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太田述正コラム#0223(2004.1.5)
<現代日本の越し方行く末(その6)>
3 現代日本の行く末
(1) 理念
私は、日本文明とアングロサクソン文明は、「多元主義と寛容の精神」や「社会・政治の基本構造(edifice)の安定を揺り動かすことなく、最も抜本的な革命を発動(affect)することを知っている」点で、世界の諸文明の中で最も共通点が多い二つの文明であると指摘してきました(拙著「防衛庁再生宣言」(192頁)及びコラム#84)。
だからこの両文明は生来的同盟関係にあるのであって、日本の行く末に関しては、「開放体制を信奉する国々で世界はまだ覆いつくされていない<ところ、いささか乱暴ではあっても>米国のリーダーシップ<は認めざるをえないが、その米国のリーダーシップ>の下で開放体制を信奉する国々が多極化<し>ない<限り>、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」に向かう道程は混乱に満ちたものになってしまう<だろう>。・・現在・・英国だけが米国に掣肘を加えようとし、それにある程度成功しているが、英国だけでは力不足<であり、そこに日本の出番がある。>日本が<米国に何か>言えば、・・<米国が>それなりに耳を傾けることは間違いない。私は日本がそのような存在になること」(コラム#133)、或いは、「中長期的には、・・米国単独での覇権の維持は困難だという問題があ<るので>、私は・・米国とアングロサクソン諸国と日本が積極的に提携して自由・民主主義と法の支配を旗印とする覇権連合を形成することによって、世界が「歴史の終わり」に向かって引き続き前進を続けること」(コラム#211)、を願っていると申し上げてきたところです。
換言すれば、パックス・アングロサクソン=ニッポン、が私の期待する日本の行く末なのです。
問題なのは、日本が、自らの行く末について意思決定を行う前、従って態勢が全く整わないまま、現実がどんどん先行して行ってしまっていることです。
(2) 現実
ア 収斂
個人主義を中核とするアングロサクソン文明の下ではかつてはありえなかったこと(コラム#88、89)ですが、このところ、米国や英国で経済的に親に依存する成人の子供達が増えています。英国では四分の一もの親が、30台や40台になった子供にカネをやるのを当然視しているといいます(http://www.csmonitor.com/2003/1211/p01s03-ussc.html。12月14日)。
これは、日本的な甘えの構造(土居健郎)がアングロサクソン諸国に浸透しつつあるということです。
他方日本は、敗戦に伴い、(明治維新以降、江戸時代の武士の制度を全国民に広げたところの)家制度が廃止されたこともあり、かつてに比べてはるかに個人主義的な社会となったことはご承知のとおりです。
もう一つ。
アングロサクソンと日本に関しては、文化の世界への発信と相互交流、が進行しています。
米国や英国の文化発信力とそれが日本を含め、世界にいかに大きな影響を及ぼしているかについては説明するまでもありません。
注目すべきは日本です。
衰えたりとはいえども、日本の経済は米国に次いで世界第二位だが、日本のポップス(グレイ等)、映画(もののけ姫等)、漫画(ポケモン等)、ビデオゲーム、食べ物(寿司等)、ファッション(川久保玲等)、美術(村上隆等)、建築(安藤忠雄等)、伝統文化(お茶、生け花、和太鼓等)などの文化は、経済よりもはるかに世界において重きをなしており、日本は世界で最もクール(cool)な国になりつつある。1997年には世界で日本語を学ぶ人々は12万7000人を数えるのみだったのに、今では300万人に達している。アジア諸国では、欧米の文化そのままよりも、日本化された欧米文化の方が身近に感じられ、人気がある。この日本の文化は、「キルビル」、「ラストサムライ」、「マトリックス」(シリーズ)等の映画を挙げるまでもなく、米国にも大きな影響を及ぼしつつある。・・とワシントン・ポストが書いています(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A33261-2003Dec26?language=printer。12月27日アクセス)。
この記事は、明らかに日本経済新聞2003年5月2日と3日の朝刊に連載された記事、「ニッポンの文化力??ジャパニーズ・クール」の焼き直しですが、ここは一つ目をつぶることにしましょう。ちなみに、オリジナルの方の日経の記事には、「92年から2002年までに・・<日本の>文化芸術関係の輸出額は5兆円から15兆円と三倍に増えた。これに対し輸出総額は43兆円から52兆円、1.2倍にしかなっていない。」とあります。
このような、日本文明とアングロサクソン文明の収斂(conversion)という背景の下で、日本の「人間(じんかん)」主義的な思想が英国で市民権を得るに至った(コラム#113、114)、と考えることができそうです。
(続く)
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