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太田述正コラム#731(2005.5.23) <壊れつつあるジンバブエ>
1 始めに
サハラ以南のアフリカについては、いずれ本格的な概括的分析をしたいと思っていますが、南アフリカ共和国のすぐ北に位置するジンバブエ(Zimbabwe)の経済が壊れつつある様子なので、今回はこの国を取り上げてみたいと思います。
最初にジンバブエを、同じく英領であった他の二つのサハラ以南のアフリカの国と簡単に比較しておきましょう。
南アフリカ ジンバブエ ガーナ
面積 123万平方km 39万平方km 24万平方km
人口 4380万人 1300万人 1970万人
白人人口 10% 若干 皆無
一人当たりGDP 3480米ドル 2000米ドル 1310米ドル
典拠:http://www.lonelyplanet.com/destinations/africa/south_africa/、http://www.lonelyplanet.com/destinations/africa/zimbabwe/、http://www.lonelyplanet.com/destinations/africa/ghana/(いずれも5月22日アクセス)
雑ぱくな議論ですが、白人人口が少なくなればなるほど、一人当たりGDPが低くなる傾向があることが分かります。(南アフリカとジンバブエ(旧ローデシア)には、黒人等を排した白人単独の独立政権がかつてあった。)言うまでもないことながら、白人人口の多寡は、その国(地域)がもともと白人にとって住みやすい気候・環境(自然ないし社会)であったかどうかにかかっています(注1)。
(注1)ちなみに、たまたま同じ1957年に英領から独立したアフリカのガーナと東南アジアのマレーシアを比べてみると、独立当時はどちらも一次産品の輸出に依存する同じくらい貧しい国だったが、現在でもガーナは一次産品依存であって、一人当たりGDPが依然として1310米ドル程度にとどまっているのに対し、マレーシアは工業化をなしとげ、一人当たりGDPは4,530米ドルに達している(http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/4398537.stm(4月5日アクセス)。ただしマレーシアの一人当たりGDPはhttp://www.lonelyplanet.com/destinations/south_east_asia/malaysia/(5月22日アクセス)による)。再度雑ぱくな議論だが、サハラ以南のアフリカは東南アジアに比べて、何か構造的な欠陥を抱えているらしいことが分かる。
2 壊れつつあるジンバブエ経済
本年3月に実施された不公正な総選挙で、ムガベ(Robert G. Mugabe)大統領の与党は大勝利を博し、既に1980年のジンバブエの正式独立以来四半世紀にわたってジンバブエを支配してきたムガベの支配基盤は更に強化されました。
しかし、ジンバブエの通貨は、米ドルに対し、2002年4月から現在までの間に、実に200分の1近くまで減価しています。外貨準備は枯渇し、インフレは三桁台で推移していますし、失業率は70%に達しています。
工業生産は、輸入石油価格と輸入部品・資材の高騰によって、致命的打撃を受けていますし、頼みの綱である金の鉱業生産も、今年の第一四半期で18%も減りました。2000年からの5年間で、GDPは40%も減りました。
かつてアフリカのパン籠と言われたジンバブエの年間穀物消費量は160万トンですが、今ではそのうち120万トンを輸入しなければなりません。今年は、外貨がないために輸入ができず、餓死者がでるのではないかと懸念されています。
(以上、http://www.nytimes.com/2005/05/21/international/africa/21zimbabwe.html?pagewanted=print(5月21日アクセス)及びガーディアン下掲による。
ことここに至った最大の原因は、白人農家の農場を没収し、黒人に分け与えたところにあります。
1990年代の終わりの時点で、ジンバブエの1%も占めていない白人が同国の農地の70%を所有していました。
ムガベは失政を糊塗するため、2000年にムガベ支持者たる黒人達が勝手に白人の所有地を占拠し始めた時にこれを放置し、2002年には法律ですべての白人農家の農地を没収し、既に占拠していたこれら黒人等に分け与えたのです。
この人気取り政策のおかげで、何もなくても不公正な同年の大統領選挙で、ムガベはまたまた勝利を収めるのです。
この選挙の監視を行ったEUは選挙の不公正さを指摘し、ムガベらのEU入域禁止措置をとり、米国は経済制裁を科して現在に至っています。また、英連邦(Commonwealth of Nations)もジンバブエの資格を停止し、翌2003年にはジンバブエは英連邦から脱退しました。
(以上、http://www.nationmaster.com/encyclopedia/Zimbabwe/History、http://www.lonelyplanet.com/destinations/africa/zimbabwe/history.htm(どちらも5月22日アクセス)による。)
1990年代の終わりには4500家族いた白人農家は、今では約400家族しかジンバブエに残っておらず、彼らはかつての自分達の農地の一部で生計を立てていますが、没収された農地を手に入れた黒人達は農業経営のノウハウ・技術・意欲に乏しく、没収された農地の44%は使われないまま放置されており、ジンバブエの農業生産は激減してしまいました。
そこで先般、ムガベの経済政策立案者であるジンバブエ中央銀行総裁は、技術力のある白人等の投資家が、ジンバブエの農業生産に携わるように呼びかけました。5?10年の間農地を貸し付け、その間政府が安全を保証する、というのです。
これは、尻に火がついたムガベ政権が、事実上、白人農地没収政策を撤回したものと受け止められていますが、こんな条件では誰もジンバブエには戻ってこないだろう、と噂されています。
(以上、http://www.guardian.co.uk/zimbabwe/article/0,2763,1489173,00.html(5月22日アクセス)による。)
3 終わりに
またも破綻国家が一つ増えるかどうか、ここ当分はジンバブエ情勢をフォローする必要がありそうです。
(続く)
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