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太田述正コラム#0172(2003.10.19)
<イギリスのカトリシズムとの戦い(その1)>
(コラム#169と171について、読者とのやりとりが、それぞれ私のホームページ(http://www.ohtan.net)の掲示板にあります。関心のある方は参照してください。)
1 法王ヨハネ・パウロ二世批判
法王ヨハネ・パウロ二世が就位25周年を迎えましたが、米国のメディアでは同法王に対して中立的な論調が多い(例えば、http://www.nytimes.com/2003/10/17/international/europe/17POPE.html(10月17日アクセス))のに対し、英国のメディアでは同法王に批判的な論調が目に付く、という興味深い傾向が見られます。
英ガーディアン紙に掲載されたポリー・トインビーのコラムhttp://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,1064740,00.html(10月17日アクセス))は、同趣旨のBBCの報道番組を引用しながら、とりわけ厳しく同法王を批判していますが、その批判の要旨は次の通りです。
第一に同法王が、堕胎への反対が高じ、人工妊娠中絶はもとよりコンドームの着用にすら反対していることが問題だ。念の入ったことに、エイズウィルスはコンドームを透過することが科学的に証明されたという謬説まで同法王は掲げてコンドームの着用に反対している。(その証拠を開示しようとしない以上、謬説と言うほかない。)その結果アフリカや中南米においてもたらされたのが、エイズの蔓延と人口爆発による社会崩壊だ。
第二の問題は、同法王が性の忌避という禁忌にいまだにとらわれていることだ。その結果神父の少なからぬ部分は同性愛に走り、また他の少なからぬ部分は少年・少女愛=児童虐待に走ってスキャンダルを引き起こしている。
(ここ十年来、米国、アイルランドを始めとする計17の国と地域でカトリック神父による児童虐待が明るみに出ているが、同法王の対応は極めて微温的であり、例えば司教区での100件もの児童虐待を隠蔽したボストン大司教のバーナード・ロウは、大司教を解任されたがいまだに枢機卿であり続けている。神父による児童虐待が頻発したため、米国では教会文書は証拠として用いないとの慣例が崩れてしまったという有様だ(http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2003/10/17/2003072161(10月17日アクセス))。また、広義には性の禁忌に入るが、同法王は女性の神父への叙任にも反対し続けている(ニューヨークタイムズ前掲)。)
第三の問題は同法王が、法王庁が世界の宗教団体の中で唯一異例にも国連に加盟している現状を容認していることだ。宗教は個人の内心にのみ関わるべきなのに、カトリックはいまだに政治に関わっている。
このほか、私があげたいのが聖人化の問題です。すなわち、
第四の問題は、同法王が過去四世紀間の総数に並ぶほど多数のカトリック信徒たる故人を聖人化した(ガーディアン前掲)ことに関わる。数の多さ自体が問題なのではなく、奇跡を生前に行った者だけが聖人になりうる、という非科学的な考え方を維持しながら、なおかつ多数の故人を聖人化した(できた)ことが問題。
実際法王庁は国連に加盟しているだけでなく、例えば中国の執拗な要求をはねつけ、中国ではなく台湾との外交関係を維持し続けており(http://j.peopledaily.com.cn/2003/10/17/jp20031017_33253.html。10月19日アクセス)、宗教団体であるにもかかわらず、国際政治のアクターとして積極的に世俗的世界と関わっています。こんな非近代な代物が21世紀にもなっていまだに生き残っていることは、アナクロニズム以外のなにものでもありません。
そのカトリックが、第三世界でいまだに信者の数を増やし続けています。
他方幸いなことと言うべきか、カトリックは(ポーランド等一部の国を除いて)欧州では急速に廃れつつあるように見えます。
廃れつつあるだけではありません。1981年には法王庁のお膝元のイタリアでさえ、法王の反対を無視して国民投票で堕胎を合法化しましたし、仏蘭独及びベルギーでは、同じく法王の反対を無視して同性のカップルに法的な権利と保護を与えるに至っています。(英国ではまだそうなってはいない。)(以上、http://www.nytimes.com/2003/10/13/international/europe/13CHUR.html(10月13日アクセス))による。)
しかし、元アイルランド首相のジョン・バートンの「欧州の現在の世俗的非寛容の度合いは、過去における宗教的非寛容の度合いに勝るとも劣らない」との言(ニューヨークタイムズ上記)が示唆しているように、カトリックだけでなくプロテスタントも同時に廃れつつある欧州における昨今の上記動向は、むしろ世俗的非寛容の押しつけと見るべきであり、過去のカトリシズムの押しつけと同工異曲の、カトリシズム的宗教原理主義の発現形態だ、と私は考えているのです。
英国のメディアがヨハネ・パウロ二世を批判する背景には、数世紀にもわたるイギリス(スコットランドやアイルランドを除いた英国)とカトリック教会=法王庁との死闘の歴史があります。これから折に触れて、その歴史を振り返ってみたいと思います。
(続く)
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