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太田述正コラム#695(2005.4.18)
<風雲急を告げる北東アジア情勢(その8)>
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<補足>
街頭での反日行動が始まってから三回目の週末を迎えました。
上海での反日行動が予告された通り16日(土)に起こりましたが、一週間前の北京での反日行動の二番煎じの官製反日行動でした。(北京の反日行動が官製であったことは、前回以降の平日の間はもとより、一週間たった週末の16日にも何も起こらなかったことで更にはっきりしました。)そして、今回も中共国内のメディアは一切反日行動の報道をしていませんが、北京の反日行動の時同様、新華社の英文版はこの報道をしたほか、杭州で約1万人がデモ、天津では2000人以上が反日集会を行ったと報じました。
(以上、事実関係はhttp://www.sankei.co.jp/news/050417/kok004.htm及びhttp://www.sankei.co.jp/news/morning/17pol001.htm(どちらも4月17日アクセス)による。)
実際、デモを行った後、日本政府公館(今回は総領事館)を取り囲み、館内に向かって石やペットボトル、卵などを投げつけ、建物の窓ガラスを割り、また、市内の日本料理店などの日系店舗を壊した、というのですから、北京の反日行動と瓜二つです。
違っている点と言えば、参加人員(2万人)も被害も北京を若干上回ったことくらいです。
上海の反日行動もまた官製であったことの根拠は次のとおりです。
(1)集合地点からデモに出発する際、出発を促したのは警官だった。
(2)総領事館前で、警官隊は抵抗らしい抵抗をせずにピケを解除し、それから
参加者が投石等を始めた。
(3)警官が投石グループを順次入れ替えた。
(4)総領事館を取り囲んでから数時間経過し日が暮れ始めたところで、バスが到着した旨のアナウンスが警察車両から流れ、参加者はバスに乗って退散した。
(以上、http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20050417/mng_____kok_____003.shtml(4月17日アクセス)による。)
(5)逮捕者は出ていない(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-china16apr16,0,7505980,print.story?coll=la-home-headlines。4月17日アクセス)。
このロサンゼルスタイムスの記事は、参加者のうち何人かが、民主主義と集会の自由を訴える小さなプラカードを掲げていたことを紹介しています。
また、ニューヨークタイムス(http://www.nytimes.com/2005/04/17/international/asia/17china.html?pagewanted=print&position=。4月17日アクセス)は、上海の街の声を二つ紹介しています。
「政府は、日本を非難してもよろしいと言っている。しかし、連中は、われわれが自分の国の国内の状況に対して、より深刻な不満を持っていることが分かっちゃいない。」
「私は日本や日本人に対して含むところは全くない。みんながこのデモに参加しているのは、それ以外の事柄に対し抗議をすることが許されていないからだ。あなたの国ではデモを自由に行うことができる。だからこんなことには多数の人々を惹き付けることはできまい。ところがこの国では、何かに抗議する機会を与えられることなど全くない。そこでみんなは、<デモに>参加することで、それがどんなものかを体験しようとしているのだ。」
なお、17日(本日)には、上海では何事も起こりませんでしたが、3日と10日に反日行動があった広東省深センで1万人を超す大規模反日デモが行われ、遼寧省瀋陽でも東北部として初めて1000?2000人が反日デモを実施しました。瀋陽では、デモ参加者が日本総領事館に石やペットボトルを投げ付け、館内にあった車の窓ガラスが壊れるなどの被害が出ました。また、広東省珠海で約1000人、東莞と広州でそれぞれ数百人規模のデモや集会がありました。更に、広西チワン族自治区南寧でも数百人が反日集会を開いたもようです。(http://www.tokyo-np.co.jp/00/detail/20050417/fls_____detail__041.shtml。4月17日アクセス)
どうやら、反日行動は一都市につき週末の土曜か日曜かどちらかで、(北京を除き)一週間おきに繰り返す、というのが中共政府の方針のようですが、都市の数が次第に増えてきていることが気がかりです。
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ク 軍事戦略の軌跡
今回の反日行動と反国家分裂法採択とが関係していると私が考える第5の理由は、中共の最近の軍事戦略の軌跡です。
ここで皆さんの注意を喚起したいのは、戦後日本が軍事を擲ってしまったために盲点になっているのですが、世界の大部分の国は軍事を重視しており、とりわけ中共はそうであって(コラム#103)、主として軍事的視点から、換言すれば安全保障的観点から物事を見ている、ということです。
その上で、支那側から東シナ海方向を地図で眺めてみてください。
かつて極東ソ連が、宗谷・津軽・対馬の三海峡を日本に扼されていたことが、ソ連の大きな軍事的弱点の一つだと言われた(コラム#58)ことになぞらえて言えば、中共は、日本列島・琉球列島・台湾・台湾領の東砂群島(Pratas Islands。台湾の軍事基地がある)によって外洋に出るルートを扼されていること、がお分かりいただけることと思います。
これは中共にとって大きな問題です。
中共は既に米国に次ぐ世界第二位の石油消費国であり、輸入依存率は35%と今のところは日本や西欧諸国よりは低いけれども、輸入量は昨年数量ベースで4割も増えており(http://www.geocities.jp/mstcj182/ITEM-3A32.html。4月17日アクセス)、急速に輸入依存率は高まって行くと考えられています。同じことが、他の殆どの天然資源についても言えます。
これら資源の世界各地からの輸入は、その大部分が海上輸送で行われます。その海上輸送路を、それぞれ米国と軍事的に結びついている自由・民主主義国家たる日本と台湾という二カ国によって扼されている、ということは、将来中共が、これら諸国によって海上交通路が封鎖され、経済が瓦解する危険性に恒常的に晒される、すなわち日米台三カ国に生殺与奪の権を握られる、ということを意味します。
そうだとすると、中共の立場からすれば、ただ単に漢人民族主義的イデオロギーを喚起するために台湾との合邦を唱え続ける必要があるだけでなく、将来の中共の経済的生存が脅かされないようにするためにも、台湾を実際に併合するか少なくとも台湾と米国ないし日本の軍事的結びつきを断ち切る必要がある、ということになるのです。
中共のこのところの軍事戦略の軌跡を見れば、前途遼遠ではあるものの、中共が着々とそのための布石を打ってきていることが分かります。
(続く)
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