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太田述正コラム#686(2005.4.10)
<ヨハネ・パウロ二世の死(その1)> 
1 功績

 葬儀が行われたばかりの、史上三番目に長く法王を務めたヨハネ・パウロ二世の功績として最も評価すべきは、カトリック教会がこれまで犯した罪について謝罪を続けたことです。
 謝罪は、一貫してユダヤ人迫害に手を貸してきたこと、十字軍を引き起こしてイスラム教徒や正教徒に惨禍をもたらしたこと、西欧列強による植民地化に関与したこと、スペイン内戦中にフランコの側に立ったこと、先の大戦中のナチスによるユダヤ人ホロコーストを止めようとしなかったこと、同じく先の大戦中にクロアチアのファシスト団体であるウスタシャ(Ustase)が行った正教徒(セルビア人)等に対するカトリックへの強制改宗やジェノサイドを黙認した(注1)こと、ガリレオ(Galileo)に対し異端審問で有罪宣告をしたこと等科学の発展の足を引っ張ったこと、等について行われました。
 (以上、植民地化のくだり(典拠失念)以外はhttp://slate.msn.com/id/2116443/(4月9日アクセス)による。)

  • (注1)ア 第一次世界大戦後ユーゴスラビアができると、法王庁はカトリックのクロアチアとスロベニアの独立運動を支持した。イ カトリックの神父の中には上記「犯行」に直接携わった者もいた。ウ 先の大戦中法王庁は、クロアチアが「独立」を果たしてからというものその首都ザグレブに大使(papal nuncio)を常駐させ続けた。大使もザグレブの大司教も「犯行」を看過ないし黙認した。エ 大戦後、カトリック神父達が中心となってウスタシャ残党の南米への逃避を助けた。これら神父の中にはかつて法王庁で勤務した者も少なくなかった。オ ウスタシャがセルビア人やユダヤ人から没収したカネが法王庁に納められているという疑惑が消えていない。(http://en.wikipedia.org/wiki/Ustashe#Victims。4月10日アクセス)

 彼の死去がもたらした功績も挙げておきましょう。
 葬儀に列席したイスラエルのカツァフ(Moshe Katsav)大統領は、法的には戦争状態にあるシリアのアサド大統領と二度にわたって握手を交わし(二番目の握手はアサド側から)、仇敵関係にあるイランのハタミ(Mohammad Khatami)大統領とは、(ハタミ側から)握手を交わした上で、二人の共通の生誕地であるイラン中央部の町(Yazd)についてペルシャ語で会話を交わしました。また、外交関係のないアフガニスタンのブーテフリカ(Abdelaziz Bouteflika)大統領とも握手をしました。
 このことについて、カツァフ氏自身は儀礼的なものだとしていますが、シリアは公式に(対イスラエル政策を変更したわけではないが)事実と認め、一方のイランは公式には全面否定していることから見ても、政治的にプラスの意義があったことは否定できません。
 死せる法王、中東の元首らを走らす、といったところでしょうか。
 (以上事実関係は、http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4425487.stm(4月9日アクセス)による。)

2 犯した罪

 以前(コラム#172で)、ヨハネ・パウロ二世が犯した罪を四つ挙げたことがあります。
 第一に、コンドーム着用すら禁止することで、発展途上国におけるエイズの蔓延と人口爆発を招来したことです。
 第二に、聖職者に対する性の禁忌の墨守による神父の児童虐待の頻発です。
 第三に、法王庁が国家でもあることから、台湾問題等に関与せざるを得ない(注2)というアナクロニズムを放置してきたことです。

  • (注2)中共がカトリック教会を含めたすべての宗教を弾圧したため、法王庁は1951年に中共と関係を絶ち、他方台湾には大使を派遣してきた。中共は1976年にようやくカトリック信仰を認めたが、現在支那では政府が承認したカトリック教会(信徒500万人)と(法王庁に忠実な)非公認のカトリック教会(信徒推定800万人)が並存している。中共は法王庁との関係修復の条件として、台湾との断交と(ベトナムすら認めているところの)神父叙任権の放棄を求めている。
    今次葬儀に中共政府からは誰も出席しなかったが、台湾の陳水扁総統はイタリア政府の承認を得て出席した。台湾の総統の欧州訪問は史上初めて。(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4423845.stm。4月9日アクセス)

 第四に、奇跡の実在なる虚構を前提にした「聖人」認定の存続とその乱発です(注3)。

  • (注3)この「罪」や、マリア信仰という偶像崇拝的・非キリスト教的傾向を擁護・奨励した(スレート上掲)、という「罪」ともなると一層そうだが、信教の自由の一環として批判は慎まなければならないのかもしれない。
    とまれ、ヨハネ・パウロ二世が、ウスタシャやフランコに協力したカトリック聖職者の聖人化に向けての措置をとったこと(スレート上掲)は、上記謝罪のうちのいくつかをフイにする愚行だった。

 この際、
 第五に、米国主導による2001年のアフガニスタン戦争や2003年のイラク戦争はもとより、コソボ紛争への1999年のNATO軍の介入や国連が認めた1991年の湾岸戦争にも反対し、コソボにおける民族浄化やタリバン政権による圧政やテロ荷担、更にはフセイン政権による侵略や圧政を黙認する側に立ったこと、を更に付け加えておきましょう(アフガニスタン及びコソボのくだり(典拠失念)を除きスレート上掲)。

(続く)

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