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太田述正コラム#0623(2005.2.9)
<米国とは何か(完結編)(その4)>

 フレンチ・インディアン戦争が終わった1763年から米独立戦争が勃発した1775年までは12年でしたが、米墨戦争が終わった1848年から南北戦争が勃発した1861年までは13年であり、ほぼ同じです。(リンカーンの大統領当選を受けて南カロライナ州が連邦からの離脱を表明した1860年をもって事実上南北戦争が始まったととらえれば、奇しくも全く同じ12年ということになる。)
 独立戦争は、フレンチ・インディアン戦争によって新たに英領に編入された領土を、英本国側と植民地側のどちらがコントロールするかをめぐっての争いが戦争に発展したわけでしたが、南北戦争は、米墨戦争によって新たに米国領に編入された領土を、南部諸州と北部諸州のどちらがコントロールするかをめぐっての争いが戦争に発展したものでした。
南北間には、前述したように、工業中心で保護貿易志向の北部と、奴隷労働によるプランテーション農業中心で自由貿易志向の南部、という違いがあり、南部人は、「北部人(Yankees)と英語を話すカナダ人との間の差異より、北部人と南部人(Southerners)との間の差異の方が大きい」という思いを抱いていた(http://www.dixienet.org/spatriot/vol3no2/member10.html。2月9日アクセス)、ということが背景にあります。
一般には南北戦争は奴隷制廃止を主張した正義の味方の北部が奴隷制維持を図った悪しき南部を征伐した戦争という印象がありますが、それは余りにも一方的な見方です。
第一に奴隷制についてです。
北部は奴隷制こそ否定していたかもしれませんが、前述したようなインディアンに対する民族浄化(ethnic cleansing)政策を追求することに良心の呵責を感じない白人至上主義者が大多数を占めていた、という点では北部も南部も似たようなものでした。
第二に、連邦から離脱する権利についてです。
米国憲法には連邦からの離脱に関する規定はありませんが、だからと言って離脱はできないとは言えませんでした。米国憲法には連邦政府が領土を外国から購入できるとする規定がないにもかかわらず、フランスからルイジアナを購入した、という先例もありましたね。
しかも、建国の父達は一様に、連邦離脱の権利を認めていました。
例えば、米憲法起草者であるマディソン(James Madison)は、各州が主権を持っていて連邦政府は各州によって便宜上つくり出されたものに過ぎない、という趣旨のことを言っていますし、ジェファーソンは、「もし連邦(Union)のいずれかの州が、連邦にとどまるよりも離脱する方を好む、というのなら、それじゃ分かれよう、と言うことに何の躊躇もない」と言い切っていました(http://capmag.com/article.asp?ID=1543。2月9日アクセス)(注9)。

(注9)ただし、1869年に米最高裁は判決(Texas vs. White)で、連邦離脱は憲法上認められていない、とした(http://www.diversityalliance.org/docs/article_secede_000308.html。2月9日アクセス)。これは、南北戦争の正当性を追認するための政治的判決だった、という感がある。いずれにせよ、判決は変更されうる。

にもかかわらず、連邦政府(北部)は、南部諸州が連邦から離脱しようとしたのに、これを認めなかったのです。

 連邦政府(北部)のホンネは北部による米国全体のコントロールであり、米国の分裂によって南部の領土・人口・経済力が失われることは絶対阻止すべきことでした。
結局、連邦政府(北部)は、南部諸州相手に世界初の産業「国家」同士の戦争に訴え、この戦争を、世界初の(社会全体を巻き込んだ)全体戦争の形で情け容赦なく遂行し、南部諸州の兵士を中心に50万人に及ぶ死者を出し、南部を廃墟に化して南部諸州を屈服させたのです。
(以上、「南部諸州相手に」以降は、http://en.wikipedia.org/wiki/American_Civil_War#Naming_the_War(2月9日アクセス)による。)
連邦政府(北部)が、領土と財貨のコントロールというホンネを押し隠し、理想主義的なタテマエを掲げつつ、理屈にも何もなっていない言いがかりをつけて戦争に訴えた、という以上のような構図は、「連邦政府(北部)」を「英領北米植民地の人々」と読み替えれば、独立戦争の時の構図と全く同じです。

(続く)

<読者>
>  独立戦争は、フレンチ・インディアン戦争によって新たに英領に編入された領土を、英本国側と植民地側のどちらがコントロールするかをめぐっての 争いが戦争に発展したわけでしたが、南北戦争は、米墨戦争によって新たに米国領に編入された領土を、南部諸州と北部諸州のどちらがコントロールす るかをめぐっての争いが戦争に発展したものでした。

 南北戦争の原因がどうもよくわからなかったのですが、この説明で大分スッキリしました。奴隷制撤廃とか工業製品への関税の為に60万人が死ぬなんておかしい。いくらでも妥協の余地があったはず。
 この間映画新作『アラモ』を見て來ましたが、以前ジョン・ウェインが作ったのに比べると奴隷制が少し出てきており、過剰な美化は減っているようでした。
 しかしメキシコが『アラモ』を映画化するとどんな作品になるのか。日本が資金を出してメキシコ人かスペン人に作らせると面白いのではないかと思
います。

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