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太田述正コラム#775(2005.7.2)
<イランの新大統領誕生(その5)>
(2)米大使館員人質事件疑惑
ア 始めに
米国のイラン攻撃の可能性を一挙に高めた要因として無視できないのは、アフマディネジャド(以下「アフマ」という)次期イラン大統領が、1979年のイスラム革命直後の11月に起こった在イラン米大使館占拠・館員人質事件(注10)に関与したのではないか、との疑惑です。
(注10)イランで裁判にかけるためのパーレビ国王の引き渡しに応じない米国に抗議して、イラン人学生達が大使館を占拠し、米国人外交官ら52人を444日間にわたって人質に取った事件。米国はそれ以来イランと国交を断絶したままだ。なお、この事件は、アルジェ協定(Algiers Accords)によって一応の決着を見たが、この協定で、人質になった人々は、犯人達に裁判に訴えることを禁じられた。
アフマが、この事件を引き起こした学生団体(the Office to Foster Unity)に当時所属していたことは周知の事実ですし、人質事件の犯人のうちリーダー格だった二人が、アフマが米大使館占拠を謀議した会議に何回か出席したことはあると語っています。
しかし、彼がこの事件に直接関与していたかどうかについては、両論があります。
イ 関与説
アフマ関与説を主張しているのは、5人の元人質です。
人質だった当時の米空軍武官補は、自分に対する45回にも及んだ犯人達による尋問の三分の一くらいにアフマが立ち会っていたとし、特に鮮明に覚えているのは、アフマが立ち会った第一回目の尋問の際、(どうやって調べたのか、)自分の障害のある息子の学童送迎バスのナンバーや息子が特殊学校に出かける時間に言及しつつ、協力しないのなら息子を誘拐すると脅されたことだ、と語っています。
また、最年少の20歳の人質だった当時大使館の警備要員の海兵隊員は、やはり自分に対する第一回目の尋問の際、アフマは尋問者の一人だった、と語っています。
更に、人質だったもう一人の人物は、自分が大使館からイランの牢獄に移送された後、アフマらしき人物がやってきて自分達を豚や犬呼ばわりしたことを覚えているが、彼がアフマであった可能性は9割9分だ、と語っています。
人質だった四番目の人物も、アフマの顔は一度見れば忘れることはない、と語っています。
そして人質だった退役米陸軍大佐は、アフマが関与していたことは100%間違いないとし、アフマは一番偉いリーダー二人か三人のうちの一人だった、と語っています。
これらの証言に米国の世論は沸騰しており、米ブッシュ政権も事実関係の究明に乗り出す構えです。
ウ 非関与説
これに対し、人質だった人のうちの2人(うち一人は退役米空軍大佐)は、アフマが犯人の一人だったかどうか、思い出せない、と語っています。
イランでは、アフマ関与説を否定する人ばかりです。
次期大統領のスポークスマンは、アフマ関与説をばかばかしい話だときっぱりと否定していますし、次期大統領の側近は、直接アフマに問いただしたところ、「自分は関わっていない。そんなことをすれば、イランは世界の敵意に囲まれてしまうと思っていた」という答えが返ってきた、と語っています。
実際、元犯人やアフマの友人達は、アフマは、もっぱら大学生中の左翼や共産主義者との戦いにあけくれており、米大使館占拠には反対し、それよりもソ連大使館の占拠を行うべきだと主張していた、と語っています。
また、元犯人でリーダー格だった人物は、アフマは米大使館占拠に加わりたいと申し出たが、アフマが当時のイラン暫定政府の首相であったバザルガン(Mehdi Bazargan。1907?95年)(注11)の支持者であったので拒否した、と語った上で、多くの学生が米大使館に「見学」にやってきたので、アフマも大使館に顔を出した可能性はある、と付言しています。この元犯人はその後改革派に転じており、米国との関係改善を望むとの結果が出た世論調査を実施した廉で投獄されたことがあります。
(注11)先の大戦において、留学先のフランスで志願してフランス陸軍に入り、ナチスドイツと戦った。イランのモサデク政権で副首相を務め、その後、パーレビ国王に対し、非暴力的抵抗運動を続け、何度も投獄される。イスラム革命後、ホメイニ師によって暫定政府の首班に任命されるも、急進的な法学者達の政治介入に抗議して一年足らずで辞任した。(http://www.iranchamber.com/history/mbazargan/mehdi_bazargan.php。7月1日アクセス)
やはり改革派に転じた、もう一人の元犯人は、同様アフマが犯人の一人だったことを否定した上で、そもそも犯人達の中で一番偉いリーダーだった三人は、テヘランの三つの有名大学の学生をそれぞれ代表しており、テヘランの場末にあったアフマの大学(科学・産業大学)など眼中になかった、と語っています(注12)。
(注12)このように、現在改革派に転じている元犯人は少なくないのだが、保守派のままで「出世」した者もまた少なくない。その中には環境担当副大統領になった女性や内務次官になった者のほか、複数国会議員になった者がいる。
アフマが人質を引っ立てているところだと言われている写真の人物と(次期大統領のウエブサイトに掲載されている)学生時代のアフマの写真を比べてみると、余り似ていない上、背丈も疑惑写真中の人物の方がかなり高い、という指摘がなされています。
この疑惑写真中の人物と現在のアフマの写真を見比べてみる(例えば下掲のクリスチャンサイエンスモニターやBBC参照)と、似ているところもあるものの、前者は眉が上がっているのに対し、後者は下がっていることから、私には両者は別人であるような気がします。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-063005usiran_lat,0,1689405,print.story?coll=la-home-headlines、http://www.csmonitor.com/2005/0701/p04s01-wome.html(写真)、http://www.csmonitor.com/newsinbrief/brieflies.html#WORLD9:19:18、http://news.ft.com/cms/s/ddbea38c-e987-11d9-ba15-00000e2511c8.html、http://www.nytimes.com/2005/06/30/international/middleeast/30iran.html?pagewanted=print、http://www.nytimes.com/2005/06/30/international/middleeast/30cnd-iran.html?ei=5094&en=9d0ad74e8a616984&hp=&ex=1120190400&partner=homepage&pagewanted=print、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/06/30/AR2005063000215_pf.html、http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4636955.stm(写真)、http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050630i116.htm(いずれも7月1日アクセス)による。)
エ コメント
いずれにせよ、アフマが関与していないことが一見明白に明らかでない以上、アフマが本当に関与していないのなら、次期大統領サイドないし現ハタミ政権から、具体的根拠を伴った明確な否定表明がすみやかになされるべきです。
例えば、疑惑写真に登場する人物が(アフマ以外の)誰であるかを明らかにするだけでも、疑惑の沈静化に相当効果があるはずなのに、そんなことすらしていないのですから、イラン側の鈍感さは救い難いと言わざるをえません。
逆にアフマが関与していたとすれば、これはもう、取り返しがつきません。
米国のイランに対する不信は決定的なものとなり、EUとイランのウラン濃縮をめぐる交渉の成り行き如何に関わらず、米国が(英国及びイスラエルと協議しつつ)イラン攻撃の口実とタイミングをはかる成り行きになることは必至だ、と思うのです。
(続く)
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