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太田述正コラム#0097(2003.1.23)
<シリア・・イギリスの寵児?>

1 寵児シリア

 昨年の12月に、シリアのバシャール・アサド大統領は英国に招待され、シリアの元首として初めて英国を公式訪問し、エリザベス女王やブレア首相の大歓迎を受けました。
 隣国同士であるシリア(人口1650万人、2001年GDP176億ドル、一人当たりGDP1060ドル)とイラク(人口2230万人、GDP150億ドル、一人当たりGDP670ドル)は、双子の兄弟と言ってもよいほど似通っています。(人口等は、The Military Balance 2002-2003 による。)

(1) どちらも過去において文明が栄えた地であり、第一次世界大戦後、オスマントルコの支配から英仏軍により「解放」された上で人工的に領域が線引きされ、それぞれシリアはフランスの、イラクは英国の国際連盟委任統治領となり、その後独立したという歴史をもつ。
(2) シリアもイラクも、主要な外貨獲得手段は石油(及び天然ガス)である。(もっとも、シリアの石油の産出量も埋蔵量も、イラクには比べようもない。)

特に、シリアとイラクは、以下のように英国が大嫌いなお国柄を共有しています。

(3) シリアもイラクもファシスト政党であるバース党の支配する(正確には、「バース党のシリア支部とイラク支部がそれぞれ支配する」と言うべきだが、両者の実態は別の党)全体主義独裁国家(・・ファシスト国家(全体主義独裁国家)であるからこそ、逆説的にその将来の民主化に期待できるという、コラム#65でイラクについて述べたことが、シリアにもあてはまる・・)である。
(4) シリアではイスラム教シーア派のアラウィ分派(Alawite)信徒を率いるアサド家が(バース党を通じて)、国民の多数を占めるスンニ派、等を支配しているのに対し、イラクでは狭くはスンニ派アラブ人のティクリット地域種族、広くはスンニ派アラブ人を率いるフセイン家が(バース党を通じて)、クルド人、及び国民の多数を占めるシーア派を支配しており、両国とも少数派を背景とする政権が権力を握っている。
(5) 両国とも、体制に反抗するグループに対しては、何千、何万人もの虐殺をも躊躇することなく、厳しい弾圧を行ってきた。(例えば、シリアはムスリム同胞団に対し、イラクはクルド人に対し。)
(6) 両国とも反欧米姿勢、就中イスラエル敵視政策を堅持している。
(7) シリアはレバノンにシリア軍を駐留させて同国を保護国化しているのに対し、イラクは対イラン戦を行ったりクェートを占領したことがあり、両国とも近隣諸国に対して侵略的な政策をとってきている。
(8) シリアは生物・化学兵器を開発中とされるhttp://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,2763,860851,00.html。12月16日アクセス)のに対し、イラクは生物・化学兵器を保有しており、核兵器を開発中とされる。
と数え上げればきりがありません。

確かにシリアはイラクに比べて外交に巧みで軍事力の使用も抑制的であり(ハフェズ・アサドのプロフィールを紹介したBBCの配信(末尾にURLを記した)参照。だからこそ、シリアはこのところ戦禍をまぬがれ、また国連の経済制裁の対象にならず、おかげで現在瞬間風速的に、人口が多く資源にもよりめぐまれたイラクを経済力で凌駕している)、イラクのように大量破壊兵器を使用したこともありません((5)参照)が、その一方でシリアはイラクと違って、対イスラエルテロ活動を行っているイスラム聖戦機構(Islamic Jihad。ヤセル・アラファト率いるアル・ファタ系の過激派組織)、ハマス(Hamas。パレスティナ当局(PA)に敵対するパレスティナ人の過激派組織)、及びヒズボラ(Hezbollah又はHizbullah。レバノンのシーア派の過激派組織)がその本部ないし事務所を首都ダマスカスに置くのを公認している(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A51860-2003Jan13.html(1月14日アクセス)及びガーディアン、前掲)という、米国ご指名の七つのテロ支援国家の中でもユニークな存在です((4)参照)。

 にもかかわらず、現在両国に対する英国の対応は180度異なっています。一体これはどうしてなのでしょうか。
 
2 バシャール・アサド大統領のプロファイリング

 私は、英国はイラクのサダム・フセイン大統領を全く信用していないのに対し、シリアのバシャール・アサド大統領は信頼し、彼に熱い期待を寄せているからだ、と考えています。
 バシャールは、1971??2000年の長きにわたってシリアの大統領をつとめた故ハフェズ・アサドの次男として1965年に生まれ、フランス系の学校教育を受けた後、ダマスカスとロンドンで眼科医としての教育研修を受けていましたが、1994年に兄のバシルの不慮の死に伴い、思いがけずも父ハフェズの後継者に目されるに至り、急遽軍人としての教育を受け、「皇太子」としての経験を積み、2000年の父大統領死去に伴い、その後を襲って大統領に就任しました。
 このように彼がフランス系の教育を受け、とりわけイギリスで過ごした時期があることが、(中東以外の世界を知らない)彼の父のハフェズやイラクのフセイン大統領に比べて、それだけではるかに英国のお眼鏡にかなうゆえんなのです。
 これに加え、バシャールが自らの希望に従い、眼科医者としてのトレーニングを受けたということが重要なのではないでしょうか。
 シリア地域からは、13世紀の昔に、白内障の手術を行った、名眼科医のハリーファ・イブン・アビ・アル・マハーシンが出ており(P・K・ヒッティ『シリア――東西文明の十字路』中公文庫1991年(原著は1959年)289頁)、眼科医の権威は高いと思われますが、「眼科・・は、・・外科などに比して、患者に治療効果がわかりやすいという特徴がある。その意味では、眼科はサービス業としての考え方がもっとも重要な診療科のひとつである。・・消費者である患者の視点を忘れないことがポイント・・」(真野俊樹「医療マーケティング」日本評論社2003年(出版予定)第八章169-170頁)というわけで、バシャールは民主的な人柄であることが推察できるのです。
実際、バシャールの政治指導者としての実績は、上記プロファイリングを裏付けるものであり、バシャールは彼の「皇太子」時代に積極的に腐敗防止キャンペーンを行ったことで早くも注目され、大統領に就任するや、体制に対する批判を解禁し、人権蹂躙で悪名高いいくつかの刑務所を閉鎖し、政治犯数百名に恩赦を与えて出獄させ、マスコミ規制を緩和し、インターネットを解禁し、女性の権利増進を図り、(民間銀行設置を認める等)鎖国的な経済の改革に改革に着手した上、一昨年の9.11事件後、アルカイーダに関する情報を提供する等の対米融和策をとってきています(http://www.observer.co.uk/worldview/story/0,11581,860417,00.html(12月15日アクセス)及びガーディアン前掲)。昨年には、ヒズボラによるイスラエル領内への攻撃を思いとどまらせ、トルコとの間で訓練や防衛産業に関する防衛協力協定を締結し、国連安全保障理事会において(もともと近親憎悪の間柄で、湾岸戦争の時もシリアは対シリア多国籍軍に参加したという経緯等があったとはいえ、)イラクへの査察再開に賛成票を投じ、シリアの変身ぶりが話題を呼んだ(http://www.nytimes.com/2003/01/02/international/middleeast/02SYRI.html(1月2日アクセス)。ただし、トルコとの防衛協力については、Jane's Defence Weekly 12 Feb. 12 PP18。)ところです。

このバシャールを支えているのが、夫人のアスマです。
アスマ・アフラスは、シリア人の心臓外科医の父親と同じくシリア人の母親の間にロンドンで生まれ、2001年の正月に25歳で(シリア帰省中に幼なじみとなり、愛を育んだ)バシャール・アサドと結婚してアスマ・アサドとなるまで、事実上イギリス人としての生活を送りました。ロンドン西部の国教会系の学校に通い、ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジでコンピューター・サイエンスを学び、更にハーバード・ビジネス・スクールを卒業した才媛です。そして、J.P. モルガンに就職し、企業合併や企業買収業務に従事しました。両親は今でもロンドン郊外に住んでいます。
彼女はバシャールと近親者だけで結婚式を挙げてから、数週間雲隠れし、Tシャツとジーンズという姿でおしのびでシリアの田舎を旅行し、庶民生活のありのままの姿の把握に努めました。その上で、農村を振興するNGOを設立し、その総裁として活躍しています。バシャールとは大統領宮殿に住まず、ごく普通のダマスカス市民としての生活を送っているといいます(オブザーバー前掲)。
バシャールに対する期待が、いやがおうにも高まらざるをえないではありませんか。
むろん、シリアではかねてから、アルカイーダにつながるイスラム過激派が蠢動しており、また対イスラエルテロ活動を行っている三組織とシリア政府との関係にも微妙なものがあり、かつまたバース党の中には牢固とした保守派の勢力があることから、バシャールの行く手は平坦なものであるはずがありません。
現にシリアでは、昨年には新たに政治犯が逮捕されたり(オブザーバー前掲)、今年に入ってからはジャーナリストが逮捕されたりしています(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,876509,00.html。1月17日アクセス)。
しかし、バシャール・アサドが大統領である限り、英国のシリアに対する基本的スタンスがゆらぐことはないでしょう。

(全般的に、バシャール・アサドのプロフィールを紹介した1999年6月23日付のBBC配信http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/middle_east/785921.stm、ハフェズ・アサドのプロフィールを紹介した1999年7月23日付の同じくhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/special_report/1998/10/98/middle_east/401381.stm、シリアの近年の年表を掲載した3月19日付の同じくhttp://newssearch.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/827580.stm、及びシリアそのものを紹介した2002年10月30日付の同じくhttp://newssearch.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/country_profiles/801669.stm も参照した。)

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