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太田述正コラム#0638(2005.2.23)
<男女平等問題をめぐって(続)(その1)>
(本篇は、コラム#600の続きです。)
1 始めに
米国では、サマーズ発言の余震が延々と続いています。
日本でも、もっと男女平等問題についての論議が活発になることを祈念しつつ、米国での議論をフォローしてみましょう。
サマーズ発言とは、米国の理工系の学部における教員の20%しか女性でなく、これら学部の上級ポストに就いている女性は数えるほどしかいないのはなぜか、を説明しようとしたものです。
2 サマーズ発言速記録公表前の議論
(1)サマーズ擁護論
ア 男女は生物学的に異なる
男女の生物学的差異を強調するサマーズの指摘は正しいとする声があがりました。
男女のDNAの差異は1??2%にのぼるとし、これは何と、男(女)の人間と雄(雌)のチンパンジーのDNAの差異に匹敵するというのです。
ここから男女間の身体の違いのみならず、大脳の構造(理性・言語を司る左脳と感情・音楽を司る右脳という両脳の間のコミュニケーションを担う脳梁(corpus callosum)が女性の方が太いこと等)や脳の働き(攻撃性が男性の方が強い等)の違いが出てくるとし、その結果として例えば、男性の方がIQが高い者や「聖人」が多い反面IQが低い者も多いし、(刑務所を覗けばすぐ分かるように)「悪漢」も多い、といった男女間の違いがもたらされている、というわけです。
(以上、http://slate.msn.com/id/2112570/(1月23日アクセス)による。)
なお、ここで注意すべきは、IQが高くて上位5%に入るような人のうち女性は少なく、(IQは数学だけに関わる指数ではないが、近似的には「IQが高い者」は「数学できる者」であることから、)数学ができる上位5%に入る女性も少ないわけですが、このことは女性が数学を嫌いであるとか、だから女性は数学を使う仕事は好まないということを必ずしも意味しない、ということです。
論より証拠。米国では、数学を使う職業の最たるものである会計士の59%は既に女性によって占められており、理数系である医者や数学的な厳密な論理的思考が要求される法律家はかつては女性が少なかったけれども、今では3割が女性であり、その卵である医学生と法学生の5割は女性が占めるに至っているのです。
イ 学問の自由の尊重を
最近、女性・人種・宗教・中東問題等に関しpolitical correctness が大学においても求められるようになり、学問の自由が危うくなっているという認識の下、サマーズは学者として発言したのであり、発言内容に対する批判もまた、学問的になされねばならないところ、必ずしもそのような建設的な批判ばかりではない、としてサマーズを擁護する声があがりました。
(以上、http://www.csmonitor.com/2005/0128/p01s01-ussc.html(1月28日アクセス)による。)
(2)サマーズ批判論
ア 「学問的」批判
第一に、サマーズは、女性に数学ができる者が少ないことが、理学者・数学者・工学者(以下、「理学者等」という)に女性が少ない理由ではないかと述べましたが、これは誤りだという批判があがりました。
なぜなら、確かに数学ができる上位5%には男性が圧倒的に多いとはいえ、そのうち理学者等になろうとする男性はそれほど多くはないのであって、数学ができる女性が理学者等になるチャンスは十分あるのだけれど、なろうとする女性もまた少ないからこそ、理学者等に女性が少ないだけのことであり、なにゆえ数学ができる女性が理学者等になろうとしないのか、を解明することこそ鍵だというのです。
第二に、サマーズは、家庭生活を犠牲にしてまで仕事に時間とエネルギーを投入しようとする女性が少ないことも理学者等に女性が少ない理由ではないかと述べましたが、これも誤りだという批判があがりました。
なぜなら、医者や法律家は、理学者等に勝るとも劣らないほど時間とエネルギーを投入しなければならない職業であるところ、先ほど触れたように、米国ではそう遠くない将来に医者や法律家の5割を女性が占める勢いだからです。
以上のようなサマーズ発言批判をしている論者達は、理学者等に女性が少ない理由の仮説として二つの仮説を提示しています。
一つは理学者等の所得が高くないからではないかという仮説です。
実際、米国の427種の職業のうち、所得は医者は上から2番目で、法律家は14番目であるのに対し、理学者等である物理学者は27番目で土木技師は69番目に過ぎません。
もう一つのよりもっともらしい仮説は、男女間には職業の好き嫌いについて差があり、女性は理学者等がお好みではないからではないかという仮説です。
そもそも、同じ理学者と言っても、生物学者の46%、環境科学者の30%は女性が占めており、学問分野でこれほど占拠率に著しい差が見られることは、男女間で好みが違うとしか説明のしようがない、というわけです(注1)。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A36715-2005Jan25?language=printer(1月27日アクセス)による。)
(注1)子供の頃から、女子は社会性に長けており言語能力に優れているのに対し、男子は体を動かすことを好み、空間把握に優れている、という傾向がある。高校段階にもなると、女子生徒はコンピューター科学・物理・数学・工学よりも生物・化学・人文科学を好み、既成観念への挑戦を好まず、間違うことを厭う、のに対し、男子生徒は逆だ、という傾向が顕著に見られる。(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A52344-2005Jan31?language=printer。2月1日アクセス)
ただし、「第三に、」を参照。
第三に、サマーズは、大学の教員の昇任に関し男女差別はないと述べましたが、これについても誤りだという批判があがりました。
意識的差別はないかもしれないが、少なくとも無意識的差別は厳然と存在する、というのです。
無意識的差別が存在する証拠として、研究者に同じ論文を見せ、一つの被験グループにはその論文の著者名を女性の名前(Joan・・)にし、もう一つの被験グループには男性の名前(John・・)にしたところ、被験者が男性であっても女性であっても、男性名の論文の方の評価が高く出る、という実験結果が紹介されています(注2)。
(注2)これは意識的差別の例であり、しかも学問の分野の話ではないが、交響楽団のメンバー選考を、人物を見ながら行うのと、音だけを聞いて行うのとでは、女性の候補者への評価が全く異なってしまう、という実験結果もある。選考する側の人間の多くが、女性は筋力や肺活量等からして、男性より音楽演奏家としてはハンデがある、と思いこんでいる、ということのようだ。
そして、このような無意識的差別感情を身につけてしまうのは、(男女の生物学的違いが仮にあったとしても、)社会化の過程にも問題がある、というのです。
その根拠となるのが、被験者に、これは男女間の認知能力の差をはかるためのテストだと言ってやらせると、女性の被験者の方が男性の被験者より低い点数が出るけれど、これは男女間で差が出ないテストだと言ってやらせると、男女ともほぼ同じ点数が出る、という実験結果です。
結局、社会化の過程で身につけた無意識的差別感情が女性の理学者等のパーフォーマンスを低下させている、と考えられるというのです。しかも、その女性の理学者等が優秀であればあるほど、その足をひっぱる自他の無意識の差別感情の風圧は高まる、とも考えられるというのです。
イ ハーバード学長たるサマーズへの批判
サマーズは「ハーバード」「大学」の学長であり、一介の教授ないし研究者ではないので、発言するにあたってはもっと慎重であるべきだった、という批判がなされました。
まず、「大学」の学長としては、たとえ「学問的」発言であっても、あのような発言の仕方では、その「大学」の女性教員登用政策の消極性の表明と受け止められかねないからです。
また、「ハーバード」の学長としては、たとえ「学問的」発言であっても、あのような発言の仕方では、米国社会における偏見を助長する恐れなしとしないからです。
(以上、http://slate.msn.com/id/2112799/(1月29日アクセス)による。)
(続く)
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