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太田述正コラム#0434(2004.8.7)
<京都・奈良紀行(その1)>

 (読者の皆さん、http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=%200000101909を開いて、「太田述正コラム」に投票していただいたでしょうか。現在25位(516票)です。6時間おきに何度でも投票できますので、お時間のある方は二度三度と投票していただければ幸いです。)

1 始めに

 家内の両親と家内・一人息子と一緒に総勢5人で京都・奈良旅行をしてきました。
 私と家内は京都・奈良は何度も行ったことがありますが、戦中派世代の岳父と9歳(31日で10歳)の私の息子は京都・奈良は初めて(岳父は京都を訪れたことはあるが、観光したことはない)です。異常に暑い今年の夏に、よりにもよってどちらも盆地で暑い京都と奈良を訪れたのは、お盆の前なら人が余りいないだろうとの読みからです。
 おかげさまで、岳父がやや足が不自由で、岳父の歩くペースに右ならえせざるを得ず、しかも時々岳父のために車いすを借りて寺院の中を巡ったにもかかわらず、かなり効率的に旅行することができました。

2 奈良

 (1)外京見物
 歴史の古い順に奈良から先に話を始めましょう。
 8月7日に、(近鉄ではなく、)今時はやらないJRで京都から奈良入りしました。
 というのは、京都でも駅ビル内のホテルグランヴィア京都に三連泊したのですが、奈良ではJR奈良駅から1分(空中回廊でつながっている)の三井ガーデンホテル奈良に二連泊の予約を入れてあったからです。
 ホテルで昼食をとってから、観光タクシーを呼び、外京(注1)見物に出発しました。(5人で乗ると、いくら一人は小学生だと言っても、かなり窮屈ですが、観光バスに乗るよりは自由がきき、しかも参観料金分くらい割高になる程度ですみます。しかも、運転手さんが寺院等の中も案内してくれます。)

 (注1)平城京が都であった時代、都の東に信仰のためのエリアとして、外京(外京)が置かれた。そこには、総国分寺東大寺、藤原氏ゆかりの興福寺や春日大社、蘇我氏ゆかりの(学問寺として名高い)元興寺が大伽藍を競っていた。(http://www.mynara.co.jp/0Pix/top-a.html

 (2)猿沢池
 最初に向かったのが猿沢池です。
 この池から興福寺の五重塔を眺めなければ奈良に行ったとは言えません。
 この池には鯉と亀がいるのですが、先月鯉が暑さのため(?)に大量に死んだ(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040716-00000201-kyodo-soci)ためか、亀しか目につきませんでした。観光客等が勝手に亀を放すので、輸入種も含め、様々な亀がいる(http://mailsrv.nara-edu.ac.jp/~inoue/NNM/kame.html)そうです。

 (3)興福寺
 興福寺はかつての藤原氏の氏寺です。
興福寺の前身は飛鳥、そのまた前身は(現在の京都の)山科にあった寺ですが、その寺は、藤原鎌足が重い病気を患った際に、鎌足夫人が夫の回復を祈願して669年に建立されたと伝えられています。
藤原不比等によって飛鳥にあった寺が平城京に移されてからは、神仏習合思想の下、春日社と一体化し、平安時代には僧兵を擁して勢力をふるうようになります。治承4年(1180)、平家に焼き打ちされますが、直ぐに勢力を取り戻し、鎌倉時代には大和守護職の実権を握り、実質的に大和国一帯を支配していたことがあるといいます。(http://www1.sphere.ne.jp/naracity/j/kan_spot_data/w_si6.html及びhttp://www.naranet.co.jp/cgi-bin/yak-ken-l.asp
ここでは、京都の東寺の五重塔に次いで日本で二番目に高い五重塔(国宝)と国宝館を見学しました。
国宝館の中は国宝が山のようにあります。
八部衆のうち、阿修羅像は余りにも有名ですが、沙羯羅像(さからぞう)の顔が私の息子にそっくりなのにびっくりしました。
八部衆は、インド古来の鬼霊・悪魔・音楽神・鳥獣神など異教の神を集め、仏法守護や諸仏供養の役目を与えたものであり、仏教の「習合」的性格を物語っています。(だから、日本でも神仏習合が自然に起こった。)
 (以上、http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/01_index/f_main_d.htmlによる。)

(4)奈良町
蘇我氏の氏寺的な存在であった元興寺は、藤原氏に権力が集中するに従って次第に衰退し、宝徳3年(1451)の大火でほとんどの建物が焼失してしまいます。その跡に職人や商人などが移り住み、庶民の民家が建ち並ぶ、日本で初めての町として誕生したのがこの「奈良町」です(マイナラサイト前掲)。

(続く)

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