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太田述正コラム#7232005.5.15

<意外な結果をもたらした米最高裁判決>

1 始めに

 ちょっと前に(コラム#720で)妊娠中絶を非犯罪化した1973年の米連邦最高裁判決(Roe v. Wade)に触れました。

 この判決は、意外な結果をもたらすことになります。

一つは、一人の米最高裁判事を大変身させたことであり、もう一つは、米国における犯罪発生率を激減させたことです。

2 ある米最高裁判事の大変身

 ミネソタ州セント・ポール市のブラックマン(Harry Blackmun1908?1999)とバーガー(Warren Burger)という同年齢の近所の二人が同じ幼稚園に通うところから話が始まります。二人は親友になるのですが、学業成績抜群だった二人は、やがてどちらも法曹界で頭角を現します。

バーガーが1969年に最初に長官たる判事として連邦最高裁入りをしたのですが、翌年、ニクソン大統領が新たに最高裁判事に任命しようとした候補二人が続けて議会で拒否され、三人目にバーガーの推薦で候補となったブラックマンが最高裁判事になります。

この親友二人は、最高裁で当初常に同じ司法判断をしたところから、彼らは「ミネソタの双子」と呼ばれたくらいです。

このブラックマン判事が、自分と(バーガーを含む)6名の計7名の判事を代表して多数意見を書いたのが、冒頭の判決です(注1)(http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0410_0113_ZS.html。5月15日アクセス)。

(注1)現在の最高裁長官であるレーンクィスト(Rehnquist)を含む2名の判事が妊娠中絶の非犯罪化に反対の少数意見だった。

 ブラックマンが多数意見を書いたのは、バーガーの指名に従っただけなのですが、それ以来、この全米を震撼させた判決とブラックマンの名前は常に一緒に語られるようになり、ブラックマンに対しては、米国のリベラルからは「女性の解放者」、保守派からは「嬰児殺し」ないし「悪の擁護者」というラベルが貼られるようになるのです。

 ブラックマンは、否応なしにこの判決を守る立場から論陣を張らざるを得なくなり(注2)、親友のバーガー同様、ニクソンのお眼鏡にかなった、ごりごりの保守派であったはずなのに、やがてリベラルの旗手へと大変身を遂げるのです。その結果ブラックマンとバーガーの司法判断はことごとに対立することとなり、長年続いた二人の友情もまた、終わりを迎えます。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.csmonitor.com/2005/0503/p15s01-bogn.html(5月3日アクセス)、及びhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/05/05/AR2005050501361_pf.htmlhttp://www.nytimes.com/2005/05/08/books/review/08KALMANL.html?pagewanted=print(どちらも5月8日アクセス)による。)

(注2)ブラックマンが妊娠中絶を非犯罪化したのは、かつて巨大医療法人であるMayo Clinic の専任弁護士であったこともあり、バーガーと同じく、妊娠した女性の自由より医者の施術の自由を重視する観点からだったが、女性の自由を重視する観点に転じた、ということ。女性の最高裁判事入りに否定的な見解だったブラックマン判事は、退官の頃には、他の判事全員を合わせたより多数の女性助手(law clerk)を使った判事として記憶されることになる。

3 米国の犯罪発生率の激減

数年前、人の経済学者の手で、世間を仰天させる結論が導き出されました。

米国の1990年代における犯罪発生率の激減は、妊娠中絶を非犯罪化した上記の最高裁判決のおかげだ、というのです。

彼は、犯罪発生率激減に貢献した要因として、警ら(policing)政策の改善・銃規制の強化・経済の好況・社会の高齢化、はいずれもゼロに近いとし、貢献度は、犯罪者の刑務所収容率増加が約三分の一、麻薬のクラックの市場の崩壊が15%、警察官の増員が10%であるとした上で、残りはすべて、妊娠中絶の非犯罪化に帰すことができる、という結論を下したのです(注3)。

 (注3)彼は、大相撲における千秋楽での7勝7敗と8勝6敗の力士の対戦結果は前者の勝利が約80%であることと等から、暗黙の貸し借り「契約」に立脚した力士間の八百長が広汎に行われていることも証明している。

妊娠中絶の非犯罪化によって、以来、約150万人の女性が歓迎されざる妊娠を中絶することができたけれど、これらの女性の多くは10代の未婚の貧しい女性達であり、貧しい家庭や片親家庭は犯罪者を生み出す二大源泉であるところ、判決なかりせば生まれていたであろう子供達が十代後半になり始めたはずの1990年代初めから、米国の犯罪発生率が減少し始めた、という理屈です。

傍証として彼は、判決が出る以前から、妊娠中絶を合法化していたニューヨーク州やカリフォルニア州では、早くから犯罪発生率が減少し始めていたことを挙げています。

(以上、http://www.nytimes.com/2005/05/15/books/review/15HOLTL.html?pagewanted=print(5月15日アクセス)及びhttp://www.latimes.com/features/printedition/books/la-bk-shermer15may15,1,4552327,print.story?coll=la-headlines-bookreview(5月16日アクセス)による。)

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