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太田述正コラム#0254(2004.2.9)
<南京事件と米国の原罪(その2)>
(前回のコラム#253で、ラーベの本の引用中、ラーベ自身によるドイツ大使館南京分室長の手記の引用が二箇所あり、その旨追記しました。ホームページ(http://www.ohtan.net)の時事コラム欄でご確認ください。)
4 コメント
(1)日本兵の米国に対する態度について
(日本とドイツがソ連を中心とする共産主義国際組織コミンテルンへの対抗措置を定め、秘密協定とされた付属議定書でソ連を仮想敵国とした協定である)日独防共協定が1936年11月に締結され、それが1937年11月にはイタリアの参加により日独伊三国防共協定に発展していました。
しかし、防共協定を日本が提案した当初、英国とオランダにも加入を働きかけたが失敗し、結局ドイツとだけ締結した(http://www.tabiken.com/history/doc/N/N351R100.HTM。2月8日アクセス)ことからも分かるように、1937年12月に南京攻防戦が始まった時点で、既に日本兵にドイツに対して同盟国意識があったとは思えません。日独伊三国同盟が締結されるのは、その後三年近くたった1940年9月のことなのですから。
しかも、ドイツは1927年以来、蒋介石の求めに応じて国民党軍に30??40名の軍事顧問団を派遣していました。そして、彼らに直接薫陶を受けていた部隊が、南京攻防戦の直前の夏から秋にかけて戦われた上海事変で日本軍に予想外の苦戦を強いたばかりでした(15頁)。
にもかかわらず、日本兵がドイツには親近感を持ち、米国には強い敵意を抱いていたのはどうしてでしょうか。
鍵は、1937年10月にローズベルト米大統領が日独を侵略国家として非難した演説、いわゆる日独隔離演説(http://www.c20.jp/1937/08syan2.html。2月8日アクセス)にあります。この演説は、当時の日本市民、すなわち日本兵を以下の理由で怒らせたと思われます。
第一に、第一次世界大戦末期以降の米国における一連の人種差別的・排日的動向(注2。なお、コラム#221の昭和天皇発言参照。また、#225も関連)に彼らが反発していたこと。
(注2)
(注)1917(大正6) :移民法改正で日本をのぞくほぼアジア全域からの移民を禁止。日本人移民の入国の際に能力試験を実施。
1922(大正 11): 米最高裁、日本人は米国への帰化権を持たないと判決(オザワ判決)。日本人は「帰化不能外国人」と規定される。
また、'The Cable Act'(ケーブル法)が成立し、米国市民が非米国市民と結婚した時は、米国市民は自動的に市民権を失う旨を規定した。ねらいは、白人と非白人との通婚の抑制であり、白人の場合は、離婚または死別により婚姻が解消すると市民権を回復できたが、非白人の場合は、婚姻が解消しても(帰化に不適格な人種との理由で)市民権を回復できないこととされた。(1931年(昭和 6)にケーブル法廃止さる。)
1924(大正 13):「出身国別割当移民法」(いわゆる排日移民法)が成立し、「帰化不能外国人」である日本人は米国への移民が不可能となった。
(http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8808/chronology/CHRONOT.HTM、
http://contest.thinkquest.jp/tqj1998/10060/gairyaku.htm#、及びhttp://www.lib.city.wakayama.wakayama.jp/wkclib_doc/sub13.htm(いずれも2月8日アクセス))
第二に、彼らは、当時の国民党政権の、中国人の間で排外的ナショナリズムを煽り、日本をスケープゴートにして権力を掌握・維持するやり方を憤るとともに、同政権の腐敗ぶり(コラム#178、179)も熟知しており、そんな国民党政権に対し、政治経済軍事のあらゆる面にわたって一貫して梃子入れしてきた米国(拙著「防衛庁再生宣言」第9章)に反感を抱いていたこと。
第三に、国際共産主義運動や中国共産党に対する米国の認識の甘さに彼らがあきれていたこと(コラム#221のマッカーサー証言参照)。
第四に、そこにもってきて上記演説で、その年の7月に発生した廬溝橋事件に端を発する支那事変は、中国側がしかけたものである(コラム#36)との(正しい)認識を彼らが持っていたところ、その彼らの認識に反して米国が一方的に日本を侵略者と断定したこと。
以上からすれば、「自由・民主主義」国家日本の市民兵たる日本兵の両国への態度の違いは当然のことだったとお思いになりませんか。
(続く)
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