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太田述正コラム#0252(2004.2.7)
<自衛隊と国際貢献(その2)>

2 ケーススタディ:自衛隊のイラク派遣

 (1)始めに

 与えられた演題は「自衛隊と国際貢献」なのに、私が自由・民主主義をめぐる話題から話を始めたかのはなぜかと言いますと、本日これから「自衛隊と国際貢献」に係るケーススタディとして自衛隊のイラク派遣問題を取り上げさせていただくのですが、自由・民主主義の話と自衛隊のイラク派遣問題とは密接な関係があるからです。
米国と英国がイラク戦争を行ったのは、フセイン政権が大量破壊兵器を保有しているのではないかという懸念とその大量破壊兵器がアルカーイダ等のイスラム原理主義テロリスト集団に流れるのではないかという懸念を払拭するという、両国共通の国家安全保障上の切実な理由からでした。
フセイン政権が打倒されてその国家安全保障上の懸念は当面払拭されたわけですが、現在、米国と英国がイラクで行っていることは、イラクにまず法の支配、そして更に自由・民主主義の確立を図る努力です。これは、二度とイラクが両国に国家安全保障上の懸念を与える国にならないようにするためです。そして、イラクが自由・民主主義の確立へ向けて着実な歩みを開始することは、必ずや中東アラブ世界、ひいてはイスラム世界全体に大きなプラスの影響を与えるであろうと彼らは信じているのです。
日本がイラクの復興支援に積極的に関わる意義は、英国に起源を有しつつも今や人類共通の理念となった自由・民主主義を、中東という人類の文明の発祥地にも定着させようという、英国や米国による壮大な営みの名誉ある一翼を担う、というところにあると私は考えています。
 こんな風に申し上げると、「お前は嘴が黄色い。本当にそんなことを信じているのか」と冷笑されるのがオチかもしれません。生粋の保守主義者と自認されている西部邁(すすむ)氏は、米国のこのような発想の傲慢さをを厳しく指弾されておられる(朝日新聞2004.2.5朝刊)ので、私のような人間の存在を知れば、冷笑どころか激怒されるかもしれません。
 確かに、第一次世界大戦の時に英国は、当時オスマントルコ領であったイラクに侵攻、占領し、その後英国は、そのイラクに自由・民主主義を普及、定着させようとし、大変苦労しました。
 しかしその苦労の結果はフセインという独裁者を生み出しただけのことだった、と言ってしまえば実も蓋もありません。
私はイラクに、或いはアラブ世界には自由・民主主義はそぐわない、と突き放してしまうのは、イラクの人々、更にはアラブ人すべてに対する冒涜だと思います。
 1970年代初頭には、世界に自由・民主主義国家は40カ国くらいしかありませんでしたが、70年代中ごろにはポルトガル、スペイン、ギリシャが自由・民主主義国家の仲間入りを果たしました。やがて中南米諸国や東アジアの韓国や台湾にも自由・民主主義が確立し、更に80年代から90年代に移る頃には、冷戦が終焉を迎えたことを契機に、旧ソ連・東欧諸国や中米の共産主義独裁諸国が崩壊するのです。同じ頃、南アではアパルトヘイト体制が崩壊します。その結果、20世紀が幕を閉じた時点で、世界の自由・民主主義国家は120カ国くらいまで増大したのです。 (http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A8260-2003Nov6.html。11月7日アクセス)
 むろんその中には、みかけだけの自由・民主主義国家も沢山ありますが、この急速な自由・民主主義化の原因として、急速に向上しつつある識字率とそれに伴う出生率の低下がある、とフランスの人口学者にして歴史学者のエマニュエル・トッドが指摘しています(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1136877,00.html。2月2日アクセス)。しかし、これが自由・民主主義の旗手たる英米のたゆみなき努力の成果でもあることも我々は忘れてはならないでしょう。
ところで、世界の自由・民主主義国家の数は、ブッシュ米大統領が昨年11月初めに行った演説の際に引用したものなのですが、この演説の中で近年自由・民主主義が確立した所として特記された韓国と台湾の二カ国・・台湾についても「国」と言わせてもらいます・・は、植民地歴のあるアジア・アフリカ諸国中、最も一人当たり国民所得が高い二カ国でもある(コラム#197)ことに、両国の旧宗主国である日本は、ひそかに誇りを持っていいのではないでしょうか。
韓国と台湾の事例は、自由・民主主義の進展と経済発展とが、高い相関関係を有することも物語っています。
ちなみに、元英国領であったシンガポールや旧香港の方が一人当たり所得は高いけれども、これらは人口も領域も小さい都市「国家」であり、割り引いて考える必要があります。なお、両「国」とも、自由・民主主義が確立してはいません。
いずれにせよ、自由・民主主義は世界共通の理念となっており、世界はたゆむことなく滔滔と、自由・民主主義の普及と確立に向けて前進を続けているのです。
アラブ世界にはトッドの言う、顕著な識字率の向上や出生率の低下は残念ながらいまだ見られませんが、その代わり、急速な衛星TV放送の普及があります。おしなべて専制的な政府の下で、人口増加の影響もあって若者たちは50%を超えるような高い失業率にあえいでいますが、彼らを中心に、政治への参加を求める機運が90年代に入ってから急速に高まってきています(http://www.csmonitor.com/2004/0204/p09s01-cogn.html。2月4日アクセス)。
ですから、日本がイラクの復興支援に積極的に関わる意義は大きいのです。
日本自身、明治維新以来先の大戦での敗戦に至るまで、朝野を挙げて自国において自由・民主主義の確立を図るとともに、安全保障の観点から周辺の国や地域に自由・民主主義を輸出し、普及しようと努力してきた、という歴史を持っています(コラム#230)。このことをご説明するためには、更に一時間半は時間が必要なので、本日は立ち入りません。
日本もこの歴史を思い起こし、久方ぶりに、自らの安全保障の観点から、自由・民主主義という人類共通の理念の普及に向けて、国際貢献に汗を流そうではありませんか。そして、戦後日本の利己主義的風潮を克服し、国際貢献後進国の汚名を晴らしましょう。
それは同時に、日本が自らの自由・民主主義の現状を見つめなおすきっかけにもなることでしょう。

では、どうしてイラクに自衛隊が行かなければならないのでしょうか。
現在のようなイラクの治安状況の下では、日本の民間人や企業がイラクで実質的な活動を行うことは不可能に近いからです。つまり、自衛隊のイラク派遣は、縷々申し上げてきたような意義を持つイラクの復興支援のために・・ただ単にカネを出すことを除けば・・日本ができる唯一のことなのです。
そういう意味で、私はかねてより自衛隊のイラク派遣を促してきましたし、政府が現に行いつつある自衛隊派遣についても、色々留保はつけつつも、基本的に賛成しているのです。

 これで本日のお話を終えてもいいのですが、まだ時間がありますし、せっかく多数の皆さんがお集まりなので、もう少々自衛隊のイラク派遣問題について述べさせていただきます。

 (2)私の行った提言

私は、昨年、毎日新聞社が出している週刊誌『エコノミスト』に6月、「イラク復興で問われる戦後型「利己」的支援」という論考を掲載しました。(2003年6月17日特大号(6月9日発行)78??80頁。コラム#124に転載)
その論旨は次の通りです。(ただし、一部当時の論旨を訂正した。)

1991年に勃発した湾岸戦争が終わってから日本は掃海部隊を派遣したほか、湾岸戦争の多国籍軍の戦費などの全体の20%の130億ドルも奉加金をとられた。しかし、余り感謝されなかったという苦い経験がある。
今回のイラク戦争と湾岸戦争とでは日本の置かれている環境は異なっており、ア 国連のお墨付きがあった湾岸戦争の時に比べて、イラク戦争への日本政府の賛意の表明は米英に対する大きな貸しになった、イ 湾岸戦争の時と違って日本は戦費の負担は求められていない、ウ 現在の日本の経済財政事情は湾岸戦争時に比べてはるかに厳しい、などから、イラク戦争に関しては、日本は復興支援だけに関わればよく、その負担割合も湾岸戦争の時より低くてもかまわない。
 いずれにせよ大切なことは、湾岸戦争時の苦い経験を持ち出すまでもなく、カネを出すよりヒトを出すことであり、かつあくまでも現地のニーズに即した支援を心がけることだ。

 ヒトを出す場合、自衛隊を派遣しないという選択肢はない。なぜなら、治安を回復し、維持することは紛争後の復興の大前提だからだ。派遣する時期は早ければ早いほどよい。
 90年代初めにブトロス・ガリ国連事務総長(当時)が力説して以来、治安の回復・維持の重要性は世界の常識となった。米ブッシュ政権は軍事力による貢献を何よりも高く評価する。
 逆に言えば、治安維持を任務とする部隊を主力としないのなら、自衛隊を派遣する意味はほとんどない。そもそも、かつて中東随一の先進国だったイラクはあらゆる分野で豊富な人材を擁しており、軍隊を含む治安維持機構こそ壊滅・弱体化しているものの、今まで自衛隊が国連平和維持活動(PKO)で実施してきたような、応急的な衛生・通信・輸送・土木などの業務へのニーズは基本的にない。
 政府は日本企業をイラクに派遣して社会資本の復旧にあたらせたいようだが、そうだとすれば、危険な状況下で行動することを旨とする自衛隊をまず派遣して率先垂範させるとともに、日本企業関係者が派遣されるであろう地域を含むイラクの治安維持にあたらせるのが筋というものだ。
 しかし、いかなる自衛隊部隊の派遣においても、クリアしなければならないハードルがある。それは、「危険」なイラクでは、隊員個人の正当防衛と緊急避難にあたる場合だけに武器使用を限定しているこれまでの武器使用基準を緩和することが不可欠だということだ。
治安維持部隊を派遣するとなると、新たな問題が生じる。
一つは、イラクの治安維持のための武力の行使は、日本以外の者のための武力の行使であり、集団的自衛権行使の禁止という政府憲法解釈に抵触することだ。この問題は政府憲法解釈の変更によってクリアするほかない。
 もう一つの問題は、治安維持部隊は状況いかんによっては先制攻撃を行わなければならないが、本格的戦闘状況以外における先制攻撃という観念が全くない自衛隊としては、十分訓練しないとまことに心もとないことだ。つまり、治安維持部隊の派遣には何カ月もの準備期間が必要となるという問題だ。
 
 そこで、治安維持部隊の受け入れ準備を進めるとともに日本の存在感をアピールするため、まず情報・通信・輸送・施設などの後方支援任務の陸上及び航空自衛隊部隊を先遣隊としてイラクに派遣することが考えられる。
 派遣規模は、先遣隊1,000人と本隊の旅団級の治安維持部隊4,000人、計5,000人程度としてはどうか。
 
 次に自衛隊以外のヒトの派遣だが、日本の企業には当面、非政府組織(NGO)ばりのボランティア活動に取り組んでもらうことを推奨したい。まず、政府が調査団をイラクに派遣して日本が手がける復旧事業の概略をまとめる。そして、イラク占領当局との調整を経て日本政府が、これら事業について、募集された日本企業をして利益抜きで、しかも経費の一部(例えば9割)しか日本政府から補填されないという条件で復旧にあたらしめたいと宣言する。
 そして所要の法的整備を行って、経費の損金算入を認めたり公共事業への入札参加機会を増やしたりする等の優遇措置を講じることにする。
 どれだけコストを抑えられるかは、各企業の腕の見せどころだが、日本人の個人ボランティアを活用・・例えば往復旅費を支給し、食住を提供・・できるよう、日本政府及び関係法人は最大限の配慮をすべきだろう。
 こうすれば、効率的・効果的に国費を支出できるだけでなく、日本及び日本企業の評判は大いに上がり、事業を通じて現地事情に精通するに至った各企業は、政府の後押しを受けつつ、イラク占領当局や本格的なイラク新政権による新規社会資本整備事業の受注にあたって大いに競争力を発揮することになろう。

 (3)実際のイラク復興支援

さて、これが実際にはどうなったでしょうか。

我々が気がつかないうちに、日本政府はイラクの復興支援に既に湾岸戦争の時の130億ドルに匹敵する120億ドルもの巨額のカネ・・この中には対イラク旧債務の放棄分も含まれてます・・を拠出する約束をしていると報じられています(1月26日付けのhttp://www.nikkei.co.jp/neteye5/tamura/index.html)。
他方、肝心の自衛隊の派遣規模についてですが、この論考では海上自衛隊については論じておらず、陸上自衛隊と航空自衛隊の派遣を論じているわけですが、実際の派遣規模は陸空自衛隊を合わせて、わずか700名程度と、私が提言した規模の1??2割、先遣隊として提言した規模の7割でしかありません。
しかも派遣部隊に全く治安維持部隊が入っていません。
もっとも、治安維持部隊の派遣は、既にタイミングを失した感があります。
フセイン政権崩壊後の米英等の占領部隊等に対するゲリラ攻撃も、昨年11月には制圧される兆しが出てきていたところへ、12月にはフセインが捕縛され、一張一弛を繰り返しつつも次第に制圧されつつあります。そして米軍の縮小計画も発表され、今年6月末までには主権がイラクに移譲される運びになっています。ですから、治安維持部隊の増派は決定的な重要性が失われていると思います。
また、治安維持部隊を出さないこととしたこともあり、集団的自衛権に係る政府憲法解釈の変更は行われませんでした。それどころか、武器使用基準の緩和すら見送られてしまいました。

このように「カネを出すよりヒトを出」せ、治安維持部隊を出せ、「復旧」部隊の規模は1000名、政府憲法解釈の変更を、武器使用基準の緩和を、という私の注文は、いずれも聞いてもらえませんでしたが、それでもなお、今回の自衛隊派遣の意義は十分ある、と私は考えています。派遣部隊の任務を見ると、陸上自衛隊は派遣が事実上不可能になった「日本企業」や「日本の個人ボランティア」になりかわって「利益抜きで」現地の「復旧事業」・・これはぜひとも必要なことです・・に取り組むことになったからです。[参考]の5と7をご覧ください。

(続く)

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