をすべてフセイン個人の責任にして、イラク国民はキツネ付きが落ちたように嬉々として「体制変革」に応じるだろうと見ています。
しかも、戦後日本人のように、意識的、無意識的なトラウマ=占領後遺症、を引きずるようなことはならないでしょう。何となれば、例えば、米国は、戦争放棄憲法なんてイラクには押しつけないでしょうし、イラクに吉田茂のような指導者が出現する可能性もまたゼロだからです。

<コラム#70をめぐるやりとり(続)>(掲示板より。2002.10.26)

コラム#70をめぐる友人とのやりとりの続きです。

                     太田述正

                記

>フセイン以後の受け皿について
>小生自身専門家ではありませんが、
>1 米国通の専門家ほど、フセイン以後の政権構想はないと見る人が多いようで
>すね。

まだ、確定していないと言うだけのことで、米国として、選択肢をいくつか追求している段階だと思います。政権構想を懸命に検討中であることは、種々報道から間違いありません。

>特に後継者については、亡命者云々とありますが、国のリーダーになりうる、認
>められうるような人がいますでしょうか。

ですから、ハーシェム家のしかるべき「殿下」が登場する可能性が高いと思っています。アラブシーア派、アラブスンニ派(前者より数は少ないが、イラクを支配している)、クルド人、はいずれも大部分がイスラム教徒であることにはかわりがありませんし、穏健なハーシェム家であれば、ネストリウス派キリスト教徒等としても文句はありますまい。

>  また、つき物が落ちたように新体制ができるように見ておられますが、日本
人は、典型的な忘れん坊人間ですが、彼らは決してそうではありますまい。

二千年を超える期間の大部分、他国、他民族の支配を受けた民族という意味ではエジプト人も(エジプト人に比べると構成は上記のように複雑ですが)イラク人も同じです。
私はエジプト育ちなので、このような歴史に由来する、エジプト人の保身・エゴイズムのすさまじさを骨身に染みて経験しています。また、エジプト人の上流階級の「欧米化」(世俗化)がどんなに進んでいるかも知っています。
イラク人の場合、植民地経験をエジプト人と共有している上に、アラブスンニ派の中流階級以上がすべて「欧米化」している印象を私は抱いています。(ちなみに、植民地経験を同じくし、かつ、イラクのアラブスンニ派以上に「欧米化」しているのがレバノン人です。)
よって、日本人のように占領当局による「洗脳」を必要とすることなく、「世俗的・超個人主義者」たるアラブスンニ派・イラク人は、占領当局を大歓迎し、嬉々として占領当局に「迎合」することでしょう。
クルド人はそうはいかないでしょうが、幸いにして湾岸戦争以来の借りが米国に対してあるので、当面はおとなしくしていると思います。
アラブシーア派については、そもそも分離志向はないのではないでしょうか。

>  小生は、今回のアメリカのシナリオは、政権の受け皿がなくてもいい、前回
>のやり残しとその後の戦争状態を終わらせるため、なにせ挙げた拳を振り下ろさ
>なければならないということでしょう。

しつこいようですが、私はそうは思いません。米国が対イラク戦を行う理由は「自由」を守るための切実かつ悲壮極まりないものですし、一方で米国は政権の受け皿を目を皿のようにして探している、と私は見ています。

>2 また、戦争のプロセスは、貴方も同じですが、あっという間にバグダット包
>囲戦にになれば、いくらピンポイント爆撃といっても、多くの民間死傷者が出て
>、国際世論からも大きな批判がでるでしょう。アラブの憤激、憎しみは、いうま
>でもなく。

もう少し、きちんと議論をする必要がありますが、基本的にはおっしゃる通りです。
もう一つの問題は、フセイン政権による化学・生物兵器をミサイルや無人機に搭載しての米英軍や周辺の米英軍事基地、更にはイスラエルへの使用です。
ただ、こちらの方は、逆にフセイン政権への国際世論の囂々たる非難を引き起こすことでしょう。

>3 仮に新体制が上手く思惑どおりできたとしても、結局は死の恐怖政権がなく
>なれば(自国民に毒ガスを使用するような)、クルド、スンニ、シーアに大分裂
>するだけだし、周辺諸国から大挙強硬派が進出して来るだけではないでしょうか。

これまでのやりとりで尽きています。

>4 以上は、フセインが倒れる前提ですが、前述のように首都の市街戦を中心に
>民間人に多量の死者が出て、国際世論が撤退を迫った場合、米国の戦術的大勝利
>、政治的敗北の中で最悪の場合、フセイン政権が生き残る場合すら想定をしてお
>かなければいけないのでないかと思っています。

対イラク戦が敢行された場合、フセイン政権が生き残る可能性はゼロです。米国は絶対この政権が生き残ることを許さないでしょう。

>5 どういう結果になるか事態を見守りましょう。
>いずれにせよ、フセインが心臓発作で死ぬか、体制内で暗殺されることを(米国
>と関係なく)人類の幸福のため、期待してやみませんが。

ここは、全く同感です。

<コラム#70をめぐって(続続)>(掲示板より。2002.10.26)

同じ友人と更にやりとりが続いたので、ここに再掲します。

                           太田 述正

                 記

>「ですから」とありますが、どう見ても、殿下なるものはありえないのでは?

ハーシェム家からイラクの王様が出る形の決着はありえないということですね?

典拠は忘れましたが、米国か英国の有力紙が、この話は、英米以外では、全く話題にもされていないと嘆いていました。
それは、アングロサクソン以外が、いかにアングロサクソンのやってきたことに無自覚であるか、忘れたふりをしているかを如実に物語っています。

維新期の日本人は、しっかりとアングロサクソンを見据えていました。
福沢諭吉は、「文明論の概略」の中で、「英人・オランダ荷蘭人が、東洋の地方を取りて、もと旧の酋長をば其のまま差し置き、英・荷の政権を以て土人を支配し、兼ねて其の酋長をも束縛するが如き、是れなり。」(岩波文庫版45頁)、「英人が東洋諸国を御するに、体を殺して眼を存するの例は少なからず」(前掲書46-47頁)と喝破しています。(この話は、この掲示板上で、別の文脈でとりあげたことがあります。)
一番いい例が、英国によるインド統治です、沢山の藩王達を残しつつ、彼らの牙を抜き、巧みにインド全土を手中に収めて行ったわけです。(その後遺症の一つがカシミール問題です。)

にもかかわらず、このアングロサクソン流にひっかかって、昭和天皇ないし「天皇制」の名目的存続と引き替えに、憲法第9条(=日本の牙を完全に抜くしくみ)を安易に受け入れてしまったのが、福沢の足元にも及ばない、終戦後の日本の愚かな指導者達でした。

とまれ、これほど「旧の酋長」は被支配者を「御する」のに大きな役割を果たすのです。

アフガニスタンでも旧国王は、対アフガニスタン戦の戦後体制の発足に当たって不可欠な役割を演じさせられました。(最後の瞬間に本人が固辞し、元首に返り咲くことにはなりませんでしたが・・。)

対イラク戦後にあっても、米英が、「旧の酋長」を復活させてイラク人民を「御」そうと
大まじめで考えるのは当然のことでしょう。

敵国の占領後、相手の牙を抜くだけでなく、体制の「自由・民主化」も掲げるというのは、米英と言うより、米国の専売特許ですが、日本の場合と違い、イラクは文字通りの独裁体制からの体制変革ですから、ご苦労なことです。ますますもって、「旧の酋長」の効能に期待するということにならざるを得ないと思うのですがいかがなものでしょうか。

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