太田述正コラム#0219(2004.1.1)
<現代日本の越し方行く末(その2)>

 (読者の皆さん。あけましておめでとうございます。いつまで本コラムを続けられるかは分かりませんが、本年もどうぞよろしく。)

<コメント>

 私は、世界と日本の未来のあり方を模索するためには過去を振り返らなければならないとの観点から、日本の現代史にも新しい光を当て、得られた結論を拙著「防衛庁再生宣言」やコラムに書き綴ってきました。
そこに、たまたま昨年末、前回引用したコリン・ロスの本の部分訳を読み、拍子抜けしてしまいました。
支那事変真っ最中の1939年に東アジアを訪れたオーストリア出身の練達のジャーナリストであり、映画制作者でもあったロスは、あたかも印画紙に焼き付けるように素直に、彼の目に映った「戦前」の日本人や支那人の姿を描き、conclusions(複数の結論)を出していくのですが、ロスが当時出したconclusionsは、私が苦労してここ数年でやっと到達したconclusionsと、ほぼ完全に一致しているではありませんか。
何ということはない。東アジアの「戦前」に関するconclusionsは、既にロスによって60年以上も前に下されていたということです。
ですから、以下のコメントは、蛇足に近いと思ってください。

 「日本」について:ロスの記述を通じ、改めて「戦前」の日本人の共和主義(民主主義)へのこだわりの強さを感じます。
 (ちなみに、脚注の1で引用した、(ロスの7年前に東アジアを訪れたドイツ人)シュネーによる「日本の対外政策があまりにも国内政局の動きや、国民世論によって左右されすぎている」との指摘は、ある意味では、「民主主義」日本のその後の支那事変への深入りや無謀な対米開戦だけではなく、戦後の吉田ドクトリンの墨守をも予想したかのような不吉な指摘です。)
こだわりの一例として、蒋介石政権から離脱した汪兆銘による南京政権が樹立された1940年、当時の日本政府の支那政策の諮問委員会であった興亜委員会は、汪政権が、孫文が唱えた「大アジア主義」だけでなく「三民主義」(民主主義)の継承者でもある、とあえて諮問した(松本健一「大川周明??百年の日本とアジア??」(作品社1986年)324??326頁)という事実をご紹介しておきます。
 このほか、戦前の日本の国家戦略は、ナショナリズムの発露であるとは必ずしも言えない、とのロスの示唆には目を啓かされるものがあります。

 「日本の植民地政策」について:ロスは、私の言う英米や欧米列強とは「一味違う」日本の植民地政策について、一切の偏見から自由に、生き生きと描写しています。当時の日本が新渡戸稲造・・実際に台湾統治に携わったことがある・・やその東大経済学部における後任教授の矢内原忠雄ら、錚々たる植民政策学者らを擁していたことが思い起こされます。
 問題は、植民地側から見た日本の植民地政策の評価が台湾・・肯定的・・と朝鮮半島(北朝鮮はともかくとして韓国)・・否定的・・とで180度近く違うのはなぜか、ということです。
 いずれにせよ遺憾ながら、日本の文化の流入規制を韓国が完全に撤廃するまでは、韓国と日本との間で、東アジアの「戦前」について、率直かつ意味のある対話を行うことは不可能だと私は考えています。

 「蒋介石政権」について:蒋介石政権が抱えていた四つの根本的な問題点である、腐敗、ネポティズム、(孫文由来の)西欧直輸入の容共的「ファシズム」、(宋美齢由来の)米国との癒着、をロスの慧眼は的確に抉り出しています。
 
 「支那事変」について:当時の日中間の戦争なるものは、支那を舞台に展開されていた、蒋介石政権の「ファシズム」と中国共産党の「共産主義」と日本及び親日派の「民主主義」の三つ巴の争いの一側面に過ぎないことをロスはいとも自然に喝破しています。(そしてこの三つの中で蒋介石政権の運命が尽きかけていることを示唆しています。)
 あえて付言しますが、このように当時の状況を捉えることが、支那事変の過程で日本軍や日本軍人が行った数々の蛮行を免責するものではないことは言うまでもありません。

2 現代日本人の原体験

 「現代日本の来し方」をいささか大慌てで振り返りましたが、次に「現代日本の行く末」を論じる前に、現代日本人にとっての二大原体験である、支那と先の大戦に関する同時代人たる日本人の認識に触れておきましょう。

(続く)

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