太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#0294(2004.3.20)
<「支那」について>

1 始めに

 本コラムで私が「支那」という言葉を用いていることについて、しばしばご批判をいただいていますので、改めて私の考えを申し上げます。

 そのご批判とは、「蔑称か否かという問題は「支那」という地名自体が言語構造的に内包しているのではない。・・しかし、呼ばれる相手が理由の如何を問わず蔑称と感じ・・る以上、・・使い続けるのはもはや困難であり、やめるべきである。」(http://www.age.ne.jp/x/commerse/kawara/kawarabn/0003/0003z.html。3月21日アクセス(以下、同じ) そして、「支那」に代わって「中国」を使うべきだ、というものです。
しかし私は、「中国」は中華民国または中華人民共和国を指す言葉であるのに対し、地理的呼称であるChinaと同義の日本語として、「支那」に代わる適当な言葉がないので、今後とも地理的呼称としては「支那」を使わざるをえない、と考えています。

2 中華人民共和国の見解

 まず、中華人民共和国の公式見解をご紹介しましょう。(本コラムの中では以下、便宜的に地理的呼称として「シナ」を用いる。)

  (1)「China」の語源
 青磁器の世界的名産地であるChangnan(Changは表示不能。Nanは南)が訛ったもの。この陶器が欧州でもてはやされ、その産地の名前が産地を含む「シナ」全体の地理的呼称として転用されるようになった(http://www.chinaculture.org/gb/en_aboutchina/2003-09/24/content_22964.htm=2003年9月24日付中国文化省)。

(2)「中国」の語源
 「中国」の初出は『詩経』であり、首都を意味した。その後、四方を夷狄に囲まれた、漢人の居住地たる中原(=中央の平野)・・この範囲は漢人の居住地が拡大するとともに拡大して行く(太田)・・を表す言葉として形容詞的に用いられるようになった(1999年5月7日付人民日報( http://kyoto.cool.ne.jp/jiangbo/china/edu/edu004.htmより孫引き))。
 「中国」が名詞的に用いられるようになったのは、19世紀中葉である。
この言葉は1911年の辛亥革命以来、今度は中華民国の略称として用いられることとなり、1949年以来は、中華人民共和国の略称として用いられ、現在に至っている。
(以上、http://www.chinaculture.org/gb/en_aboutchina/2003-09/24/content_22969.htm(=2003年9月24日付中国文化省)による)。

(3)「支那」について
 インドのサンスクリット語でのシナの呼称cinaが、西方に伝わってChinaとなり、シナに伝わって「震旦」、日本に伝わって「支那」となった。
 日清戦争で日本が清に勝利すると、「支那」は差別的用語として用いられるようになり、シナの人々の間で日本人がこの言葉を用いることに対する反発が出てきた。
 1930年に中華民国政府は、日本政府に対し、「今後『中国』を呼称する場合、・・英語では必ずNational Republic of Chinaと書き、中国語では必ず大中華民国と書かなければならない・・。もしも日本側の公文に『支那』いう文字を使われたなら、中国外交部は断然その受領を拒否する・・」という覚え書きを送った。日本政府は1930年代末からはこの申し入れに従うことにしたが、民間では引き続き「支那」が用いられた。
 日本の敗戦後、中華民国政府の要求を受け、GHQは日本政府に1946年6月、「支那」という呼称の使用を禁じるよう命令した。この命令を受けて「支那」という呼称の使用を避けるように、外務省は新聞社や出版社に申し入れ、文部省は各大学の学長宛に通達した。
 (以上、前掲1999年5月7日付人民日報=中国共産党の機関誌、による。)

3 結論

 文化部(文化省)であれ、中国共産党であれ、どちらの見解も中華人民共和国政府の公式見解であることには変わりはありません。
 すぐ気がつくのは、Chinaの語源についての両者の見解に食い違いが見られることです。後者が昔の日本人研究者の説をそのまま採用している(http://www.age.ne.jp/x/commerse/kawara/kawarabn/0003/0003z.html=櫻井澄夫氏のエッセイ)からだと思われるのですが、シナの歴史研究の現在の水準が推察できます。
 それはともかく、日清戦争以降、シナやシナの住民達を蔑視する日本人が出現したこと、中華民国政府が中華民国の正式呼称の中で、あるいは略称として、「支那」という言葉を日本が用いることを嫌い、日本政府や後には日本の民間においても「支那」という言葉を用いなくなったことは事実だとしても、だからといって「支那」が蔑称であって、地理的呼称としても用いるべきではない、ということにはなりません。
 実際、現在のシナの殆どの人々は、(反日教育を受けているにもかかわらず、)「支那」という言葉の存在を知りません(櫻井澄夫前掲)。従って「支那」が蔑称であると考える日本人(や在日華僑)がいることを彼らが知る由もまたないのです。
 他方、「中国」を地理的呼称として用いることにも問題があります。
 現在の中華人民共和国において、「中国」という言葉には「中国」以外の民族ないし国に対する蔑視的含意があるとされているわけですから、「東夷」であるわれわれ日本人としては、(中華人民共和国の略称としてならともかく、)地理的呼称として「中国」を用いることには抵抗感があってしかるべきです。それに、中華人民共和国においては、「中国」は中華人民共和国の略称である、とされており、現に日本でも「中国」をそのような意味でも使っている以上、これを同時に地理的呼称としても用いることは混乱の元です。
 だからこそ日本政府は苦肉の策として、「東支那海」、「南支那海」を、「東シナ海」、「南シナ海」と表記を変えただけで「支那」という地理的呼称を現在でも使っている(http://www1.kaiho.mlit.go.jp/TUHO/tuho_db/skat/map.cgi?0&26=海上保安庁のサイト)のでしょう。(ちなみに、中華人民共和国は、「東シナ海」を「東海」、「南シナ海」を「南海」と呼称しています(中国社会科学院「簡明中国歴史地図集」中国地図出版社1991年。68頁)。「東海」では、日本から見てどこの「東」なのか分かりませんし、韓国が主張する「東海(日本海)」とも紛らわしいため、「東支那海」ないし「東シナ海」と呼称するほかない、ということになるわけでしょう。)
 以上から、私は、地理的呼称としては、「支那」ないし「シナ」を用いざるをえない、と考えます。(蛇足ながら、「チャイナ」では英語そのままであり、よろしくないでしょう。)(注)

 (注)また、「中国」という「中華民国」ないし「中華人民挙和国」という国号の略称についても、二つの「国」を同じコラムの中で扱う場合は混乱を避けるため、そして何よりも我々に対する蔑視的含意がある以上、できるだけその使用を避けるべきであろう。そこで私は、中華人民共和国の略称としては「中共」の使用を「中国」より優先してきた。常に「中共」を使うわけにもいかないのは、「中共」は、「中国共産党」の略称でもあるからだ。しかし、「中華人民共和国」は「中国共産党」の支配下にある、ということから、大部分のケースにおいて、「中共」を「中華人民共和国」の略称として使っても問題はないと考えている。

 後は、表記を「支那」にするか「シナ」にするかぐらいですが、私としては、戦後生まれの「シナ」ではなく、日本で仏教経典が輸入されて以来用いられてきた、伝統ある「支那」の方に軍配を上げたいと思っているのです。

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/