太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#0616(2005.2.2)
<米国とは何か(完結編)(その1)>

1 始めに

 本来のアングロサクソン論、すなわちイギリス論については、重要な「歴史的起源」、「資本主義論」すらまだ書けないでおり、当分完結しそうもありませんが、bastard(できそこないの)アングロサクソンたる米国に関する米国論(コラム#304??307、502??506、529)は、今回のシリーズで一応完結させることにしました。
 今回とりあげるのは米国の戦争観についてであり、Fred Anderson &Andrew Caytonの力作、Dominion of War: Empire and Liberty in North America, 1500-2000, Viking, 2004 を踏まえて、これに適宜私見を加えました。
 さて私は、アングロサクソンの本来の生業は戦争である、と繰り返し申し上げてきました(コラム#41、61、72、82、125、307、399、426、489)。
 そう言うと、新しい読者の中には、英国は最近そんなに戦争をしていないではないか、という素朴な疑問を抱かれる方がおられることでしょう。
私に言わせれば、英国が戦争を余りしなくなった理由は単純そのものです。経済的利得につながる(ベネフィットがコストを上回る)ような戦争が少なくなったからです。そういうわけで最近では、不本意ながらイギリス人は戦争以外で主たる生計を立てているのです。
 ところが、米国人の戦争観は、bastardアングロサクソンらしくひねくれています。
 彼らはイギリス人同様、本当は戦争が無性に好きなくせに、戦争が自分達米国人の本来の生業であるはずがないと思いこんでいるのです。
(以下、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A43070-2005Jan27?language=printer(1月30日アクセス)、http://www.amazon.com/gp/product/product-description/0670033707/ref=dp_proddesc_0/103-2652922-6215831?%5Fencoding=UTF8&n=283155(1月31日アクセス(以下同じ))、http://www.penguinputnam.com/nf/Book/BookDisplay/0,,0_0670033707,00.htmlhttp://hnn.us/roundup/entries/8831.html、及びhttp://tecn.rutgers.edu/coate/july4.htmによる。)

2 共同幻想と戦争観

 米国の首都ワシントンには、戦争記念碑が5つあります。
 独立革命戦争・南北戦争・第二次世界大戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争です。
 しかし、1812年の英米戦争・米墨戦争・米西戦争・第一次世界大戦・累次のカリブ海域等への軍事介入・40回近い対インディアン戦争の記念碑はありません。
 一体どうしてでしょうか。
以前(コラム#504で)「北米植民地、そして後の米国の人々は、旧約聖書的キリスト教に媒介された選民意識の下、アングロサクソン文明をイデオロギー化し、自分達にはその全世界への普及という使命が神から与えられていると思いこんでいる」と申し上げました。
これは、本家筋のアングロサクソンたるイギリス人との違いを際だたせる形で、北米植民地ないし米国の人々が抱くに至った共同幻想なのです。
この共同幻想をもう少し敷衍すると以下の通りです。
イギリス人は人類文明の精華であるアングロサクソン文明を自分たちの間でだけ享受して決してこの文明を他の人々に宣伝し普及しようとはしない。そして彼らは、もっぱら戦争によって他人の財宝や領土を奪取することに血道を上げている。これに対し、自分達はアングロサクソン文明の宣伝普及に努める。また、自分達は米国自身や米国の友好国が攻撃を受けた場合にのみ(個別的又は集団的)自衛目的で武器をとるのであって、決して戦争によって他人の財宝や領土を奪取したりはしない。
先ほどの疑問は、この共同幻想から容易に説明できます。
米独立戦争は1775年のレキシントン(Lexington)での英本国軍の攻撃によって始まり、南北戦争は1861年に連邦軍が駐屯していたサムター砦(Fort Sumter)が南部諸州軍によって攻撃されることによって始まり、米国の第二次世界大戦への参戦は日本の1941年の真珠湾攻撃によって始まり、朝鮮戦争とベトナム戦争への米国の参戦は、それぞれ韓国が北朝鮮から、南ベトナムが北ベトナムから攻撃され、米国が韓国や南ベトナムを防衛するために行われた、というストーリーが一応それぞれ成り立つからこそ、記念碑が立てられたのに対し、英米戦争等はとり繕いようのないほど(注1)明白に米国側が引き起こした戦争なので、記念碑が立てられることがない、ということなのです。

(注1)米西戦争についてすら、1898年に米海軍のメイン(Maine)号がハバナ港でスペイン側によって爆破されることによって起きた、というストーリーがつくられかけたが、さすがに根拠が薄弱すぎてこのストーリーは顧みられなくなった。

(続く)

<読者>
#616のコラムですが基本的には私もそのように思っていた矢先ですので「やはりそうか」と納得をしました。が少し訂正が必要かと思います。

1.アングロサクソン民族は歴史的には旧約聖書に記載されている「選民」では ありません。「選民」とは旧約聖書を読むと明らかですが「ユダヤ民族のみ」を指します。正確に言うとマタイ伝1章の「アブラハムの子であるダビデの子、イエスキリストの系図云々」以下の「ユダヤ人の系図」のみが「選民」です。マタイ伝ではこの記者が、イエスがユダヤ人であることー選民の末裔である事ーをかのユダヤ人に何とかして証明しようとして多くの人が聖書を読む事が嫌になる例の第1章を書いておりますが、ご承知のとおり、イエスはユダヤ人によって十字架に付けられます。

2.そして、これもユダヤ人の中のユダヤ人と自慢するパウロによって当時の異邦人(ローマ人、これを滅びに導いたガリア人、ノルマン人など現在のアングロサクソンの祖先)にキリスト教(当時からこれは旧約聖書ーユダヤ人の聖典ー+新約聖書ーイエスの救いを記載し選民たる殆どのユダヤ人はこれを受け入れなかった書物)が伝えられた事は歴史的な事実です。つまりは「アングロサクソンは旧約聖書で言う選民ではないし、新約聖書には選民意識という概念はない」ということです。

3.もっとも、現在米国籍のユダヤ人や、現在のイスラエル人は選民と思っています。
 しかし、これもご承知のとおり米国内では「選民と認知」されてはいなく、WASPが選民という現実はプロテスタントでないと米国エスタブリッシュになれない現実と相応しています。

4.では、何故彼らは「選民」のような意識行動を取るのか。これは何かに根拠をおく事ではなく全く国民の歴史と国家的業績と人工的な意識構造によるものと思います。
 ここからは分析の対象で、人により異なるかと思います。それを証拠に「ユダヤ人は古くはアッシリヤやバビロニアの植民地であり、ローマ時代はローマの植民地、近代ではイギリスや米国を中心とする国連に左右されながらも選民意識をもつ事が出来た
が、米国人に同じ運命を辿らせたら選民意識をもつ事が可能か」予想してみれば想像がつくというものです。

5.私の見解ですが、15世紀以降にポルトガルやスペインが世界を2分して自分の所有物のごとく扱った時代があります。(例えば15世紀に両国の間で交わされた「トルデシャーリス条約」により彼らが未だ見てもいない日本国はポルトガル領になっており、宣教師はこれを根拠に布教に来たーこの辺は高瀬弘一郎氏がポルトガルやスペインに行って調べた著書「キリシタン時代の研究」に詳しい)これは、この時代この2国に並ぶ文化・文明をもった国が存在せず、 牽制する実力を持った国が存在しなかったためですが、これと同じと思います。
 ですから米国の価値観や経済的、軍事的実力が他の国家より相対的に衰えれば彼らはユダヤ人が現在でも持っている「選民意識」のような意識は持ちえなく単なる歴史がせいぜいのところ数百年しかない国民意識しか持ち得ないと思います。(これを望むかどうかは別問題ですが)

6.こう見ると米国の鼻につく言動はとても「本物の選民意識」などではなく、かえって彼らの根底にある「劣等意識からの脱出ないし世界で一番でないと嫌だ」という人工的な意識構造と言った方が正しいと思われます。(私の伯父の子孫がロスにおりますが、彼の孫達ー彼らも米国ではそれなりの地位を築いているーが日本に来ると(当然日本語は話せない)福岡の大宰府あたりを見て「日本は歴史ある国で羨ましい。Japan is a very ancient nation !と言うのですから本音なんでしょうね)別に我々が威張ると言う事ではなく事実を事実として認識しましょうと言う事を云いたいだけです。

<太田>
>アングロサクソン民族は歴史的には旧約聖書に記載されている「選民」ではありません。・・新約聖書には選民意識という概念はない・・。

 本文で引用している私の以前のコラムを読んでいただけば分かりますが、私もそのように認識しております。(なお、私は米国人に選民意識があると言っているのであって、アングロサクソン一般、特にイギリス人に選民意識があるとは思っておりません。念のため。)

>何故彼らは「選民」のような意識行動を取るのか。これは何かに根拠をおく事ではなく全く国民の歴史と国家的業績と人工的な意識構造によるものと思います。

 やはり、以前のコラムを読んでいただきたいのですが、ここは見解を異にします。

>米国の価値観や経済的、軍事的実力が他の国家より相対的に衰えれば彼らは ユダヤ人が現在でも持っている「選民意識」のような意識は持ちえなく<なるでしょう>

 吹けば飛ぶような存在だった英領北米植民地人であった頃から米国人は選民意識を持っていたということからすれば、米国人の選民意識は、ユダヤ人のそれと同様、その相対的経済力・軍事力いかんにかかわらず、今後ともそう簡単に失われることはないでしょう。

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/