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太田述正コラム#0465(2004.9.7)
<ベスラン惨事とロシア(その2)>

 (前回のコラムの、ロシア軍の死者の数を上方修正しておきました。)

 この、(1994??1996年を第一次とすれば、)1999年からの第二次チェチェン戦争によるチェチェン人の死者は非戦闘員だけで少なくとも60,000人(http://www.fact-index.com/s/se/second_chechen_war.html。9月6日アクセス)、ロシア軍の死者は一昨年までで既に11,000人(cdi.orgサイト前掲)にのぼっています。
 この間、チェチェン抵抗勢力が起こした事件で最も世界の耳目を集めたのは、一般市民観客百数十人の死者を出した2002年10月のモスクワでの劇場占拠事件(コラム#186)ですが、われわれが忘れてはならないことは、この時の死者はロシア治安部隊が引き起こしたということが第一、そして、チェチェン内で日常的に行われている、ロシア軍及び「かいらい」政権によるチェチェン非戦闘員虐殺は、報道管制もあって、報道がほとんどなされていない(そもそもチェチェン側の非戦闘員についても、ロシア軍等についても、死傷者の数は低く押さえられた形で公表されてきた)ことが第二です。
 とまれ、先週の、90名の死者を出した、モスクワから飛び立った二機の民航機の同時爆破事件、引き続いての、8名の死者を出したモスクワの地下鉄の駅での自爆テロ事件、のクライマックスとして、今回のベスラン人質事件が起きたわけです(http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1297684,00.html。9月5日アクセス)。

3 今回の惨事に見るロシア当局のいかがわしさと失態

 (1)情報統制
 プーチン批判で知られる二名のジャーナリストがベスラン人質事件取材のためにモスクワから現地に向かおうとしたのですが、一人は空港で二名の男にいちゃもんをつけられ、こぜりあいになって、警察に拘束されてしまい、もう一人は飛行機の中で出された紅茶を飲んだとたん気分が悪くなり、降りたところで病院にかつぎこまれてしまい、結局二人とも取材はできませんでした。前者の記者とはその後連絡がとれなくなっています。これは当局による弾圧だというもっぱらの噂です(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-hinder3sep03,1,3236995,print.story?coll=la-headlines-world。9月4日アクセス)。
 人質事件が起こってから、この事件についてロシアのテレビでは、最少限度の放送しかなされませんでしたが、爆発音が聞こえ、銃撃戦が始まったとき、たまたま現場を放映中であったロシアのテレビ局はあえて別の番組に切り替えてしまい、結局、現場の同時中継を行ったのは、米CNNと英BBCだけでした。これが事件を小さく見せたい当局の意向によるものであったことは明白です。(http://www.nytimes.com/2004/09/04/international/europe/04media.html?adxnnl=1&adxnnlx=1094270687-S6JYzsqH9JObTV7BvRvojQ&pagewanted=print&position=。9月4日アクセス)
 この当局の意向は、人質の数が実際には1200名にも及んでいたのに、当初354名と低くねじまげて公表し(注3)、また事件の被害者の数についても、行方不明者の数は公表せず、確認された死者の数だけを公表してきたところにもよく表れています(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A64187-2004Sep5?language=printer。9月6日アクセス)。

 (注3)ロシア政府は、(この点だけについては、)意図的な情報操作が行われたことを当局が認めたことを、このことを批判するアンカーのコメントとともにテレビで報道させた。2000年の原子力潜水艦クルスクの沈没事件の時も、2002年の劇場占拠事件の時も、同様の情報操作が行われたが、政府はいまだに情報操作をしたことを認めていない(ワシントンポスト上掲)ことを考えると画期的なことが起こったと言うべきか。どうやら今回、犠牲者の数の多さにもってきて、余りにも諜報機関や治安部隊の対応に問題があった(後述)ことから、プーチン大統領は自分の側近を含めてトカゲの尻尾切りを行う方針を固めたようだ。

 早い時点で、当局が殺害した犯人20名中9名ないし10名がアラブ人だったと公表した(http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1297674,00.html。9月5日アクセス)のも怪しい限りでした。解放された人質は異口同音に、犯人達にはチェチェン、イングーシュ、ないしロシア語のアクセントがあり、もっぱらロシア語で互いに話しており、濃い肌の色等から第三国人めいていた犯人は一名だけだというのです。(http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1297728,00.html。9月5日アクセス)。当局としては、何が何でも今回の事件を、チェチェンの抵抗勢力ではなく、アルカーイダ系テロリストの所行に仕立て上げたいのでしょう(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3629902.stm。9月6日アクセス)。これは、犯人達の、ロシア軍のチェチェンからの撤退等を要求した声明を報道させていない当局の姿勢(ワシントンポスト前掲)からも明らかです。

(続く)

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