太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#0341(2004.5.6)
<イラクの現状について(号外篇2)>

2 イラクの反乱収束へ

 (1)ファルージャの反乱収束
ほぼ一ヶ月間も続き、米側100名、イラク側600名の人名が犠牲になったファルージャ攻防戦があっけなく収束を迎え、ファルージャにうそのような平穏な日々が戻って来ました(http://www.csmonitor.com/2004/0505/p06s01-woiq.html。5月5日アクセス)。
収束に至った経緯は次のとおりです。

まず、イラク暫定統治機構に代表を送り出しているイラクイスラム党が間に入って、4月25日から始まる週の初めに米軍とファルージャの市民代表との間で、米軍は攻撃を控え、市民代表はファルージャの戦闘要員の重火器を差し出す、という暫定的な停戦が成立しました(コラム#319、322及びhttp://www.nytimes.com/2004/05/01/international/middleeast/01POLI.html(5月1日アクセス))。
これは、ファルージャの戦闘要員が、米海兵隊の攻勢に大きな被害を受け、戦闘能力を著しく削がれてしまっていたことが背景にある、と考えられます。
しかし、暫定停戦合意が成立した後も、ファルージャの戦闘要員による米軍に対する散発的な攻撃は続きました。
この状況が根本的に変化するに至ったきっかけは、4月末に、ファルージャ大空爆が行われた(http://www.nytimes.com/2004/04/30/international/middleeast/30AIR.html。5月1日アクセス)後、元バース党員でかつて共和国防衛隊の部隊の指揮をとり、イラク戦争の時にはイラク軍の師団長を勤めていたサレー(Saleh)少将が、現地の米海兵隊によって「ファルージャ防衛隊」の司令官に指名され、ファルージャに送り込まれた(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1207469,00.html。5月1日アクセス)ことです。

もう少しご説明しましょう。
ファルージャに対しては、4月26、27、28の三日間にわたって、昨年イラクで主要な戦闘終了宣言が出されて以来最も激しい空爆が行われ、戦闘要員が潜んでいる建物はことごとく精密照準爆撃の対象になりました。むろん、都市爆撃である以上、いくら精密照準爆撃だと言っても非戦闘員がまきぞえになって犠牲になることは避けられません(ニューヨークタイムス前掲)。
この空爆の結果、ファルージャの戦闘要員とこれを支援する市民達としては、彼らの面子が最低限保たれるのなら、いかなる降伏条件でも受け入れる気になっていたと思われます。
ファルージャは「旧共和国防衛隊(Iraqi Republican Guard)将校の自宅が集中していた(バグダッド近郊の)町であり、いわばフセイン忠誠派の梁山泊」(コラム#320)です。
そこに米軍が、上記のような経歴のサレー少将が主としてファルージャ出身者によって構成されるところのファルージャ防衛軍なる部隊の指揮をとる、そしてこのファルージャ防衛軍がファルージャの治安維持に一義的責任を負うことになる、という発表を行ったのです。
そして間髪を入れず、4月30日には米海兵隊は、この将軍を市内に乗り込ませるとともにファルージャ市内からの部分的撤退を開始しました。
ただこれだけのことで、ファルージャの戦闘はほぼ完全に止んだのです。
(以上、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A55329-2004Apr30?language=printer(5月1日アクセス)による)。
そのわずか3日後の4月3日には、ファルージャ防衛隊の司令官がサレー少将・・かつて湾岸戦争後のシーア派蜂起の鎮圧に関与したことが判明したことに加えて、ファルージャにはもうテロリストはいない、と米軍を当惑させる発言を行った・・から、元イラク軍の情報将校で海外に亡命していたラティフ(Latif)少将で差し替えられることになりそうであるとの報道が流れ(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A63985-2004May3?language=printer。5月4日アクセス)、米軍側も相当浮き足立っていることが明らかになったというのに、ファルージャの状況に全く変化は生じませんでした。

 そして、4月4日現在、ファルージャ防衛隊にはまだわずか150名の要員しかいないというのに、ファルージャ市内から戦闘要員の姿は全く消えています。戦闘要員は一般市民に姿を変え、避難していた一般市民もどんどんファルージャに戻ってきています。海兵隊の部分的撤退当日には「我々は勝利した」と叫んでいたモスクの放送も、今では「家に戻れ。武器をとるな。戦闘は終わった。」に変わっています。ファルージャ郊外では海兵隊に手を振る市民の姿も見かけます。ファルージャはもうバグダッドより安全になったという声すら聞かれるほどです(クリスチャン・サイエンス・モニター前掲)。

(続く)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/