太田述正コラム#0505(2004.10.17)
<米国とは何か(続)(つけたし1)>

1 始めに

 表記のようなアングロサクソン論がらみのテーマだと、読者からの反応があったためしがないので、張り合いがないこと夥しいものがあります。
 今回のシリーズのテーマはアングロサクソン論といっても、日本の「宗主国」の米国についてであったので、皆さん関心がないはずはないと思うのですが・・・。
 閑話休題。
 私のアングロサクソン論の核心部分は、1988年の英国国防省の大学校留学時に直接耳にしたイギリス人の同僚学生達(と言っても、当時大佐か准将、ないし公使相当)の欧州観がヒントになって、イギリス人のホンネを探る形で形成されたものです。
 他方、(アングロサクソン論の最も重要な各論と言ってもよい)米国論については、1974??76年の米スタンフォード大学留学当時から追究してきたものの、最初のうちは全く五里霧中でした。しかし、英国留学後にアングロサクソン論の核心部分の着想を得てから、ようやく米国についてもおぼろげながら分かりかけてきたような気がします。
 そして、米国論についても、今回の「米国とは何か(続)」シリーズでようやく核心に迫れたのではないかと思っています。
 ここで、私の書いた内容に半信半疑であろう多くの読者にとって参考になると思うので、シリーズを書き終えた段階で読んだ、劇作家にしてジャーナリストであるユダヤ系米国人女性グールド(Carol Gould)のエッセー(http://www.frontpagemag.com/Articles/ReadArticle.asp?ID=15464。10月16日アクセス)の内容をかいつまんでご紹介しましょう。(グールドが米国人であることは、一言二言英語をしゃべっただけで英国人(だけでなく誰でも英語のできる人)には分かる、ということを頭に入れておいてください。なお、グールドがユダヤ人であるが故に蒙った攻撃や、グールドが米国人として欧州で蒙った攻撃についても面白いのですが、話を混乱させないため、オミットしてあることをお断りしておきます。)

2 エッセイからの抜粋

 クリントンが米大統領であった1998年に私は英国でドキュメンタリーを制作するため、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の教会・シナゴーグ・モスクを撮影したが、モスクに行く時だけカメラマンは、私に生命の危険が生じるとして同行しないように懇願した。この頃にはパレスティナでインティファーダもまだ起こっていなかったし、イスラエルによる壁の建設も始まっていなかったし、米国でもまだネオコンが表舞台に登場していなかったし、イラク戦争も始まっていなかったことを思い出してほしい。
 同じ頃、私は英国で開かれた人権団体の会合に出席したが、その時、英国人男性から、米帝国は悪であり、ナチズム・ファシズムを世界に広めたと非難され、また黒人の英国人男性から、米国は奴隷制をつくり出したと非難され、更に英国人女性から、シオニストが米国を牛耳っており、かつ米国は独立以来ジェノサイドを幾たびも行ってきたと非難された。
 2001年に入った頃から、ガーディアン紙等に米国とイスラエルをともに非難する論説が掲載される頻度が急に増えた。英国のジャーナリスト組合を始めとする様々な労組が米国とイスラエルを非難する決議を採択し始めた。
 2001年の9.11同時多発テロの翌日、英国でタクシーに乗っていたら、運転手が私に、「米国人は意気地なしであり、汚れ仕事はいつも英国人にやらせる」と言ったかと思ったら、更に、「米国人は臆病で馬鹿であり、テロリストにハイジャックされた四機の操縦士もそうだ。もし英国人がこれらの飛行機に乗り合わせていたら、一機たりとも墜落することはなかっただろう」と付け加えた。
 2003年11月にブッシュ大統領が英国を訪問した際、労働党左派のロンドン市長リビングストーン(Ken Livingstone)は大統領歓迎晩餐会への出席を拒み、群衆がトラファルガー広場に集まり、星条旗を踏みにじり、火を付けた。
 最近、英国人のインテリから自分に対して投げかけられる米国批判の言葉は、「米国は巨大なキリスト教原理主義国家であり、米国人は街中、熱に浮かされたように聖書を振り回す人々で溢れている」、「米国は宗教的過激主義に冒されており、これは世界にとってビン・ラーディンよりも脅威となっている」、「米国が危険なのは、宗教的熱狂に取り憑かれていることと、米国が言うなれば文化を持たない国であることであり、この二つの組み合わせは致命的だ」、あるいは、「ウォルフォビッツ、パールらのシオニストの連中が、ブッシュとブレア政権をどついてイラク戦争を始めさせた。これは、イスラエルをペルシャ湾まで拡大させるとともに、米国のユダヤ人をして世界のメディア、銀行、及び産業を支配させることがねらいだ」といったものだ。

(続く)

<サイレントマジョリティー>
>  表記のようなアングロサクソン論がらみのテー>マだと、読者からの反応があったためしがないの>で、張り合いがないこと夥しいものがあります。

フフフフ… 一生懸命語り掛けたことに反応がないとガッカリする気持ちはよく分りますが、読者の表層的な反応に、そんなに過敏に反応されなくてもよいのでは?
自動制御の原則で表層的な情報にセンサーが過敏に反応し過ぎると安定的な本質の制御が不能になるという大原則がありますョ。

因みに私が貴コラムで一番関心を示し且つ熱心に熟読するのは「アングロサクソン論」です、何故なら積年の関心事であり且つ何か理由があるに違いないと予測しつつ単に知識不足でその本質に切り込めなかったテーマだからです。

人はあまりに得心したり納得すると特段にその事をわざわざコメントしたりしないのではないでしょうか?
傍いに居れば頷いたり相槌を打ったり時には賞賛や感嘆の辞を述べるでしょうね!
それが伝わらないのがWebコミュニケーションの限界なのであり、一方受信者は勤めて反応するのがわきまえというものかもしれません。

異論反論だと人はわざにも発信するのですけれどもね!
中傷まで添えて!

電話器は人の耳が判別しやすい中音域のみ強調して送受信するから劣悪な機器にもかかわらず良く聞き取れるのだそうです。
これに音楽を載せて感動を楽しもうと思っても無理ですよね。
情報のピアニッシモを伝えることの出来ない現在の技術におけるWebコミュニケーションの限界はこの程度と心得てお使いになった方が読者の心を読み誤らないと思います。

私はいつも思っているのですが、このコラムは太田さんが思っていらっしゃるより遥かに大きな影響を世の中に与えています。
くれぐれそこを読み誤れないように。

20万カウントこれはたいへんな数字です。
ポルノのページのカウント数などとユメ同列に比較などなさいませぬように!

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P.S. 以前配布なさった「エントロピィーの話」等は私が最も関心を示し反応するテーマなのです。
…にもかかわらず私は反応していないのです。
以前より私は経済活動はエントロピィーの問題以外の何物でもなくこの側面からのアプローチが絶対に必要と声を大にして騒いでおりました。
しかし私ごときが騒ぎ捲っても、少なくとも私の周りに居る経済学者達は全く耳も貸さなければ関心も示そうとしませんでした。
これからも黙殺され続けるでしょうが私は諦めずに騒ぎ続けるつもりです。
それほど関心深いテーマを掲げられても「全くその通り…」「同感…」という反応をあの時私は発信していません。
閑な時は別ですがそうでない時には、「全くその通り…」と思っているから余程それを凌駕する情報を持ち合わせていない限りなかなか日常生活の中で反応する事は出来ないものです。

何の反応が無くても、太田さんのコラムがきっと多くの読者に深い感銘と共感を与えていることを私は信じて疑っていません。

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