太田述正コラム#707(2005.4.29)
<日中対話用メモ(その3)> 
  イ 歴史認識問題総論
 十年一日のごとく中共は、「「歴史を鑑(かがみ)として未来へ向かう」は、中日両国関係を処理する基本的規範だ」(http://j.peopledaily.com.cn/2005/04/27/jp20050427_49631.html。4月28日アクセス)とか、「中国を侵略した歴史を日本が正しく認識し対処できるかどうかは、中日関係が健全に発展できるかどうかの基本的前提だ。」(http://j.peopledaily.com.cn/2005/04/27/jp20050427_49628.html。4月28日アクセス)といった趣旨のことを日本に対して言ってきました。
 靖国問題は、この歴史認識問題のいわば各論として中共側から援用されてきたわけです。
 しかし、靖国神社問題については、中共側の論理は破綻していることを(コラム#705で)既にご説明しました。
 今度は、歴史認識問題そのものを俎上に乗せ、正面から中共の問題提起に答えてみることにしましょう。
 最初に確認しておくべきことは、当たり前のことですが、日本と比べた中共の恐るべき後進性です。
 経済について言えば、2003年の中共の一人当たりGDPは1,093米ドルであり、日本の34,010米ドルのの三十分の一弱に過ぎません(http://www.21ccs.jp/china_watching/KeyNumber_NAKAMURA/Key_number_04.html。4月29日アクセス)
(注7)。

  • (注7)中共が一人当たりGDPで日本に追いつくためには、仮に現在の日本と中共の成長率がそのまま維持されるという非現実的な想定をしたとしても、25年かかる(http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/371476。4月25日アクセス)。

 今度は、政治、つまりは中共の自由・民主主義化の度合いを検証してみましょう。
 日本は成熟した自由・民主主義国ですが、中共は人権保障の点でも民主化の点でも大いに遜色があることは周知の事実です。
 中共は豊かさは追求しているかもしれないが、自由・民主主義化をめざしているわけではないので、自由・民主主義化の度合いを日本と比べても仕方がない、というのは誤りです。
 まず自由(人権保障)についてです。
 これについては、2004年3月に行われた中国憲法の部分改正で「国家は、人権を尊重し保障する」という条項が新設され、中共建国以降、初めて憲法に人権規定が設けられたところから見て、中共当局としても、中共が人権が保障された国になることが望ましい、と考えていることが分かります。
 もっとも、この人権規定の置かれている位置等からみて、人権の「天賦性」ないし「前国家性」は否定されていると考えられています。
 (以上、http://www.waseda-coe-cas.jp/forum/forum009.html(4月28日アクセス)による。)
 これは、日本の明治憲法の人権規定を思い起こさせます。
 どうやら人権保障の点では、中共は明治憲法が発布された1889年の段階にようやく達した段階のようです。実に日本と115年のタイムラグです。
 次に民主主義についてです。
 これに関しても、少なくとも江沢民時代以降は、中共当局としても(ブルジョア)民主主義の実現を目標とするようになっています(コラム#350)。
 では、中共の民主主義化の度合いはどれくらいでしょうか。
 中共では、首長の選挙は村長(村民委員会主任)の直接選挙が認められているだけであり、また、議会議員の選挙は郷・鎮とその上の県までの議会(人民代表大会)の議員(代表)の直接選挙が認められているだけであり(http://www007.upp.so-net.ne.jp/snakayam/topics_43.html。4月28日アクセス)、しかも共産党の「指導」の下でこれら選挙が行われていることから一種の制限選挙であると言って良いでしょう。
 他方、日本では1889年から市町村制が施行され、それ以降、市町村長選挙と市町村会議員選挙が一定の租税納付額以上の有権者による制限選挙の形で継続的に行われるようになりhttp://www.vill.ryujin.wakayama.jp/~higa-sho/contents/murareki.htm。4月28日アクセス)、1899年からは、府県会の議員の選挙が同じく制限選挙の形で継続的に行われるようになった(http://www.pref.tochigi.jp/gikai/aramashi/rekishi/enkaku.html。4月28日アクセス)ことを考えると、中共の民主主義の現状は、日本の1889年の水準にすら達しておらず、115年をはるかに超えるタイムラグが日本との間である、と言えそうです。
 以上を念頭に置いて、清末から中華民国初期にかけての時代の支那の日本に対する後進性がいかばかりであったか、に思いをはせてほしいと思います。
 5.4運動(コラム#896)は、このような時代に起こったのでした。

(続く)


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