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太田述正コラム#0160(2003.9.26)
<日本の防衛力の過去と現在(その2)>
3 見せ金としての日本の防衛力
さて、吉田ドクトリンの下、日米安保があり、しかも米軍が日本に駐留している以上、1で述べた??のような戦略環境にある日本は、それこそ非武装でもかまわないはずです。しかし、それでは米国政府として米国の納税者に説明ができません。自ら努力しないものをどうして助ける必要があるのか、と納税者に叱られてしまうからです。日本の自衛隊が存続させられてきたのは、日本が防衛努力をしているフリを米国の納税者に対してする、というただそれだけの目的のためです。自衛隊はエクスキューズとして、あるいは見せ金としてのみ存続してきたということです。
だから自衛隊は、創設時から深刻なモラルハザードを抱え、現在に至っています。このモラルハザードがもたらした深刻な病理と堕落について申し上げましょう。
(1)病理と堕落
ア 病理
寄席の芸人は、寄席など社会にとって必要不可欠なものでも何でもありませんが、それでも芸人として最高の技量をめざして自己研鑽に励みます。
戦後日本において自衛隊は日陰の存在であり続けました。そんな中で、いわばこのような寄席芸人的生き方に心ある自衛官は心がけてきたといっていいでしょう。
寄席の喩えを出したのはもう一つ理由があります。
各自衛隊、及び各自衛隊それぞれが持つ軍事的諸機能発足の経緯は、民主党のシンクタンク向けの拙稿(コラム#58)の中で説明したところです。しかし発足当時は見せ金とは言っても、将来まともな陸海空「軍」に脱皮すべく、少なくとも各自衛隊レベルにおいては、軍事的諸機能はそれなりに相互に意味のある形で結びついていたのですが、年月がたつとともに、初心は忘れ去られ、各自衛隊はもとより、各自衛隊がかかえる軍事的諸機能もまたばらばらに何の脈絡もなく併存するようになっていったのです。同じ寄席芸とは言っても、落語、漫才、浪曲、色物、相互の間には何の脈絡もないのと同様の姿に自衛隊もなってしまったということです。
これが戦後日本の防衛力の「病理」です。もっとも、これは「生理」というべきでしょうか。
イ 堕落
しかし、その寄席に客が殆ど寄りつかず、従って目利きの観客もいないが、給金だけはもらえるという状況が続けば、早晩芸人達は、研鑽を怠りつつも芸をしているフリだけはして、ひたすら楽屋でカネ勘定にあけくれるようになるはずです。
まさにそれが防衛庁=自衛隊で起こった「堕落」です。ほぼ同じことが、やはり本来業務である外交をさせてもらえない外務省でも起こったことは皆さんご案内の通りです。防衛庁=自衛隊が余り問題にならないのは、外務省と違って、自衛隊の本来業務がほとんど一般国民と接点がないからです。
私が拙著『防衛庁再生宣言』の中で明らかにしたように、日本政府と在日米軍との関係は険悪であり、いざという時のことを考えると私はぞっとするのですが、そんな「抽象的」な話には誰も何の関心も示してくれません。(かろうじて国民の関心をひくのが事故、調達をめぐる不祥事、そして秘密漏洩事件です。)
ウ 基盤的防衛力構想
「堕落」を何とかくい止めようとして、1970年代に警察庁から防衛庁に移ってきた久保卓也氏がひねり出した苦肉の策が基盤的防衛力構想です。
そのねらいは、政府・自民党と社会党に代表される55年体制下の癒着当事者間の、「自衛隊は憲法違反か否か」、を始めとする、なれ合い安保「論議」は延々と続くけれども、トータルとしての自衛隊の存在目的は一向に政府から示されない、という状況を所与のものとした上で、各自衛隊がかかえる軍事的諸機能ごとにクリアすべき目標を設定し、自衛隊員のモラルハザードからの解放を図ったところにあります。今まで使ってきた喩えで言えば、芸人達にそれぞれの芸の最低到達水準を設定し、クリアしないと給金・年金をあげないよ、というのが基盤的防衛力構想です。経営学的に言えば、会社全体としての目標は考えないことにしたまま、事業部ごとに目標管理の考え方を導入した、ということになるでしょうか。
なお基盤的防衛力構想の中に、限定小規模侵攻対処という、自衛隊全体にとっての存在目的、あるいは目標らしきものが出てくることは事実ですが、これは避雷針のようなものだと思えばいいのです。基盤的防衛力構想の本質が何であるかは、その前身が脱脅威論と呼ばれたところに尽きています。
(2)特異な第二次冷戦時代
しかし、案ずるよりも産むがやすし。基盤的防衛力構想が防衛大綱という形で政府によってオーソライズされた(1976年)直後から、ソ連のアフガニスタン侵攻を契機に第二次冷戦時代(1979-1989年)が始まり、この間自衛隊のモラルハザードは基本的に解消することになります。
ア 対ソ第二戦線構想
民主党のシンクタンクの機関誌に書いた前掲の拙稿(コラム#58)とコラム#30を参照してください。
この話は、1980年代に入ってすぐ、私は公的な場以外で折に触れて語ってきたのですが、反応らしい反応が返ってきた試しがありません。政府のあずかりしらないところで、各自衛隊が米軍の補助部隊として対ソ抑止戦略の重要な一端を担っていた、しかも米国の核戦略にもコミットしていた、そしてこの日本の意識せざる貢献がソ連の崩壊をもたらす大きな要因となった、というのは相当重い話のはずですが・・。日本はまことに摩訶不思議な国です。
イ 不必要かつ侮蔑を生んだ「思いやり」
不思議な国と言えば、「思いやり」経費、すなわち駐留外国軍の駐留経費を負担しているという点でも日本は世界の異端児です。何せ、日本が戦後主権を回復してから必死の思いで段階的に解消した在日米軍駐留経費の負担を、要求されもしないのに自発的に復活し、しかもそれを雪だるま式に増やしたというのですから。
駐留外国軍の駐留経費を負担するということは、受け入れ国が駐留軍の母国の保護国であることを意味することは国際的常識だというのに・・。
「思いやり」経費の負担を1978年に始めたきっかけは、財政難と円高に苦しむ米軍が米軍基地従業員を整理縮小しようとしたのに対し、55年体制という自社癒着構造の下、当時の金丸防衛庁長官が、基地従業員の雇用確保のために負担を決断したことです。日本は、特定の職場の雇用確保のために主権を売り渡した、ということです。
このことがどんなに米国の侮蔑を招いているかを、いいかげんに日本人は自覚すべきでしょう。米国というのは、駐留英国軍の駐留経費の負担を求められたことに怒って英国から独立したという国なのですよ。
「思いやり」問題については、拙著もご参照ください。
(3)現在
冷戦時代が終わり、自衛隊は再びモラルハザードに苦しめられることとなり、途方に暮れています。四兆円もの防衛費は、何の防衛構想もないまま、垂れ流し的に使われています。国産装備品の価格は国際水準の2??3倍、しかも国産装備品は実戦のことなど殆ど念頭に置かずに開発されたものが多く、およそ使い物になりません。
「思いやり」経費の負担も、若干縮小されたとは言え、そのまま続いています。
借金漬け財政の下、一体日本はいつまでこのような税金の垂れ流しを続けていくつもりなのでしょうか。
4 今後の日本の防衛力のあり方
(1)有事の諸態様
有事は大きく海外有事と国内有事に分かれます。そしてこの国内有事が大量破壊兵器攻撃事態、武力攻撃事態、武器攻撃事態に分かれます。起こりやすい順序は、海外有事、武器攻撃事態、大量破壊兵器攻撃事態、武力攻撃事態、です。昨年雑誌『選択』に書いた私の有事法制論文(コラム#21)を参照してください。
(2)整備面のあり方
海外有事に対処する防衛力=武器攻撃事態に対処するための防衛力≒大量破壊兵器攻撃事態に対処する防衛力、という観点から防衛力を再編、整備すべきでしょう。この考え方に立つと、防衛力の運用について意見がまとまらなくても、防衛力の整備については広範なコンセンサスを築くことができそうです。
民主党がこの考え方を採用することによって真の政権政党に脱皮することができるのか、それともまたもや自民党に先を越されるのか、注目されるところです。
いずれにせよ大切なことは、きちんと議論をした上で効果的かつ効率的に防衛費を支出して精強な自衛隊を整備するということであって、議論の結果、防衛費が増えようと減ろうと、はたまた「軍拡」になろうと「軍縮」になろうと、私自身は余りこだわってはいません。
(3)運用面のあり方
最近、三自衛隊の統合面では一定の進展が見られるのは喜ばしいことですが、残された課題は山ほどあります。
ア 諜報機関の設置
これがすべての前提です。日本には一昨年まで防衛秘密保全法制がありませんでした。
当然次のステップは諜報機関(対諜報機関を含む)の設置でしょう。諜報機関のない国は軍事力(軍隊。日本の場合は自衛隊)がたとえあろうと、国際社会からまともな国として認知されません。
偵察衛星も必要ですが、物には優先順位があります。偵察衛星に投じる金があったら、まず諜報機関の設置を図るべきでした。
イ 政府憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認・・海外有事対処
日本が集団的自衛権を行使することに反対する政治家は、政治家たる資格はありません。なぜなら、反対する理由はつきつめれば、??安全保障に対する関心のなさ、あるいは安全保障に関わりたくない気持ち、??国民に対する不信、??他人に対する惻隠の情・・思いやりと言ってもいいでしょう・・の欠如、の三つに集約されると言っていいでしょうが、??は都道府県議会議員ではないのですから、即国の政治家として失格ですし、??は「民主主義」国家の政治家としては失格ですし、??は政治家どころか、人間として失格です。
しかも、今や海外派遣自衛隊の安全確保のためにも集団的自衛権行使容認は焦眉の急の課題と言っていいのです。この点は、昨年民主党本体の機関誌に書いた拙稿(コラム#57)をご参照ください。
なお、やや次元の違う問題ですが、武器輸出禁止政策も大幅に緩和すべきでしょう。
蛇足ながら、集団的自衛権行使容認にせよ、武器輸出禁止政策の緩和にせよ、要するに百害あって一利もないタブーは撤廃しようということであって、野放図に自衛隊を海外に派遣したり、武器を輸出したりすることを意図するものではないことは言うまでもありません。
ウ 有事法制の整備・・武器攻撃事態対処
法制整備の優先順位はあくまでも、海外有事、武器攻撃事態、大量破壊兵器攻撃、武力攻撃、に係る法制、です。海外有事に係る法制整備の最大のものは集団的自衛権行使の容認ですから、有事法制整備の最大の課題は、武器攻撃事態に係るものの整備、ということになります。上記有事法制論文(コラム#21)も参照してください。
エ 核政策の確立・・大量破壊兵器攻撃事態対処
非核二原則への変更・・核搭載米艦艇の寄港容認・・と米国との核協議開始が、カネがやたらかかって効果が今ひとつ定かではないミサイル防衛への本格的資金投入より先行しなければ、論理的ではありません。
その前提として、国民感情論に立脚しない、国際的に説得力ある日本非核武装論を構築する必要があります。私自身はこれまで非核武装論の立場に立ってきましたし、今後とも日本は非核武装を続けるためにあらゆる努力を惜しむべきではないと考えています。
しかし、核武装オプション・・その形態は色々ある・・を頭から排除する、という姿勢もまたとるべきではありますまい。
5 結論
安保・防衛問題に法律論的、技術論的アプローチだけをして事足りたとしてはなりません。安保・防衛問題に取り組むということは、日本のあり方とトータルに取り組むということなのです。この観点から私は、吉田ドクトリンの克服、縄文モードから弥生モードへの切り替えをめぐって大論争が起こることを期待しているのです。
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