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太田述正コラム#0618(2005.2.4)
<イラク暫定国民議会選挙(その3)>
(3)世界
ア正当性についての批判
今回のイラクの選挙の正当性について、世界の「リベラル」勢力から投げかけられている批判(イラクのスンニ派から投げかけられている批判でもある)は二つあります。
一つは実質的に主権を回復していないイラクで行われた選挙には正当性がない、であり、もう一つは、特定の地域の住民が殆ど投票しなかった、或いは投票できなかった以上、その選挙には正当性がない、です。
前者は、選挙を管理したイラク暫定政府が占領軍によって設けられ、大統領・首相等の首脳陣も占領軍によって任命されている(注2)ことに加え、形式的には主権を占領国から返還されたとはいえ、旧占領軍が引き続きイラクにとどまり、この旧占領軍なしでは政府の維持ができない状況である以上、イラクは実質的に主権を回復しているとは言えず、主権なきところで実施された選挙の正当性はない、という批判です(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1402277,00.html(2月1日アクセス)及びhttp://www.csmonitor.com/2005/0203/p01s03-wome.html(2月3日アクセス))。
(注2)より正確に言うと、国連のブラヒミ特使に首脳陣の選考が委ねられたものの、最後の瞬間に、最高権力者の首相が米国ご推奨のアラウィに差し替えられた。
しかし、これは鶏が先か卵が先かという類のためにする議論です。
現在のイラクには本来の意味の憲法すらありません。
今度の選挙の結果誕生する暫定国民議会が憲法を起草し、それが国民投票で承認されて初めて憲法が成立するのです。その暫定国民議会の議員の選出が、(旧フセイン政府関係者の立候補こそできませんが、)完全に自由な選挙として行われた以上、選挙管理の責任者が選挙で選ばれていないとか、外国軍が駐留しているとかいったことに目くじらを立てても仕方がないでしょう。
後者の批判も、これまでの世界史をふりかえれば、成り立ち得ません。
南北戦争(1861??65年)当時の米国は、奴隷制擁護という反「自由・民主主義」勢力と奴隷制反対の「自由・民主主義」勢力との間で内戦が行われていたのに対し、現在のイラクは、文字通りに自由・民主主義勢力(及びこれを「支援」する外国勢力)と反自由・民主主義勢力との間で内戦が行われており、状況がよく似ています。
さて、南北戦争中の1864年の大統領選挙には、南部連合国加盟の反「自由・民主主義」勢力たる11州は、当然のことながら参加しませんでした。
また、戦争が終わってから三年も経った1868年の大統領選挙にも旧南部連合国加盟州であったテキサス・バージニア・ミシシッピーという相当大きな三つの州は連邦軍の占領下に置かれており、選挙への参加が認められませんでした。
しかしだからと言って、1864年の選挙で選ばれた第16代大統領のリンカーン(Abraham Lincoln。1809??65年。大統領1861??65年)にせよ、1868年の選挙で選ばれた第18代大統領のグラント(Ulysses S. Grant。1822??85年。大統領1869??77年)にせよ、彼らが正当な大統領ではない、などと主張する人は皆無です。
同様、イラクの総人口のわずか20%しか占めないスンニ派の大部分が参加しなくても、そしてイラクの全18州のうちスンニ派が集中して住む三つの州の住民の大部分が参加しなくても、暫定国民議会選挙の正当性が失われることはありません。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1368081,00.html(12月8日アクセス)による。)
イ 選挙は「成功」だったのか
世界の「リベラル」勢力の中には、今回のイラクでの選挙が「成功」だったという主張そのものに疑義を唱える人もいます。
今回の選挙での投票率が、57%程度にしか過ぎない(注3)ことを問題視するのです。
(注3)この投票率は、確定投票数がまだ発表されておらず、他方で選挙人名簿があるわけでもないので母数も明確ではないが、食糧配給簿等から、イラク国内の有権者は1400万人程度と推定されているのでこれを母数とし、推定投票数を分子にして計算したもの。なお、このほか亡命者ないし避難民たる在外イラク人が約400万人おりこのうち約200万人が有権者であると推定されていて、うち28万人が有権者登録し、26万5,000人が投票した。
彼らが持ち出すのは、1967年の南ベトナムでの大統領選挙です。
この時の投票率は、ベトコン(北ベトナム軍)が猛威を振るっていたというのに、83%に達し、NYタイムスが当時、これは大成功だという楽観的な記事を掲げた、ということがあったからです。
ところがその後、翌年の1968年にはベトコンがテト大攻勢をかけ、米国で厭戦気分が一挙に高まり、1973年には米軍は撤退に追い込まれ、1975年には南ベトナムが北ベトナムに併合されてベトナム戦争が終わる、という経過をたどったことは、ご存じの通りであり、57%程度の投票率では、お先真っ暗ではないか、というのです。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1403103,00.html(2月2日アクセス)及びhttp://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/he/vietnamwar.html(2月4日アクセス)による。)
(続く)
<読者>
日本の憲法もイラク憲法より悪い。
国民は投票した覚えが無い。
国民総選挙は憲法発布後で朝鮮戦争後とは??
昭和20年から25年も27年の平和条約締結後の選挙ですから・・・
他国の事を偉そうに言う事は墓穴を掘るのです。
今も米国の占領地域に変わりは無いでしょうね。
<太田>
必ずしも文意が定かではなく、言及されている出来事の順序にも混乱が見られますが、占領下に制定(形式上は明治憲法の修正)された日本国憲法が無効だ、というご趣旨であれば、その通りです。
しかし、遺憾ながら、日本が主権を回復した後、日本国民が日本国憲法の有効性を否定することがなかったため、制定時の瑕疵が治癒され、有効になってしまって現在に至っているのです。
憲法9条を引きずったまま21世紀を迎える羽目になったのは、主権回復当時の日本人(とりわけ自民党、とりわけ吉田学校の生徒達)の怠慢のせいです。
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