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太田述正コラム#0474(2004.9.16)
<ベスラン惨事とロシア(その6)>
(本篇は、コラム#469の続きです。)
4 犯人側のねらいと「成果」
(2)ロシアのエージェントたるオセチア
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オセチアは、グルジアの中の南オセチア問題も抱えています。
同じ民族であるにもかかわらずオセチアが南北に分けられていたのは、両者の間に、冬季の6ヶ月間横断ができなくなる険峻な山脈が走っていたからにほかなりません。ソ連が崩壊すると、ロシアと一緒になりたい南オセチアと独立を果たしたグルジアとの間で紛争が起きるのは必至でした。1991年に始まった紛争は、1000人の南オセチア人犠牲者を出し、南オセチアの村落112カ所以上を破壊し、いまだに続いていると言ってもよく、10万人の南オセチア人難民が現在北オセチアで仮の住まいを営んでいます。(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-frozenwars13sep13,1,223530,print.story?coll=la-headlines-world。9月14日アクセス)
オセチアは、いわばコーカサス地方にロシアによって打ち込まれたくさびであり、だからこそオセチアは東(イングーシュ)と南(グルジア)の敵意に晒されているのです。
(3)プーチン大統領の対応
プーチン大統領は、「テロリスト」への非難と特殊部隊への慰労だけでベスラン惨事の遺族に対するお悔やみ一つ述べる手間を惜しみつつ、チェチェン抵抗勢力との交渉を断固拒否する既定方針を再確認しました(注10)。そしてその上で、第一にマスハドフとバサーエフ両名の捕獲につながる情報を提供した者に100万ドルの賞金を授与すると表明し、第二に、改めての外国における「テロリスト」への先制攻撃方針を表明しました(注11)。
(注10)プーチンは、「<そんなに交渉がお好きなら>オサマ・ビンラディンにお目にかかり、ブラッセル(NATO本部)かホワイトハウスにご招待し、親しくお話をさせていただき、これ以上平和を乱すことがないようにしていただくためには何がお望みであるかを教えていただいた上でそのお望みのものをさしあげることにしたらどうかね」と述べている。
(注11)2002年10月の劇場占拠事件の後、初めて先制攻撃方針が発表され、その方針は今年、カタールに潜んでいた、「独立」チェチェンの大統領代行をつとめたことがあるヤンデルバイエフ(Zelimkhan Yanderbiyev)をロシア諜報要員が自動車にしかけた爆弾で暗殺する形で実施に移されている。もっともドジなことに、下手人の諜報要員二名はカタール当局に逮捕され、終身刑を宣告された。
その後追加されたプーチンの対応は、第三に、(ただでさえその権限を次々に奪ってきていたというのに、)地方の首長(チェチェンのような自治共和国の大統領を含む)を現在の選挙制から大統領任命制(ただし、地方議会の承認が必要)に変更する方針、そして第四に、(現在は半分が政党名簿方式で選出されている)ロシア議会議員の選挙方式を完全政党名簿方式に変更する方針、の表明でした。
(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3638396.stm(9月9日アクセス)及びhttp://www.csmonitor.com/2004/0915/p08s03-comv.html(9月15日アクセス)による。)
これは、プーチンが完全にバサーエフの術中にはまり、バサーエフのベスラン校舎占拠の戦略目的の達成に手を貸してしまったことを意味します。
バサーエフの戦略目的とは、「北コーカサス全域で戦争を起こす」(注12)ことによって、ロシアのイスラム地域全体をロシアから独立させる(コラム#467)ための布石を打つことだったと考えられます。
(注12)犯人のうち、唯一人生きたまま捕らえられた男が、首謀格の一人から聞いたと言っている(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A1256-2004Sep6?language=printer(9月7日アクセス)。
この戦略目的に基づき、バサーエフは、あえて首謀格のうちの一人をイングーシュ人とする犯人グループを送り込むこと(http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1297678,00.html。9月5日アクセス)によって、まんまとオセチア人にチェチェン人とともにイングーシュ人に対し、一層憎しみをかき立てさせることに成功しました(上掲http://www.csmonitor.com/2004/0907/p01s02-woeu.html)。ところが、ご紹介したプーチンの対応の中には、この憎しみを緩和するための措置が一切入っていません。
しかも、ご紹介したようなプーチンの対応は、欧米諸国の間で困惑と反発を生み出していますが、恐らくこれもバサーエフの読み通りだと思われます。
(続く)
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