太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#0265(2004.2.20)
<危機の韓国(その4)>

 (4) 歴史の歪曲
 ア 朝鮮人への搾取はなかった
韓国では、「日帝時代の朝鮮半島では朝鮮人への搾取が横行した」ということになっています。
しかし、史実はその正反対です。

日本は、1910年に韓国を併合すると土地調査事業に着手して近代的な土地所有権制度を確立するとともに、近代的な法体系を整備し、保険衛生施設や学校等の民生インフラ、及び灌漑施設や鉄道等の産業インフラを鋭意整備しました。
そして近代的な統治機構を整備し、1937年の段階ではその職員の40%は朝鮮人が占めるに至りましたが、希望者が殺到し、例えば警官の求職倍率は20倍にも達しました。
(以上、前掲スコフィールド論考3による。)
また、朝鮮人で6年以上の教育を受けた人の割合は、併合当時は2.5%に過ぎませんでしたが、1930年代に生まれた人々では78%にも達しました(キム前掲書102頁)。
これらの施策を実施するために日本政府が朝鮮半島に投入した補助金は、多い年には日本の国家予算の20%に達し、35年間の日本の対朝鮮半島財政収支の累計はついに黒字にはなりませんでした(キム前掲書103、234頁)。
その結果、併合当時約1300万だった半島人口は終戦時には約2900万(朝鮮半島2500万、日本内地200万、満洲・華北200万)と35年で二倍以上に増えました。これは衛生状態の改善による出生率の向上と死亡率の低下、及び農業生産性の向上のたまものです。(一町歩当たりの米の収穫量をみると、併合当時は7.69石であったものが、1933年には10.72石へと約四割増えている。)(http://www3.ocn.ne.jp/~nskc/top/kyouseirenkou1.htm。2月19日アクセス)
ちなみに、カーター・J・エッカート米ハーバード大学教授は、著書の「日本帝国の申し子」(草思社2004年)の中で、「日本統治下では初の朝鮮資本による大企業<である、>1919年に設立された京城紡織(京紡)・・の成功が、朝鮮総督府が設立した朝鮮殖産銀行からの一貫した融資に起因することなど、朝鮮人企業が日本統治の枠組みの中で発展した事実を検証<し>、日本統治下でも一定部分の資本は朝鮮人が所有していたこと・・、当時の商人や地主から現在の韓国を代表する財閥の創業者が出たことを指摘<した上で、>韓国の産業発展のルーツ<は>、日本による朝鮮半島統治時代に見いだ<される>」と指摘(http://www.sankei.co.jp/news/040213/boo013.htm。2月13日アクセス)より孫引き)しています。

イ 日本名への改名の強制はなかった
いわゆる創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのも、根拠のない俗説です。
山本七平の「洪思翊中将の処刑」(文藝春秋1986年)の主人公のように、陸軍中将まで登りつめ、戦後フィリピンで戦犯として処刑された朝鮮人が、日本名に改名などしていなかった、という一例だけでもこのことは明らかです。
辻本武氏は、「古来の朝鮮の家族制度は、・・男系・・の血統を重視するもので、この血縁集団を「宗族」と呼びます。女性は結婚して嫁に来ても、夫の宗族のために子供を産み、家事をする<存在に過ぎず、>夫とともに「家庭」を築くことはありません。・・男系重視の宗族ですから、女性は男子を産んで初めて母親として宗族内での存在が認められるのであり、それまでは奴隷と言っても言い過ぎではないほどで<あり、>男子を産まない妻は、夫が妾をつくるのを容認するか、離婚されるのが普通でした。つまり朝鮮の伝統的家族制度というのは、宗族=男系血縁共同体が強固に維持されて、夫婦と親子で家庭=家族共同体をつくるものではない、というものです。・・朝鮮の「姓」というのは前者の宗族を表わす名前のことで、後者の家庭を表わす名前(ファミリ―ネーム)は存在しない<わけ>です・・。
朝鮮総督府が発した<いわゆる>創氏改名令(注4)は、<「姓」はそのままにして、>家庭の名前を「氏」として新たに創れ、という趣旨のもので、これは夫婦・親子を単位とする家庭を重視<するとともに>、宗族の役割を薄めようと<したものです>」((http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai。2月19日アクセス)と言っておられます。

(注4) 1939年に朝鮮民事令が改正され、1940年に施行された。(同じ改正で、赤の他人を養子にすることができる制度も導入された。)なお、「姓」は否定されたわけではなく、(日本の戸籍にはない)本貫欄に記されることになった。ちなみに、金川のように「姓」を基にし、朝鮮人であることが分かる「氏」を届け出た者もおれば、日本人と全く同じ「氏」を届け出た者もいた。氏を届け出なかった約20%の人については、戸主の先祖伝来の男系の姓である金とか李とかの「姓」がそのまま強制的に「氏」とされた。

  ウ その他
いわゆる「朝鮮人強制連行・強制労働」はありませんでした(http://www3.ocn.ne.jp/~nskc/top/kyouseirenkou1.htm。2月19日アクセス)し、いわゆる「慰安婦問題」についても、日本の官憲が強制連行して朝鮮人を慰安婦にしたという事実はありません(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html及びhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html(いずれも2月19日アクセス))。

 エ 日本政府や一部日本人にも責任
ア??ウについて、日本政府や日本の学者は殆ど反論らしい反論をしてきませんでした。
それどころか、日本政府や日本人が韓国がらみの歴史の歪曲を助長したことが何度もあります。
例えば、慰安婦問題についての日本政府の公式見解は、宮沢内閣の時の1993年の河野官房長官談話の「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」であり、日本官憲による慰安婦強制連行があったことを認めています。
しかし、当時の盧泰愚韓国大統領が、「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」と語っているように、心ない日本人が火のないところに煙を立て、収拾がつかなくなり、日韓両政府とも事実に反することが分かっていながら、韓国政府の懇請を受けて日本政府がウソを言うはめになったというのが真相です。
(以上、上掲http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.htmlによる。)

また、朝鮮人強制連行・強制労働に関しても、質問主意書に対する答弁書(2002年)で、「政府としては、いわゆる朝鮮人徴用者等の問題を含め、当時多数の方々が不幸な状況に陥ったことは否定できないと考えており、戦争という異常な状況下とはいえ、多くの方々に耐え難い苦しみと悲しみを与えたことは極めて遺憾なことであったと考える。」(http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b155019.htm。2月19日アクセス)という答え方をしており、強制連行・強制労働の事実を明確に否定はしていません。

(続く)

 (今回のような話は、読者の中に私より詳しい方が沢山おられると思います。ご意見、ご叱正等をいただければ幸いです。)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/