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太田述正コラム#0448(2004.8.21)
<京都・奈良紀行(その9)>

 (やっと12位になりましたが、13位とはデッドヒートを演じていますし、11位とは200数十票離れています。引き続き、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で投票をお願いします。)

3 京都

 (1)夜のコース
 順不同で、後で行った奈良からこのシリーズを書き始めたので、京都についても、二日目の夜の定期観光バス旅行から話を始めることにします。
 夜の京都を観光バスで、というのは私の提案です。
 実は中学時代に同級生と二人で京都旅行をしたことがあり、そのおりの、観光バスによる夜の京都観光の感動が忘れられなかったからです。確か、(名前を思い出せない)あるお寺さんで、かすかにライトアップされた美しい庭、そしてその庭での琴の演奏を楽しみながら精進料理を食べ、次いで太夫の島原の路上での道中を見学する、というコースでした。
 今回は、街角の(生け簀こそありましたが)普通の小料理屋でお弁当の食事をした後、あわただしく祇園コーナーにバスで移動し、17歳の舞妓さん一人による京舞を見た後、今度は更に西陣織会館にバスで移動して、少女の禿(かむろ)が一人ついた大年増(失礼!)の太夫の(置屋から揚屋への)かし(貸し)の式、お点前、及び(置屋から揚屋への)道中を鑑賞する、という濃密な旅程でしたが、率直に言ってがっかりしました。
40年前に比べて現在の日本が様々な規制でがんじがらめになっているため、セッティングに情緒がなくなってしまったこと、そしてより根本的には、日本が廓遊びやお茶屋遊びとは一層無縁の社会へと変貌してしまったこと、がその原因だと思います。
 後者についてやや誇張して申し上げれば、(京都に4名おられる)太夫さんは観光バスのこのコースの客だけを相手にしており、舞妓さんも天然記念物に近い存在になりつつある、ということです。
 30キロもある装束等を身につけて「重労働」をしなければならない太夫さんになるのが敬遠されるのも、厳しいトレーニングが課された上、20歳になったら「廃業」(芸妓になるか退職)しなければならず、週6日間は結った髪を崩さないように寝て頭を洗うことも許されない舞妓さんのなり手が殆どいないのも、あたりまえです。
そもそもこれらの人々を支える髪結いさん等の裏方の人々もまた、姿を消しつつあります(注1)。

 (注1)たまたまワシントンポストが、ルポ形式で太夫さん、舞妓さんの髪結いさんの話(史上初めて男性の髪結いさんが生まれたという話)を取り上げていた。我々の前でお点前等を披露してくれた司太夫さんが、このルポの中でも登場していた。(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A6563-2004Aug16?language=printer。8月17日アクセス)

 40年後に私の息子が再び京都を訪れたとして、その時にはこのコースは間違いなくなくなっている、という予感がしています。
 
 (2)京都駅
 京都駅の烏丸口(北口)に高層の駅ビルが建って様相が全く変わってしまった、ということは知っていました。
 しかし、今度行ってみてたまげました。
 京都の駅ビル自体が観光の対象として旅行ガイドブックに記載されていないことが不思議なぐらいです。
 インターネットができる京都のホテルを探していて、たまたま駅ビルの中に入っているホテルグランヴィア京都(http://www.granvia-kyoto.co.jp/)を「発見」し、こちらで三連泊することになったおかげで、すっかり駅ビルとなじみになりました。
 ホテルの部屋は広く、ベッドの寝心地も眺望も申し分がありませんし、端境期で三連泊、しかもインターネットで予約したこともあり、一泊一人8500円で泊まれました。
 また、この駅ビルの巨大なアトリウムにかかっている空中遊歩道の随所から京都の市街を展望でき、実に爽快でした。
 伊勢丹デパートがあるかと思えば、食べるところも高級レストランからラーメン横町までそろっており、喫茶店も色々あります。
 皆さんも、京都に行かれる機会があったら、駅ビル観光をぜひどうぞ。

(続く)

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