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太田述正コラム#0116(2003.4.24)
<滅び行く欧州と日本?(その1)>

 日本の少子化の原因については、ホームページ(http://www.ohtan.net)の「主張」欄やコラム#64等で何度か触れてきたところですが、もう少し巨視的にこ問題にアプローチするとどうなるでしょうか。
 世界広しといえども、少子化が行き過ぎてしまい、これから人口が急速に減少すると見込まれているところは西欧と日本だけです。
 一般に、生活水準が向上するとどこの社会でも少子化傾向が見られるのは事実です。しかし、西欧と日本の極端な少子化傾向を、この一般論だけで説明することは困難です。

 西欧を代表する国は独仏伊の三カ国ですが、これらの諸国における極端な少子化は、海の向こうの高い文明に接し、この文明に対して自殺的抵抗と壊滅的な敗北を重ねた後、プライドと自信を失い、人口が減少して殆ど消滅するに至った北米大陸のインディアンになぞらえることができる、(第二次世界大戦に至る自殺的抵抗と壊滅的敗北の繰り返しの後の)心理的自殺行動ではないかと示唆するアジア・タイムスの記事がありました(http://www.atimes.com/front/DD13Aa04.html。48日アクセス)。
 この記事は、かつてインディアンを滅ぼし、そして今度は西欧を滅ぼしつつある高い文明が何かについては記していませんが、それがいずれもイギリス(アングロサクソン)文明であることは言うまでもありません。
 (アジア・タイムスは香港の英字紙ですが、時として英国のガーディアンやファイナンシャルタイムズが真っ青になる洞察力にみちた記事が載る楽しいメディアです。もっとも、時々とんでもない内容の記事も載るので注意する必要があります。この記事もとんでもない方じゃないかですって?)
 確かにこれは興味深い説であり、私としても大いに腑に落ちるところがあります。

 しかし仮にこの説が正しいとして、日本の極端な少子化もインディアンや西欧の場合と同じことが原因だと考えてよいのでしょうか。
 違う、と私は思います。
 幕末期以降、日本はアングロサクソン文明に親しみを覚えこそすれ、これに反発して積極的に対峙しようとしたことはありません。先の大戦が不幸にも日本対英米という構図になってしまったのは、未熟な覇権国たる米国の過失がもたらした一時的な逸脱現象にほかなりません。(このことも、このコラム等で何度となく私が指摘したきたところです。)
 この日本を、アングロサクソン文明に対して自殺的抵抗と壊滅的敗北を繰り返したインディアンや西欧と同列に論じるわけにはいかないでしょう。
 それでは日本の極端な少子化の本当の原因は何でしょうか?
 私は、日本が開国期を経て鎖国期に入りつつあるからだと考えています。

 (丸山真男の言葉を借りれば)日本文明の古層には縄文文明(BC10000??)があり、8000年にも及んだこの文明の表層に渡来文明たる弥生文明(BC300??)が乗っかった形の複合文明が日本文明であり、日本文明は人口が増加する弥生的な開国時代(=渡来文化時代、対外戦争の時代)から人口が停滞する縄文的な鎖国時代(=国風文化時代、平和な時代)へ、そしてまた人口が増加する弥生的な時代へというサイクルを繰り返して現在に至っているのです。(年代は、http://www1.mahoroba.ne.jp/~matumoto/testh.html(4月24日アクセス)による。)
 すなわち、自然環境等の変化に伴う増減はあったものの人口が基本的には停滞的であった縄文時代の後、弥生時代には渡来人の移住と稲作の導入による生産能力の向上によって人口が爆発的に増えました。そしてその弥生時代の延長である「古墳・飛鳥・奈良・平安初期時代」(4??9世紀)(注1)にも人口増は続きますが、「平安中後期・鎌倉・室町時代」(9??15世紀)(注2)には人口は停滞し、「戦国・安土桃山・江戸初期時代」(15??18世紀)(注3)には人口は再び増加します。そして「江戸中後期」(18??19世紀)(注4)の人口停滞期を経て、「明治大正昭和時代」(19??20世紀)の爆発的増加時代を迎えます(鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫2000年5月。254-255頁)。

(注1) 仏教渡来(538)、遣隋使・遣唐使(派遣時ベースで630??834年     (http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwai/tabi/kentousi.html(4月24日アクセス))、律令制、そして対外戦争(例えば、白村江の戦い(663))の時代。
(注2) 国風文化、摂関・幕府、そして(「元寇」を除いて対外戦争のない)平和な時代。平安中期に至っては、国内戦争もなかったし、死刑の執行もなかったと言われている。
(注3) キリスト教渡来(1549)、南蛮貿易、そして対外紛争(和冦、朝鮮「征伐」)の時代。
(注4) 町民文化と文字通りの鎖国の時代。
 
 このような経過をたどり、日本は自然な成り行きとして、現在再び人口が停滞する、国風文化志向の鎖国期を迎えつつある、と私は考えているのです。
                               (続く)

 ((その2)では、この考えを、西欧では見られない現在の日本の異常な殺人率の低さ、自殺率の高さを紹介しつつ検証します。)

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