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太田述正コラム#0662(2005.3.17)
<分かりにくいレバノン情勢(その3)>

 (3)レバノン国民の成立
  ア レバノン国民成立へ
 昨年10月に米仏が協調して安保理決議を採択した背景には、内戦終結後の(ヒズボラを除き)武装解除した10余年の間にレバノン各派の宥和が進んでレバノン国民意識が醸成され、駐留シリア軍やシリア諜報要員やシリア人出稼ぎ者に対する反感が高まっている、だからシリア軍等撤退に対する反対は少なく、またシリア軍等を撤退させても、ヒズボラさえ武装解除できれば、再びレバノンが内戦状況に戻る懼れもまずない、という情勢判断があったに相違ありません(注3)。

 (注3)この安保理決議は、シリアが、昨年11月に6年間の任期が切れる、シリア寄りのレバノン大統領ラフード(Emile Lahoud)を憲法を改正することによって再選させようと図り、これがレバノン内外の反発で困難と見るや、今度はラフードの任期を3年間延長させようと図る、という状況下で行われた。安保理決議の翌日にこの憲法改正のレバノン議会決議が成立した。(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3630054.stm。3月17日アクセス)

 しかし、昨年11月にレバノンで実施された世論調査によれば、この安保理決議に反対する者が58%、シリアとレバノンとの関係の改善と調整(reconstruction)は米仏の介入を排して行われるべきであるとする者が半数近く、もおり(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A16165-2005Mar8?language=printer。3月10日アクセス)、この結果には米仏ともさぞかし意気消沈したことでしょう。
 ところが、レバノン各派の宥和が進んでレバノン国民意識が醸成されていたことは、2月中旬のハリリ元首相の暗殺事件直後に実施された世論調査で裏付けられたのです。
 この世論調査における様々な質問に対する回答のパターンが、キリスト教徒・スンニ派・ドルーズ派はおおむね似通っており、シーア派だけが顕著に異なったパターンを示しました。
 例えば、ハリリ元首相暗殺の黒幕について、前者のグループはいずれも50%がシリアだと思うと答えたのに対し、シーア派は70%が米国だと思うと答えています。(詳しいデータが示されていないのですが、事業家としてのハリリを憎んでいた競争相手等、ハリリには敵が多かったことから、前者のグループの残り50%が一致して黒幕を米国だと考えているわけがないことに注意が必要です。)
(以上、http://www.csmonitor.com/2005/0311/p06s01-wome.html(3月11日アクセス)による。なお、ハリリにシリア以外にも沢山敵がいたことについては、例えばhttp://www.amin.org/eng/azmi_bishara/2005/feb24.html参照)
どんなにシーア派の人口が急伸しているといっても、前者のグループがレバノン総人口の過半数を超えていることは間違いないところ、この世論調査結果から、(シーア派を除き、)キリスト教徒・イスラム教徒の枠を超えて、レバノンの過半の住民の間で国民意識が醸成されていることが確認されたのです。
 これは、ベイルート等都会におけるマロン派等のキリスト教徒との接触を通じ、スンニ派やドルーズ派のイスラム教徒がキリスト教徒の向学心や勤勉ぶりに感化され、次第に似通った精神構造を身につけていった結果だと考えられます(典拠失念)。

  イ 動員合戦
 2月末から3月初めにかけての、7万人規模の反シリアの第一回目の民衆運動は、レバノン史上初めて、キリスト教徒とイスラム教徒(ただし、スンニ派とドルーズ派)が手を携えて行った民衆運動でした。この時、レバノン国旗が運動の共通シンボルとなったことは象徴的です。
 ハリリ元首相暗殺事件は、宗派を超えた反シリア民衆運動の盛り上がりを通じて、レバノン国民意識が確立していることをシリアを含む全世界に示すことになったのです。
(以上、http://www.time.com/time/world/printout/0,8816,1036010,00.html(3月10日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4308217.stm(3月15日アクセス)による。)
 これに対抗して、3月8日に50万人規模の親シリアの示威行動がヒズボラによって敢行されるとは、反シリア派も米仏も意表をつかれたに違いありません。
 しかし、ヒズボラ、すなわちシーア派が武器を携行せず、シリアのアサド大統領の写真とともにレバノン国旗という、論理矛盾のような二つのシンボルを用いて示威行動を行ったこと(ワシントンポスト上掲及びhttp://www.csmonitor.com/2005/0310/p08s03-comv.html(どちらも3月10日アクセス))は、意味深長です。
 シーア派が異なった意見を有しつつも、しかしあくまでレバノン国民として、レバノンの政治プロセスに参入する意思表示を行った、と受け止めることができるからです。
 そして3月14日に再度、これに対抗するために80万人規模の反シリアの民衆運動が行われた結果、反シリア連合は多数派、親シリアたるシーア派は少数派、という勢力図が明確になった、と言えるでしょう。

(続く)

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