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太田述正コラム#750(2005.6.11)
<厳しく再評価される毛沢東(番外篇)>
(5月(11日)?6月(10日)のHPへの訪問者数は、周辺諸国との関係でこれといった大きな動きがなかったのに、25565人と二ヶ月続けて史上最高記録を更新しました。ただ、前月に比べて1日多いことと、時間が若干ずれていることから25800人弱くらいでないと、上回ったとは言えないのですが、その点を割り引いても、これはうれしい誤算でした。(ちなみに、先月発足した太田ブログ(http://ohtan.txt-nifty.com/column/)へのアクセス数累計は、10日昼過ぎの時点で248です。)他方、メーリングリスト登録者数は1279名と伸び悩んでおり、一ヶ月前に比べて10名しか増えていません。累計訪問者数は、402,660人であり、40万人台を突破しました。)
1 尊敬する人物調査
中共の中学生の尊敬する人物調査(コラム#744)(注1)をご記憶でしょうか。
6月10日付の人民網(http://j.peopledaily.com.cn/2005/06/09/jp20050609_50786.html)に改めて調査結果が掲載されていました。
(注1)調査地域は北京、上海、河南省、陝西省、遼寧省、湖南省などで、有効回答数は1018人。回答した学生のうち、男子は443人、女子は575人。アンケートの質問は「あなたの心の中の英雄は誰ですか?」「あなたが英雄を選ぶ基準は?」の2つで、選択肢を設けない自由回答方式を採用した。
尊敬する人物(英雄)10傑は次のとおりです(上位順)。
1. 毛沢東(mao zedong)
2. 両親(parents)
3. 周恩来(zhou enlai)
4. 雷鋒(lei feng):1962年に殉職した模範的な軍人。国民的尊敬を集める
5. 劉翔(liu xiang):アテネ五輪110メートル障害走金メダリスト
6. 成竜(jackie chan):ジャッキー・チェン、映画スター
7. 任長霞(ren changxia:2004年に殉職した河南省登封市公安局局長
8. 劉胡蘭(liu hulan):1946年に中国共産党へ参加。1947年に国民党に捕らえられ、殺害される。享年15歳
9. 董存瑞(dong cunrei):中国共産党員。1948年、国民党との攻防戦の中、部隊の勝利のた
めに自爆して犠牲となる。享年19歳
10.楊利偉(yang liwei):中国最初の宇宙飛行士
また、尊敬する人物(英雄)の基準については、次のような結果でした(上位順)。
1. いつも前向きで楽観的な生き方をしている人
2. 感動させてくれる人
3. 非常に敬服させられる人
4. 前進への勇気をくれる人
5. 善良でやさしさのある人
6. 寛容で度量のある人
7. 人のために自分を捨てられる人
8. 公正無私の人
9. 正直で勇敢な人
10.優れた道徳と品性を持つ高尚な人
(以上、人民網上掲による。)
2 10傑の紹介
(1)始めに
毛沢東と周恩来は既に取り上げています(コラム#204、744?746)し、両親・劉翔(注2)・ジャッキーチェン(注3)・楊利偉の三名については余り説明を要しないと思うので、残りの四名を取り上げることにしましょう。
(注2)アテネ・オリンピックで世界タイ記録を出した。今年3月、中共の最優秀男性スポーツ選手に選ばれたことと、端正な顔立ちであること(http://news.searchina.ne.jp/2005/0317/national_0317_003.shtml。6月10日アクセス(以下同じ))が人気の理由か。
(注3)ジャッキーチェンは中共(活動拠点は香港)最大の映画スターだが、中共当局迎合発言でも知られる。昨年3月、台湾総統選挙の結果について、「世界最大のジョークだ。・・これは恥だ。正視に耐えない。私はガックリ来てまんじりともできなかった」と語り(http://www.chinadaily.com.cn/english/doc/2004-03/29/content_318903.htm)、台湾の陳水扁支持者達の憤激をかった。
(2)個別紹介
ア 雷鋒(1940?62年)
雷鋒が職務中に事故死した翌年、「雷鋒同志に学ぼう」(向雷鋒同志学習)運動が、毛沢東の提案によって始まり、日記(雷鋒日記)の出版、映画制作なども行われ、雷鋒の命日の3月5日は雷鋒記念日にされ、小学校ではごみ拾い等の奉仕活動が課せられます。
また、雷鋒の最期の地である撫順には雷鋒記念館が、出身地の長沙には雷鋒記念館が設けられています。
これなら、中共の中学生で雷鋒を知らない者はいないはずです。
その雷鋒とは、一体どんな人物でどんな功績があったのでしょうか。
21歳で一整備兵として事故死した彼に、公に対する功績らしい功績があったわけではありません。彼が「為人民服務」(滅私奉公)精神を持った愛帮助別人(人を助けるのが好きな人)であったことは事実ですが、毛沢東がたまたま雷鋒に着目したことが、雷鋒の英雄化につながったのです。
ではどうして毛沢東が雷鋒に着目したのか。それは「雷鋒日記」に、「毛沢東の本に学び」云々の毛沢東への言及が無数になされていることを、毛沢東が痛く気に入ったからでしょう。
(以上、事実関係はhttp://jp.chinabroadcast.cn/1/2005/04/04/1@38186.htm、http://jp.chinabroadcast.cn/1/2005/03/04/1@36355.htm、及びhttp://blog.livedoor.jp/shadai_blog/archives/15667361.htmlによる。)
イ 任長霞(1964??2004年)
任長霞は、2001年から2004年に公務中に交通事故で亡くなるまで、少林寺拳法で有名な少林寺のある河南省登封市で公安局長(警察本部長。部下1000人)をしていた女性です。
彼女は専用車つきの身分であったにもかかわらず、みずから密偵や聞き込みを行い、また、市民相談日の土曜には、朝8時から夜11時半まで親身になって熱心に市民の声に耳を傾けたといいます。また、彼女は実子の男の子が一人いましたが、孤児を養子として引き取り、また事故で目が不自由になった子供に経済的支援を含め親代わりに面倒を見たともいいます。
彼女の葬儀には14万人が集いました。
彼女の場合は、民衆自身が、公務員であった人物を英雄に祭り上げためずらしいケースだ、と言って良いでしょう。
(以上、http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/rmhb/japan/200408/4-1.htm及びhttp://blog.goo.ne.jp/jchz/m/200406による。)
ウ 劉胡蘭(1932?47年)
劉胡蘭は、共産党から彼女の生誕地である山西省文水県の村にオルグとして派遣されていましたが、1947年1月に国民党系の山西軍閥の閻錫山の率いる軍がこの村に侵攻し、彼女を逮捕しました。
劉胡蘭は尋問に何も答えないまま殺されてしまいます。享年15歳でした。その後、彼女の話はオペラに仕立て上げられます(http://jp.chinabroadcast.cn/1/2005/01/14/1@33471.htm)。また、山西省分水県には劉胡蘭記念館が設けられています(http://64.233.187.104/search?q=cache:_ua1VUyWr78J:www11.big.or.jp/~syabuki/2005/dw040903.pdf+%E8%91%A3%E5%AD%98%E7%91%9E&hl=ja&start=11&lr=lang_ja)。
彼女が英雄になったのも毛沢東のおかげです。
毛沢東が彼女について、「生的偉大、死的光栄」(生きていたことは偉大で、なくなっても光栄である)と揮毫して称えたからです。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.geocities.jp/er_jian164/LIB-27/stamp27.htmによる。)
エ 董存瑞(1929??48年)
董存瑞については、先に記した「中国共産党員。1948年、国民党との攻防戦の中、部隊の勝利のために自爆して犠牲となる。享年19歳」ということ以外は、次のことくらいしか分かりませんでした。
彼の話は映画に仕立て上げられます(http://jp.chinabroadcast.cn/1/2004/09/17/1@26929.htm)。また、河北省隆化に董存瑞烈士陵園が設けられています(http://64.233.187.104/search?q=cache:_ua1VUyWr78J:www11.big.or.jp/~syabuki/2005/dw040903.pdf+%E8%91%A3%E5%AD%98%E7%91%9E&hl=ja&start=11&lr=lang_ja上掲)。
3 感想
中共の中学生の尊敬する人物として、毛沢東自身と、その毛沢東がいわば無から生み出した人物である雷鋒と劉胡蘭の2人、計3人が10傑に入っているのですから、中共がいかに毛沢東神話のインドクトリネーションに依然汲々としているかが良く分かります。
しかし、尊敬する人物の基準についての調査結果を見ると、中共の中学生は、公のために尽くす人より、どちらかというと単純に芸能人的な有名人に惹かれていることがうかがえます。このままでは、遠からず、10傑は、劉翔やジャッキーチェンのような人々で占められることになりそうな予感がします。(楊利偉もどちらかというと、芸能人的有名人と言えるでしょう。)
次に気になるのは、20世紀中頃以降の人物しか登場しないことです。支那の3,000年の歴史は20世紀中頃まで一人の偉人も生み出さなかった、というのが共産党の見解であること(コラム#132)を改めて実感させられました。
また、国民党との戦いにおける英雄が劉胡蘭と董存瑞と二人も登場するのに、抗日戦争の英雄が一人も登場しないことです。ここから、国民党との戦いがいかに共産党にとっては重要かつ深刻なものであったかが分かると同時に、抗日戦争には共産党はまともに取り組まなかったことも分かります(コラム#559)。
他方、一つだけ感心させられるのは、リストの中に女性が2人も登場することです。
中共が推進した男女平等政策(コラム#567)の結果、この点では支那は日本よりも先進的な社会になった観があります。これも、絶対的な悪人たる毛沢東による支那統治がもたらした、意外な結果の一つである(コラム#746)と言えそうです。
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